地図を見ると、名古屋第二環状自動車道の東100m以内に「東勝寺」の表記がある。真宗の寺院なので、スルーするつもりだったが、前身が天台宗寺院だったという情報があるので、寄って行くことにした。高針橋を渡り、名古屋第二環状自動車道をくぐって、高針街道
三徳龍神社の池を撮影して、高針街道(たかばりかいどう)を東に650mあまり辿ると、「山ノ神」というバス停の前に出る(写真左)。前の日記でhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1949639810&owner_id=350761「山神=物部社」の可能性があることが判明したが、『名東
本殿と向かって左側の境内社の谷間の奥に、この本殿が建立されるきっかけとなる神意を拝伺した安良霊神(やすながれいじん)の石碑が祀られていた(写真左)。この安良霊神碑を撮影しようとしたところで、カメラのバッテリーが上がってしまった。1月の下旬 晴天
城山八幡宮の反橋を渡ると石造の二ノ鳥居があって、その先にはさらに登りの石段がある。石橋を渡り、二ノ鳥居をくぐると石段の麓には両側に対になった狛犬があったが、松の内ということだろう、カラフルな涎掛けが狛犬にも当てがわれていた。(写真左)石段を登
覚王山歳弘法堂前の参道に愛車を停めて、境内に入ると、すぐ左側に参道を向いた瓦葺棟入りの堂があって(写真左)、堂内には赤地に白いドットのパターンを抜いた布で帽子と涎掛けというよりはマントを貰った地蔵菩薩と、初めて見る石臼を立てたような一種の石造
物部神社拝殿の右側(東側)には玉垣で囲われた社が祀られていて、玉垣沿いに「大國主命」と刻まれた神号標が立てられていた。社名は書かれていない。「大國主」を「物部王国の大王」という意味にとれば、物部氏の祖である宇摩志摩遅命を祀った拝殿脇に祀られて
黒谷自然院前から高針街道(たかばりかいどう)を南に20m以内で豊前西交差点(とよまえにしこうさてん)に至るが、豊前西交差点で右折して320mほど南下すると、左手(東側)に玉垣に囲まれた社叢が立ち上がっている。ここは赤萩交差点(あかはぎこうさてん)の北東の
桜天神社にやって来たのは昨年の10月の下旬のことで、合格祈願の幟とともに「名古屋 三大天神奉り」の幟が出ていた。その幟には桜天神社のほかの2社の社名も出ていた。・桜天神社 名古屋市中区錦・山田天満宮 名古屋市北区山田町・上野天満宮 名古屋市
高針街道(たかばりかいどう)の西の起点は名古屋市内の中心地、長者町繊維街の中にある。「長者」という地名は17世紀前期に徳川家康の命で行なわれた尾張の中心地だった清州から名古屋へ都市が移転した「清洲越し」で清州から現在の長者町に移転してきたことに
焙烙街道(ほうろくかいどう)沿いの松並木から南東に350mあまりで、左手(北側)に紅葉したケヤキが現れた(写真左)。11月の下旬でこの状態だが、12月の下旬に行った時には葉はすべて落ちていた。行く手には三河の山岳部のシルエットが浮かんでいる。ここも青木町