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2020年07月01日21:09

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愛知県刈谷市八ツ崎貝塚2 衣浦湾岸

すぐ目の前にいたカラスは逃げることはなかったが、
片目はしっかりこっちを見ており、左右の翼はしっかり畳むのではなく、
いつでも飛び立てる体制をとっていた(写真左)。
カラスから離れた場所の芝生に腰を下ろして休んでいると、
こちらが何もアクションを起こさないと悟ったからなのか、
カラスは突然、空高く舞い上がって、
八ツ崎貝塚(やつさきかいづか)上に枝葉を広げている
樹木の上空に飛び去った。
何だ行ってしまったのかと、八ツ崎貝塚碑を撮影していると、
八ツ崎貝塚上の西の端にまとめ植えされていた、
クロガネモチではないかと思われる樹木の根元に降りてきて、
こちらを気にする事もなくせっせと根元で動き回っている(写真中)。
6月の初旬なので、まだ、果実の落ちる季節ではない。
一体、何をしているんだろう。
すごく気になったが、邪魔する事もなく、八ツ崎の北側を流れている
恩田川を観に行った。
恩田川は北側の堤防はしっかりコンクリートブロックで護岸され、
一方、南側(八ツ崎公園側)は雑草で覆われた土手になっている川だった。
このあたりで、川幅は20mほど
堤防上から水量の少ない川面までは4mほどだろうか。

フォト

上記の写真は左手が八ツ崎公園で左奥に貝塚の高台があり、
右側のガードレールの外側が恩田川だ。
つまり、八ツ崎貝塚の見えている北側斜面が
縄文時代早期後半には海岸線だった場所だ。
ガードレールのある道路の標高が5mほどで、恩田川の川床と、
恩田川の北側(写真右端)の堤防下に広がるかつての水田地帯は
標高が1mほど。
つまり、八ツ崎貝塚の北側の土手から北側(写真右手)はすべて
衣浦湾(きぬうらわん)の入江だったことになる。

そこで、海進MAPで当時の海進5mで海岸線の状況を
シュミレーションしてみると、下記MAPのように海岸線は見事に
八ツ崎貝塚の北側に迫っていることが確認できた。

フォト

当時も恩田川があったかは不明だが、
逢妻川(あいづまがわ)と境川(さかいがわ)の河口は
もう少し上流にあった事になる。

そして、標高8m近い八ツ崎貝塚からは出土したものが
刈谷市郷土博物館に展示されていた。
その一つが、多くの古代遺跡から出土する
石鏃(せきぞく:矢じり)2点だった(写真右)。
黒っぽい石と白っぽい石を使用した石鏃だった。
もちろん、石鏃のすべてが手作りだが、
石鏃は人類が手作りしたものの中で最多の物質ではないだろうか。
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