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2020年07月18日19:43

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愛知県知多郡入海貝塚FIN 入海式土器

6月中旬 快晴 
知多郡にある東浦町郷土資料館に向かった。

フォト

郷土資料館(写真左)は丘陵の中腹に位置する環境の良い場所にあった。
この日は梅雨の合間だったが日差しが強く、
日陰のまったく無い駐車場に愛車を駐める気がせず、
右隣にある公園の木陰に駐めた。
この郷土資料館も建物前に旧い道標が並んでいたが、
特に興味を惹かれるものは無かった。

館内には入海神社(いりみじんじゃ)に写真が掲示されていた
縄文土器のレプリカが展示されていた。
中でも最も旧い時代の土器は底を尖がらせ、底の突端を丸めたもので、
自立できない形式の土器だった
装飾は一切、無い土器だ。

フォト

案内パネル『入海貝塚の縄文土器』には以下のようにあった。

「縄文土器は、旧い時期のものは底が尖がった形をしており、入見貝塚からもそのような形の土器が出土しています。その後は底が平らな形に変わっていきます。
 入見貝塚と同じ時期の遺跡は、知多半島の海岸近くや名古屋市の天白川流域に見られます。入見貝塚からも、天白川流域の遺跡の名前がついた〈粕畑式土器(かすはたしきどき)〉や〈上の山式土器〉が出土しています。」

入海式土器、粕畑式土器、上の山式土器の3式の土器片が
分けて展示されていたが、よ〜く見比べるのだが、違いがよくわからない。
ただ、入海貝塚から東浦の歴史が始まり、
入海式土器が東海地方の縄文時代初期の基準の土器となっており、
縄文時代早期を代表する遺跡として全国区になっているようだ。
入海式土器は突帯にヘラなどで刻みを入れているのが特徴だとされている。
その特徴を持った土器が上記の入海式土器より新しい時代のものと思われる入海式土器B(写真中)で、
口縁部に刻み目を入れて縄状のイメージの装飾を入れ、
頸部(けいぶ)に親指と人差し指の指頭で摘んで盛り上げたような
3本の並行する尾根を連ねた突帯装飾が入っている。
その出来上がりは3点展示されていた入海式土器の中では、
最も魅力的な土器となっていた。

入海式土器Bよりも新しい試みがみられるのが入海式土器C(写真右)だ。
口縁部に斜めの刻みを入れているのは入海式土器Bと同様だが、
頸部の装飾が土器に刻みを入れたり削り取って造形したものではなく、
等幅の帯を器とは別に製作しておいて、巻き付けた上で、
ヘラなどで押して刻み目を入れたように見えるものだった。
底部は入海式土器Bと共通している。

1951年(昭和26年)の調査によれば、
入海貝塚は階層の厚さが40〜110cm。
その貝の種類は干潟の発達した地域に棲むハイガイが約75%、
汽水域(海水と淡水の混じる場所)に棲むカキは約15%で、
当時の入海貝塚の周囲には
干潟が発達した海岸が広がっていたと推測されている。
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