本刈谷貝塚(もとかりやかいずか)のある本刈谷神社の社頭は、
その拝殿の南南東140mほどの場所にあり、
アスファルト舗装された表参道は一般道の車道と兼用になっている。
(写真左)
「本刈谷神社」と刻まれた社号標が
表参道の始まりから5mほど引っ込んだ場所の左手に設置され、
その前には銅板葺屋根を持つ立派な板書が設置されている。
一ノ鳥居は30mほど奥にあり、表参道を跨いでいる。
参道の右手は松並木、左手は桜並木となっている。
一ノ鳥居は石造の八幡鳥居。
これは本刈谷神社の祭神のうちの一柱、
誉田別命(ホムダワケ)に対応したものだ。
かなり古びた石造の社頭額にも「本刈谷神社」と浮き彫りされている。
その一ノ鳥居の麓からは50m以内にあるニノ鳥居が見えている。
表参道を辿ってニノ鳥居にたどり着くと、同じく石造だが、
楔(くさび)を使用していない八幡鳥居だった(写真中)。
鳥居の奥60m以内に位置する拝殿が見え、
そこに向かって表参道が一直線に延びているのだが、
二ノ鳥居は少し左に振ってあり、拝殿は右にズレているように見える。
参道を進んで入母屋鉄筋造の拝殿前にやって来ると、
右手に牛の石像が設置されているが、
これは本刈谷神社の祭神のうちの一柱、菅原道真公に対応した使いの牛だ。
この神社には複数の由緒書が掲示されているが、
そのうち社頭に掲示されている教育委員会の製作した案内書には
こう書かれていた。
「元刈谷地内にあった八雲社・北野社・球磨村地内にあった八幡社の3社が大正2年に合祀されて、八雲社のあった場所に奉還して本刈谷神社とした。3社の祭神であった須佐之男命・菅原道真公・誉田別命を祀っている。」
また、駐車場に設置されている黒御影石造の板碑によれば、
八幡社(旧称牛頭天王)は文武天皇の代(大宝年間)に創建。
北野社は旧称を野口天満宮と言ったとあり、
八雲社は伏見天皇の代(氷仁三年)に創建とある。
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