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2020年06月24日22:31

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愛知県刈谷市中手山貝塚1 アカニシの環境

天子神社貝塚(あまこじんじゃかいづか)の南西1kmあまりに位置する
中手山神明社に向かった。

フォト

当初、中手山神明社は天子神社貝塚周辺の神社ということで
向かったのだが、
中手山神明社に関する1本目のブログを書来上げたところで、
『中手山神明社由緒書』の「境内地」の項に
以下の文があることに気づいてしまったのだ。

「境内地を中心に貝塚が広がっている
 貝塚は縄文時代後期でハイガイを中心にした純貝層が見つかっている」

貝塚の固有名称が紹介されていなかったし、刈谷市郷土博物館でも、
ここの貝塚に関する情報は見た記憶がなかったので、
貝以外には、大した出土物の無い貝塚なのかもしれないと思ったのだが、
ネットで調べてみると、「中手山貝塚」という、
ちゃんとした名称のある貝塚であることが判明した。
ただし、中手山貝塚に関しては『まちのたね 愛知』というサイトにあるhttp://www.machinotane.net/aichi/

以下の紹介文がもっとも情報量の多いもので、
写真は中手山貝塚というよりは
中手山神明社を撮影した写真しか見当たらない。

「中手山貝塚 標高は8m前後で、中手山神明社の境内地を中心に広がっている。貝塚は縄文時代晩期で、ハイガイを中心にした純貝層が見つかっている。遺物は元刈谷式土器のほか、石鏃(いしやじり)・石斧などの石器類、矢苔などの骨角器や貝輪、シカ、イノシシなどの獣骨、ハイガイ・アカニシ(※写真左)などの貝類が出土している。」(※=AYU注)

ハイガイは伊勢湾側ではもっとも多く出土している貝だが、
アカニシは愛知県の縄文遺跡を巡っていて、初めての出土例だ。
『旬の食材百科』(https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/)の
「アカニシ・ニシ貝 ◆主な産地と漁獲量」の項にはこんな記述がある。

「アカニシの主な産地として知られているのは愛知県の三河湾や熊本県や福岡県などに面する有明海、それに瀬戸内海など。」

中手山貝塚の西側を流れる逢妻川(あいづまがわ)・境川は
ともに三河湾に流れ込んでいる川であり、縄文海進期には
このあたりの逢妻川・境川は三河湾内だった(MAP中)。
つまり、縄文時代から現在に至るまで、
この地はアカニシの主産地だったという訳なのだ。
ただし、現在では

「黒海に面するトルコやブルガリアなどから大量に冷凍物が安く輸入され、屋台などで売られている串焼きなどで売られている。」

ということで、競馬場や夜店の屋台などでは
「サザエの○○焼き」などと言われて食べられている可能性がありそうだ。

ともかく、中手山神明社に着いてみると、
ここにやって来たのは2度目になることに気づいた。
前回、やって来た時にも由緒書を見ているはずだが、
貝塚にはまったく興味がなかったので、記憶に無かった。
愛車で住宅街の間に延びる舗装路をたどって、砂地の境内に入ると、
東向きに「神明社」と刻まれた社号標が立っており、
周囲にスクーターや乗用車が駐車されていた(写真右)。
こちらも社号標脇に愛車を駐車した。
駐車場(?)の南側(写真左 左奥)は数メートル低くなっており、
境内が丘陵上にあることが判る。

下記写真のように、社号標の南側から開けている南々西方向を眺望すると、
すぐ眼下の畑地と、その向こうのさらに低い場所に
田畑地が広がっているのが判るが、
その右奥に見える薄い影になっている線は逢妻川の堤防の土手だ。

フォト

一方、左手から半島のように田畑地に向かって突き出している
丘陵部の上は住宅で埋まっている。
住宅の下にはカーブしている用水路の堤防土手が設けられ、
住宅側の土手はコンクリートで護岸されている。
この住宅と護岸の様子から、かつて、逢妻川の堤防の決壊があったことが
容易に想像できてしまう。
しかし、縄文期のこの低地部分はアカニシが生息するに適した
遠浅の内湾や干潟だったのだと思われる。
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