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2020年07月06日21:36

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小山町 牛石

初めて訪づれた時の天子神社(あまこじんじゃ)の
一般道に面した玉垣沿いに掲示されていた
教育委員会の製作した『歴史の小径』とタイトルされた
周辺絵地図の中に「牛石」という名所が記入されていた。
来年の年賀状ネタになりそうなので、
後で寄ろうと思っていたのだが、これが最悪の忘却パターンで、
2度天子神社にやって来て、2度とも天子神社を撮影に夢中になってしまい、
牛石に向かうのを忘れてしまったので、今回は天子神社に寄らず、
最初から牛石と八ツ崎貝塚(やつさきかいづか)を目指してきた。
天子神社前に掲示されていた絵地図はアバウトなものだったが、
天子神社のすぐ近くの路地に面しているようなので、
周辺路地を探し回ったのだが、見つからなかった。
その路地のどこかで、たまたま地元の親子が屋外に出ていたので、
牛石は知らない可能性があると思い、
絵地図で牛石のすぐ北側に表示されていた
「薬師堂」のありかを聞いてみたところ、
もう一本、東側の路地のようだった。
そこで、牛石の目安になる薬師堂の方を探しながら、
路地を移動したのだが、
薬師堂の北側に位置している
八ツ崎貝塚の近くまで来てしまったようなので、
先に八ツ崎貝塚の方を観てしまったのだ。
八ツ崎貝塚を出て、八ツ崎貝塚との位置関係から、
この路地しか無いと思われる路地を再度、薬師堂と牛石を探しながら、
3往復したのだが、薬師堂も牛石も見当たらない。
3往復し、再度北上ているうちに
路地の東側に面した家屋のメンテナンス作業をしていた中年男性が
道に出て来たので、薬師堂の在り処を聞いてみたところ、
この路地の東側に面し、すぐそことのことだった。
注意しながら路地を再度北上すると、コンクリート擁壁の上に
門の無い一般農家のような建物があったが、
よく見ると、その建物前に上がっていくスロープの
左手コンクリート擁壁の上に板碑が設置されており、
「薬師堂」と刻まれていた。
堂号標だった。

フォト

『刈谷市』の公式ウェブサイト(https://www.city.kariya.lg.jp)
「歴史の小径 〔高津波・小山〕」の項目に
「薬師堂」と「牛石」の紹介文があった。

●薬師堂
むかしひとりの修験者が薬師如来を背負い、諸方を巡り歩くうちにこの地に立ち寄り、一休みしたが、立ち上がろうとしたところ薬師如来を納めた箱が重くなって持ち上がらないため、修験者はここが薬師如来に縁のある地であるとして、お堂を建てて祀ったといわれる。

●牛石
薬師堂を建てたと言われる修験者が薬師如来を納めた箱を置いたという石が、ときどき牛の姿になって歩き廻った。それを知らず、村人が牛の姿をみつけ打ちすえると牛の姿は消えてしまった。そのあとに石のかけらが落ちており、これが箱を置いた石の一部分であったため、この石が牛石と呼ばれる。
 胴と頭と言われる石が2つある。

愛車で薬師堂の堂前に上がり、周囲をチェックすると、
南向きの堂号標の背後に東向きの板碑が基壇の中に祀られていた。

フォト

文字は刻まれておらず、平らにスライスされたような石で、
横に倒せば、平らだから箱を置けるだろう。
ただ、そのシルエットは牛の胴や頭には似ておらず、
“石のかけら”ではないから、この石が牛石なのかどうかは不明。
だが、それらしき石はこの石しか見当たらなかった。
鍵の閉まっている薬師堂の向いている南側には特に何も無く、
祀られた板碑は薬師堂の南西に位置し、
板碑の脇から薬師堂の西側に入っていける通路があったので、
そこに入って行ってみると、突き当たりは薬師堂の厠らしく、
巨石をお椀状にくり貫いて水桶にし、
自然石の基壇状に据えた手水桶があった(写真中)。
ただし、水道施設があるわけではなく、雨水を溜めるための桶のようだ。
薬師堂から、その手水桶に渡っていけるように
巨石の飛び石が並べられているが、どの石も奇岩だ(写真右)。
牛石といい、修験者と奇岩の関係は役行者と奇岩の関係と相似であり、
石にこだわりのある人物が関わっているように見える。
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