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日記一覧

喚續神社(よびつぎじんじゃ)本殿の左袖(南側)にはわざわざトタン葺の塀を設けて、コの字型に囲い、その中に河原石の縁石を置いてコンクリートで叩いた土間を設け、その奥に高さ50cmほどに、同じく河原石を積んで石垣を設けた基壇を設置し、その上に銅板葺素木

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粕畑貝塚跡の南南西1.2kmあまりに位置する喚續神社(よびつぎじんじゃ)に向かった。この神社は珍しく、社頭が西南西を向いている(写真左)。自分が幼児期だったころには社頭も本殿も南向きだったから、本殿を含めて南々西向きにしたのは、何か理由があるはずだ

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星宮社本殿の裏面にも古墳ではないかと思われる山があった。そして、この山には名称は無いものの、中腹に2社のカグツチを祀る第三の御旅所でもあったと考えられる。丹八山(たんぱちやま)由来の笠寺七所神社の七神は熱田神宮境内社の七神を祀ったものだが、こ

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丹八山(たんぱちやま=旧鳥居山)の表参道沿い、頂上の縁、将門の首塚の土手や頂上には無数の石碑が林立している。大きな石碑が多く、その数、50基近くありそうだ。基本的に、初代石川丹八郎氏によって造立されたものだと思われるのだが、その内容は丹八山と、

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丹八山(たんぱちやま=旧鳥居山)の西向きの迦具土社(かぐつちしゃ)の左隣奥に「平将門の首塚」の板碑を伴った、西側の正面に石段を持つ塚が築かれている。この塚の頂上が丹八山の頂きだ。平将門の首塚は東京都千代田区大手町に、祟るので有名なものがあるが、

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3月下旬 晴れ粕畑貝塚跡(かすはたかいづかあと)のある粕畠町(かすばたちょう:名古屋市南区)に向かった。「粕畑・粕畠」の「粕」はこの地で盛んであった製塩で発生する塩の灰汁を意味し、「粕畑・粕畠」は「塩田」を意味している。江戸時代後期(1822)に成立

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平和町 屯倉社(とんそうしゃ)の注連縄の張られたメインともいうべき石〈A〉の南側にある石〈C〉を南側から撮影したのが下の写真である。この石は屯倉(みやけ)の基礎石とは言えない形状をしていた。それはすぐ右奥にある石も同様だが、少し左奥にある平べった

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下り松遺跡の南々西、9kmあまりに位置する平和町の屯倉社(とんそうしゃ)に向かった。大化改新以前の大和朝廷官家を意味する「屯倉(みやけ)」を「とんそう」と読ませているのには驚いたが、固有名称に通常とは異なる“読み”を当てるのは仏教的慣習だが、案の

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国府宮(こうのみや:尾張大国霊神社の通称)の表参道を北上すると、石橋から120m以内に、三ノ鳥居が設置されているが、石橋から先の表参道に石造物はしばらくは、現れなくなくなり、三ノ鳥居は銅板葺素木造で両部柱を持った台輪鳥居となっている。(写真左)その

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