西町 金神社(こがねじんじゃ)の拝殿前で参拝。この神社の社頭の板書に記された『金神社御由緒』にはこうあった。「御祭神 物部金弓達公(もののべのかなゆみむらじきみ)は、『旧事本紀』によると物部氏の祖とされる宇摩志麻治命から八世孫にあたり、第十三代
稲葉町 稲葉神社の拝殿は正面中央に唐破風が付いており、妻の軒下に兎の毛通(うのけどうし)と呼ばれる浮き彫りの装飾板が飾られ、波間を渡る稲葉の素兎などがモチーフとなるのだが、ここの拝殿は兎でも魚でも、龍でもなく、鳥系の意匠だった(写真左)。それも
稲葉神社は稲沢町北山2丁目の社と同じブロックにあり、同じ北山2丁目にあるので、稲葉神社の社頭を探して、不明の社のある十字路を左折し、逆時計回りに北山2丁目のブロックを西に向かうと、その中に社殿が配置されているのが見えてきた。最初の十字路を左折
御嶽神社(おんたけじんじゃ)最頂上部に祀られた社の周辺には5体の石像が奉られていた。その中でもっとも下方のしかも中央に奉られているのが火炎の後背を背負った不動明王像だ(写真左)。御嶽信仰に限らず,山岳信仰の滝場には多く,不動明王が奉られる。不動
1月上旬 快晴小沢一里塚跡の北東580m以内に尾張国衙址(おわり こくが し)があるというので、美濃路が西に折れる小沢のT字路で美濃路から離れ、尾張国衙址へ向かった。西側に位置する小沢から路地を東に向かって松下に入ると、左手(北側)に稲沢市の製作した純
日下部 竹生島神社(くさかべ ちくぶしまじんじゃ)拝殿の裏面から真っ直ぐ本殿を見上げると、石垣は側面から眺めた時よりはずいぶんボリュームが小さい印象に変わった。おもしろいのは石段の麓に大きな玉石で縁取りした左右に細長いプールのようなものがあるこ
草部神明社(くさかべしんめいしゃ)の社頭に愛車は停めたまま、徒歩で100mあまり西にある日下部(くさかべ) 竹生島神社に向かった。住宅街の中を通り抜ける路地を西に90mあまり辿ると、右手(北側)にすばらしい竹林が見えてきた(写真左)。地図で確認するとこの竹