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2019年11月20日21:44

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星宮社の巨石 記録のない巨石

瑞穂2号墳に残っている石を観ていたら、
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973715179&owner_id=350761

以前から古墳である可能性があるとみてきた星宮社の摂社である
上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)と下知我麻神社の祀られた
星宮社本殿裏面の頂の脇にある巨石が気になってきたので、
改めて、その巨石を目的に星宮社に向かった。
星宮社は瑞穂2号墳の南々西1.9m以内の
名古屋市南区本星崎町(もとほしざきちょう)に位置している(MAP左)。

いつものように南向きの社頭を流れる暗渠の
地表に設けられた遊歩道に愛車を駐め、星宮社拝殿の東側から
本殿裏面の丘陵上に登って行くと、
上知我麻神社・下知我麻神社に向かう参道脇に、その巨石はあった。

フォト

石を目的にやってきて、今更ながら、
この丘陵上には多くの石が持ち込まれていることを再確認した。
しかも、その数やバリエーションは半端ではなく、
こんなに多くの石が持ち込まれている神社は他に記憶が無い。
目的の巨石は星宮社にある石の中でも最大の石で、
長辺は2mほどで、花崗岩だと思われる。
上記の写真のように巨石の前、左右に、大きさは全く異なるが、
石が置いてあり、3つの石は「コ」の字形に置かれている。
コの字のうち、上記写真の左手前の石は方形に加工されており、
右手前の石は上面だけがかなり正確に、平らに加工されており、
大きな平らに加工された石から割り取った石に見え、
厚みは50cmほどある。
巨石は、こちら側から観ると地面に埋まっている部分があり、
露出部分のみで厚みが60cmはありそうだが、
裏面に回ると、上面はおおよそ平らになっており、
厚みは20cmくらいしか無く、同じ石とは思えない形をしている(写真中)。
思うに、この巨石の断面は
三角形かL字形の部分があるとしか思えない形態をしているのだ。
だから、(写真中)を見ると、一見、空中に浮いているように見えるのだ。
この日は雨の降った翌日で、すっかり湿っているが、
裏面の巨石の下には
蟻が運んできた粒の揃った美しい粒状の砂で蟻塚が築かれており(写真右)、
複数の蟻が出入りする穴が空いている。
そして、一見、蟻塚が巨石を支えているように見えるのだが、
そんなわけはなく、
蟻は石と地面の隙間を利用して塚を構築したのだろうと思われるのだ。
巨石は反対側から見たときには自然石に見えたのだが、
(写真右)をみると、側面の1部にだけ、V字形に欠き取った部分があり、
何かを咬ませるための溝に見える。
となると、この巨石は石室の天井石、巨石の乗っている方の石も
石室のどこかのパーツに見えてしまうのだ。
つまり、人為的に使用された石にしか思えないのだ。
しかし現時点では、ここが古墳であるという説は一切、存在していない。
しかし戦後、DDTを散布されたり、
コンクリート製の土台を住宅に採用するようになって、
居場所の無くなったアリジゴクや蟻も、
神社では生存する環境が残されていることが解る。
明治神宮などでも参拝者は気づいていないが、
農薬は使用していないことから、参道脇の枯葉の積もった場所の枯葉を
ちょっとひっくり返してみれば、
巨大なミミズが大量に存在していることに気づくだろう。

それはともかく、この巨石のある丘陵を海進Mapsで俯瞰してみると、
海進3mの状況で、この丘陵は笠寺台地が
あゆち潟に突き出した岬の先端部にあたるが、

フォト

星宮社は8世紀からここに祀られていたわけではなく、
戦国時代に100mほど北から遷座してきたもので、
巨石は、それ以前から、すでにここにあったものである可能性もあるのだ。
上記、海進Mapsの粕畑貝塚(かすばたかいづか)は
現時点では尾張最古の縄文遺跡、
見晴台遺跡は旧石器時代から縄文時代に至る遺跡である。
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