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2020年06月27日21:43

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愛知県刈谷市中手山貝塚FIN さえのかみの木

中手山神明社は本殿の東側に2社の境内末社が並んでいる。

フォト

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上記写真の一番左端に回廊と回廊から覗いている本殿があるが、
ともに瓦葺で軒下が白壁、
白壁の下が黒紅に染められた下見板張り壁になっていて統一されている。
その本殿のすぐ右隣に位置している本瓦葺切り妻造平入の
やはり木部が黒紅に染められた境内末社が秋葉社で、
ここの場合は祭神は三尺坊ではなく、
明治政府御用達の迦具土命となっている。
その隣の朱地に「稲荷大明神」の文字を白抜きした幟の林立する
参道を持つのが境内末社稲荷社だ。
こちらの祭神も『日本書紀』系の倉稲魂命(ウカノミコト)となっている。

   本殿    内宮    境内末社 外宮
祭神 大日孁貴尊=天照大神  倉稲魂命=豊受大神 

本殿祭神大日孁貴尊(オオヒルメ)と境内末社祭神倉稲魂命の関係は
内宮と外宮の関係と相似である。
稲荷社の社殿も瓦葺で軒下の壁が白壁、木部がすべて黒紅に染められ、
本殿と共通している(写真左)。
屋内を見ると、旧い流造素木の社(やしろ)が納められていた(写真中)。

朱の幟の林立する稲荷社の参道脇や拝殿前右脇には
エノキの古木が幹を延ばしていた。
『中手山神明社由緒書』によれば、
この境内は有数のエノキの繁殖地だというが、漢字名「榎」は
「夏に陽陰を作るための樹木」であることを示しているといい、
必然的に神社の境内や公園で見ることの多い樹木だという。
『樹木と野草の写真』(http://www.jugemusha.com/jumokuF.htm)の
「エノキ」の項目には以下のようにある。

◇◇◇◇◇◇◇◇
【榎】
(※名称に関して)いろいろな解釈はあるが定説は無い。餌の木(小鳥が好む)、枝の木(枝が多い)、柄の木(器具の柄に使われた)、よく燃えるので燃え木など。さえのかみ(道祖神)の木→「さえのき」の説も。

 学名 Celtis sinensis
 別名 エ、エノミ(榎の実)、エノミノキ、エンノキ、ヨノキ、ヨノミノキ
    朴樹(中)
 分類 ニレ科エノキ属 (落葉高木)
[原産・分布]
 本州、四国、九州。朝鮮、中国、台湾、ベトナム、ラオス、タイ。
[種子]
 種子の大きさは5mm、表面に皺があり、ひび割れ模様ができる。鳥の消化器を通過できるように充分に堅い。

〈こぼれ話 「一里塚」からの抜粋〉
古くは平安時代末期に奥州藤原氏が里程標を立てたのが始まりとされる。室町時代の一休和尚の歌に「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」があり、一里塚の言葉は一般化していたことが分かる。
江戸時代に主要街道の整備と共に一里塚も整備された。その整備の際に、並木としては松や杉を植え、一里塚にはエノキが植えられた。エノキは成長が早く枝を繁らせ、よく根を張るので塚の土盛りが崩れるのを防ぐので採用されたと解釈できるが、いろいろな説がある。当時の総奉行大久保長安が「一里塚には余の木(松以外の木)を植よ」との家康の命を聞き誤りエノキを植えた、という説が面白いとしてあちこちで紹介されている。明治36年刊行の「大日本有用樹木効用編」には、エノキは生でも燃えやすいので軍事上、夜戦のときに使うことができるとして植えられたという説が紹介されている。
実際に五街道の一里塚の樹種を調べるとエノキは過半数(55%)を占め、以下、松、杉、栗、桜と続くようだ。塚の大きさは一般に五間(9m)四方、高さは一丈(3m)で、道の両側に作られたのでかなり大がかりなものだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
※=AYU注

個人的には、さえのかみと結び付けられている名称由来が面白い。
拝殿脇の、この境内でもっとも大きなエノキを下から見上げると、
幹の太さからは想像しにくい細かな枝がすごく多く(写真右)、
エノキの名称由来説の一つ、
枝が多い「枝の木(エノキ)」説があるのも不思議ではない。 
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