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mixiユーザー(id:350761)

2019年07月16日21:33

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ヴィーナス&女神ツアー21 イナンナとイサナミ

現時点で、縄文のヴィーナス土偶〈下記写真(C)〉がイナンナである可能性は50%くらいだと思われる。

フォト

〈上記写真(B)〉は縄文のヴィーナス像の少なくとも452年後に制作された
アッカド(バビロニアの北半分の地域)のイシュタル(=イナンナ)像だ。

フォト

縄文のヴィーナス土偶(C)の両腕が省略されている理由は
アッカドのイシュタル像を見れば、推測できる。
脚部は別として、アッカドのイシュタルの細部を省略した像が
縄文のヴィーナス土偶なのだ。
しかし、後代にできたイシュタル像を前代の縄文人が
少なくとも452年前に模倣することはできないから、
縄文のヴィーナス土偶を制作した縄文人は
アッカドのイシュタルと同様の像を参考にしたはずだ。
否、縄文のヴィーナスより少なくとも1,000年前に
山梨県では縄文のヴィーナスと同様の土偶〈上記写真(D)〉が
制作されているから、少なくとも2,300年も前に山梨県の縄文人は
アッカドのイシュタル像(B)と同様の像を目にしていたことになる。
山梨県土偶(D)と縄文のヴィーナス土偶(C)の脚部だけが
オリジナル(アッカドのイシュタル(B)タイプの像)と似てないのは、
脚部だけが細くて、上手く焼けなかったか、
出来上がったものが上手く立てられなかったので、
太く変更したものと推測できる。
しかし、紀元前4,500年以前に
アッカドのイシュタルタイプの像が日本列島に存在したとするなら、
それはアッカドが成立した、少なくとも2,000年以上前のことになる。
実はアッカドのイシュタル像(B)のエロチックなポーズには意味がある。
このポーズはバビロニア神話に基づいたもので、
イシュタル(=イナンナ)がエンキ(生命と回復を司る神)や
エンリル(シュメールの最高神)を誘惑しているポーズなのだ。
だが、バビロニア神話に基づいたポーズをした像が
バビロニア建国(紀元前3,200年頃)の1,300年前に、
すでに日本列島に存在したことになる。
つまり、シュメールの楔形文字だけではなく、
バビロニア神話もまた、日本列島発祥である可能性があることになる。
イナンナの名は『ホツマツタヱ』には見えない。
しかし、イナンナの系譜(龍蛇族)とみられる
イサナミの名は記述されている。
イナンナが日本列島に存在したとするなら、
『ホツマツタヱ』の記載以前の時代ということになる。

ところで、アッカドのイシュタル像(B)の造形が精緻なことに比して、
縄文のヴィーナス(C)や山梨県の土偶〈上記写真(D)〉は
プリミティブな仕上がりである。
やはり、バビロニア人より縄文人は未開人だったのだろうか。
そうではない。
それぞれの像の制作目的がまるで異なるのだ。
アッカドのイシュタル像(B)やレスピューグのヴィーナス〈上記写真(A)〉は
耐久性が必要なことから、マンモスの牙、石灰岩、メノウなどを素材として
制作された像だったが、その使用目的はさまざまな説があり、
確定していないが、自立しにくい像であることから、
携帯されたものとみられている。
一方、縄文時代の土偶は制作後、短期日に破壊して、
死者の周辺にばら撒かれ、
死者とともに土壙(どこう)などに埋納されるのを目的としたものなのだ。
だから、破砕しやすく土に同化しやすい、土を素材とした偶像なのだ。
それは、耐久性は求められてなく、
鑑賞・使用目的の継続される精緻な造形は最重要な要素ではない像なのだ。

そして、多民族の入り混じる中近東で、豊穣の神であり、戦闘神である
イナンナを祀る理由は解るのだが、
基本的に闘争の存在しなかった石器時代〜縄文時代の日本列島に
なぜイナンナが制作されたのか解らないし、
バビロニア神話の元が日本列島にあるはずも無いのだ。
これに関しては、現時点では解けない謎だ。
もう一つの謎、アッカドのイシュタル(B)にある
ヘソから上に伸びるスリットだが、何なのか気になっていたのだが、
同じものが山梨県の土偶(D)にはあり、縄文のビーナス(C)には無い。
ファスナー?
山梨県の土偶(写真左:D)は、
マヤのイナンナ(写真左:G)との間に2つの共通点がある。
まずはヘルメットの中央の「蕨紋=イナンナの渦巻き」だ。
次に、山梨県の土偶(D)が左右に伸ばしている、
スリットの入ったアザラシのような手(by 学芸員)だ。
しかし、この手の指の本数は右手は5本だが、左手は4本になっている。
このことは指ではない可能性を示している。
マヤのイナンナ(G)を見ると、“アザラシのような手”の原型がみられる。
マヤのイナンナ(G)のこれは仮面の装飾のようになっている。
この装飾はシュメールの粘土板『イナンナ女神の歌』の
イナンナの翼(写真中)が原型だと思われる。
しかし、原型と思われる粘土板『イナンナ女神の歌』は
現在の歴史認識では、山梨県の土偶(D)が制作された時点では
存在していなかったものなのだ。
この矛盾と謎を解くには『イナンナ女神の歌』の粘土板が
日本列島からシュメールに渡り、次にマヤに渡ったと考えるしかないのだ。
山梨県の土偶(D)製作者とマヤのイナンナ像(G)製作者は、ともに
『イナンナ女神の歌』粘土板を見ているのだ。
となると、アッカドのイシュタル像(B)もそのオリジナルかコピーが、
やはり日本列島からアッカドに渡ったと考えるしかない。

ついでだが、(写真中:D)の山梨県の土偶にも
シュメールの楔形文字「10」を見つけてしまった。
しかし、「10」が二つあるので戸惑った。
「20」ではこの土偶がイナンナではなくなってしまうからだ。
しかしこの問題は翼の分割数「右=5/左=4」で解決した。

イナンナ
17 7=15(10+5)

イサナミ
1373=14(10+4)

山梨県の土偶の右半身が合計15でイナンナ。
左半身が合計14で、イサナミ。
ともに天空から渾沌とした大地を見下ろしていた一族なのだ。
山梨県の土偶はイナンナの系譜(龍蛇族=レプテリアン)である
イサナミ像と解読できるのだ。

話を戻すが、ヨーロッパにも日本列島にも、
豊穣の神・地母神は存在したが、
茅野駅前縄文公園に寄った翌日、偶然、遭遇して見学することになった、
井戸尻歴史考古館に掲示されていた
レスピューグのヴィーナス像(A)を紹介したパネルにはこうあった。
ヨーロッパではおよそ3万年前の旧石器時代に制作された像が
各地で出土しており、その多くは豊満な身体を表現しているが、
中には腰のくびれた像もあり、その像高は、ほとんどが10cm以下で、
以下のような共通点があるという。

1 基本的に顔が表現されていない
2 胸が豊満に強調されている
3 腹部が広がり、腰幅が広い
4 臀部が後ろに突き出している
5 ひざ下がスリムで自立できない
  (身に着けて携帯していたものとみられる)

地母神のうち、像が制作されたものを「ヴィーナス像」と呼ぶ場合がある。
このレスピューグのヴィーナス像(A)とアッカドのイシュタル像(B)は
腰の大きな張り方と脚のスリムな表現に共通点があり、
少なからず、イシュタル像が
ヴィーナス像の影響を受けていることがうかがえる。

最古のヴィーナス像が(写真右:E)の
ホーレ・フェルスのヴィーナス像(ドイツ)だが、
旧石器時代(3万5千年から4万年ほど前)に制作された像で、
クロマニヨン人の姿を表現したものとみられており、
このヴィーナス像をイナンナとみる人は居ないだろう。

一方で日本最古の土偶とされているのは紀元前11,000年頃に制作された
三重県松阪市の粥見井尻土偶(かゆみいじりどぐう)だが、
http://story.kankomie.or.jp/story/to/

(写真右:F)は同じく紀元前11,000年頃に制作された滋賀県東近江市の
「永源寺相谷土偶(えいげんじあいだにどぐう)」と呼ばれている土製品で、
ホーレ・フェルスのヴィーナス像が全高60mmなのに対し、
全高は31mmしかない。
つまり、永源寺相谷土偶は土偶である可能性は低く、
実際、無傷で出土している。
土製品ではあるが、身につけていたという説のある
ヨーロッパのヴィーナス(地母神)像に当たるものである可能性がある。
上記、ヨーロッパのヴィーナス像の5つの特徴のうち、
永源寺相谷土偶には5のひざ下が存在せず、
4のお尻も、裏面の写真を見ると、お尻の無いトルソなのだが、
お尻が後ろに突き出している始まりは感じさせない。
しかし、パーツのある1、2、3の条件は
完全に“ヴィーナス”に合致している。
「永源寺相谷土偶」ではなく、「永源寺相谷土製品」、
あるいは、この像こそ「永源寺相谷のヴィーナス」という名称に
変更するべきだ。
粥見井尻土偶より、圧倒的に美しいのだから。

地球の神であり、胸が大きく、諍いとは無縁な地母神(ヴィーナス)と
天空からやって来て、胸が大きくもなく、豊穣の要素など無かった
エロスと戦闘の神イナンナは、全く別の存在だが、
その関係は、日本神話の大国主と天孫族の関係と相似だ。
しかし、イナンナが偶像化されるにあたって、
地母神の豊穣の性格が習合され、
その姿もヴィーナス像と習合して行ったものと思われる。
だから、『イナンナ女神の歌』のイナンナ(写真右)と
アッカドのイシュタル(B)はエロスの要素を別にすれば、
全く似た点が存在しないのだ。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月19日 20:12
    >イナンナが偶像化されるにあたって、
      地母神の豊穣の性格が習合され、
      その姿もヴィーナス像と習合して行ったものと思われる。
        ↑
     水野拓氏の説によれば、温暖化にともなう農耕開始が世界観に変化を与え、豊穣の神「大地母神」を生んだが、「大地母神にしても蛇にしても、ともに豊穣のシンボルです。大地母神が蛇の呪力を模倣呪術によって取り込むことに成功したとみなすべきか、あるいはまとわれていた蛇が大地母神の力を我が物にしたと考えるべきか、どちらかはわかりません」とします。 ※
     
     「イナンナの系譜(龍蛇族)」が大地母神との「習合」を容易ならしめた、と水野説を敷衍して推測するものです。

    ※ヴェルム氷期の終わりと竜の誕生
     1万年前、ヴェルム氷期が終わって、地球の温暖化が始まり、植物の生育に好適的な時代を迎えたときから、農耕というものが開始されたようです。それから、数千年経って、紀元前約5千年前にメソポタミアに人類最古の文明であるシュメール文明の発祥となる定住農村が築かれることになります。最終による流浪生活から農耕による定住生活へ、この変化をもたらしたのは農耕をする際に栽培対象とした穀物による事が大きいと考えられます。・・・栽培面積を広くすれば増収が可能であり、採集による食料確保よりも、一定の地域で大人数の人口を支えることが可能になります。・・・このように採集だけで食料が入手できた豊穣の時代が終わり、収量は大きいけれども働かなければ日々の食料を入手することができない、農耕と牧畜の時代が始まったことが大きな世界観の変化に繋がっていくことになります。・・・農耕によって、作物を取り入れるようになり、“大地の恵み”という言葉を改めて実感した人々は、大地に対して神聖さを認め、農作物を生み出すような存在と大地をみなし、ここに大地母神信仰が始まります。しかし、蛇信仰も完全に廃れたわけではありません。過去の豊穣のシンボルとして、(脱皮による成長という神秘性、不老不死、一噛みによってたやすく命を奪うといった特別な能力を有する)蛇が信仰されていた地域も多かったことでしょう。・・・そして、大地母神にしても蛇にしても、ともに豊穣のシンボルです。大地母神が蛇の呪力を模倣呪術によって取り込むことに成功したとみなすべきか、あるいはまとわれていた蛇が大地母神の力を我が物にしたと考えるべきか、どちらかはわかりませんが、いずれにしてもこれらが同一視され、それらはやがて一体化したのでしょう。・・・蛇の姿と人の姿を合わせ持ち、人の及ばぬ能力を有した、それまで全く考えられたこともなかったであろうその存在―すなわち、“龍”と呼ぶにふさわしい存在が誕生したのです。P185〜193
    (『龍の伝説』 水野 拓 著 光栄)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月19日 22:40
    >AKKIY さん

    >水野拓氏の説によれば、温暖化にともなう農耕開始が世界観に変化を与え、豊穣の神「大地母神」を生んだ

    >1万年前、ヴェルム氷期が終わって、地球の温暖化が始まり、植物の生育に好適的な時代を迎えたときから、農耕というものが開始されたようです。

    現時点で最古の地母神像であるホーレ・フェルスのヴィーナス像が制作されたのは紀元前38000年〜33000年とされているのに対し、この日記に登場している最古のイナンナ像=山梨県坂井考古資料館縄文土器はシュメール建国以前の紀元前約5500年〜紀元前4500年ですから、イナンナ像より地母神像の方が像としては、ざっと30000年早いのです。
    地母神は蛇女神キ(=シュメール神話の大地の神ニンフルサグ:神聖数5)であり、エンキ&エンリルの妹に当たりますから、シュメール神話ではイナンナの叔母にあたる存在です。
    ニンフルサグ、イナンナともに龍蛇神ですが、ニンフルサグにはエロスと戦闘の要素は見られません。

    Wikiの情報によれば、現時点で最古の農耕の起源は23,000年前のイスラエルのガリラヤ湖岸でオオムギ、ライムギ、エンバク、エンメルが発見されたものとなっています。
    現時点の情報では農耕の起源より地母神像の方が15000年旧いのです。
    地母神が農耕と結びついた神であるなら、今後、農耕の痕跡はもっと旧いものが見つかる可能性がありますが、現時点では農耕開始が「大地母神」を生んだとは言えないことになります。
    そして、おそらく、温暖化の始まりと農耕の開始も無関係である可能性が高いです。
    なぜなら、農耕の最古の起源である23,000年前というのはちょうど、急激に寒冷化した時代なのです。
    これは日本列島でも同じで、縄文時代後期に農耕が始まりましたが、後期は寒冷化に向かっている時代なんですよ。
    寒冷化が始まって食糧事情が悪くなったから、農耕が発達したと考えるべきなのでは。
    縄文人はタフで知恵がある民族なんですよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月20日 07:39
    > AYU様
     >現時点の情報では農耕の起源より地母神像の方が15000年旧いのです。
        ↑
     後の時代となり「大地母神」が「農耕豊穣」につながったとすると、それ以前の「大地母神」は子孫繁栄を意味したものであるのかも知れません。

     精読を漸くおえ読書感想文(ブックレビュー)に書き込んだ 『科学者が人間であること』(中村 桂子著 岩波新書)で得たいつもながらの「右から左」への受け売りの知識をもとに下記の3件を思いつきました。

                                   記

       嵎譴覆訛臙蓮廖瓠崑臙亙貎澄廚紡个垢襦嵒磴覆覿」=「天空父神」
     ◆岼Δ凌澄廚函崟鐺の神」という二面性を保有するにいたった「大地母神」
     5楝賢治がもっていたとされる自然観「自然を固定的なものと思わず、変わるもの、時には一時には変えられるもの」、「同時  に、決して自然が人々に優しくはないこと、コントロール仕切れるものではない」 ※

     大妄想:
     
     当初は子孫繁栄希求の象徴であった「母なる大地」=「大地母神」は、禾穀豊穣を具現化する農耕民にとって「愛の神」となった。
     その後、龍蛇の象徴でもある雷雨に代表される天候を制御する「一時には(自然を)変えられるもの」という受動的な自然観から能動的な自然観が「「天空父神」が元来保有していた「戦闘の神」という性格を「大地母神」が兼備させ、二面性を具有する「大地母神」へと変容させた。

     この変容はアマテラスにおける「両性具有」にその痕跡となって示されている。

     「西欧のキリスト教世界では、理性こそ神が創り給た自然を知る方法であるという方法であるという価値観が浸透しており、その具体的活動が科学」P158 (『科学者が人間であること』 中村 桂子著 岩波新書)というキリスト教の自然観が、「大地母神」の二面性を補強するものとなった。


      自然はコントロールできるか
     宮沢賢治の自然との向い合い方について、吉本隆明さんが、没後に刊行された『宮沢賢治の世界』(筑摩選書)で『グスコーブドリの伝記』の例をあげて、次のように述べています。「当時、大正末年にこういうことをかんがえたのは宮沢賢治だけで、自然というのはどうしようもないというのではなくて、自然は変えられるというのが、宮沢賢治の重要な思想だとぼくはおもいます」と。たしかに、溶岩の流れる道を変えたり、噴火を起こして炭酸ガスの濃度を変えるなど、かなり極端な例が出てきます。P170
     科学技術時代の価値観で『グスコーブドリの伝記』を読むと、願望をも含めて、吉本のように受けとめることになるでしょう。しかし、賢治の根底にあるのは、自然を動かすという思いではなかったと思います。賢治が思うのはまず人々の暮らしです。P171
    農林水産業、つまり第一次産業は複雑な自然を相手にするものですから、計画通りにはいきません。村の中でそのような苦労を目にした賢治が、村人がその苦労から自由になることを願うのは当然です。P171
     賢治は自然の手強さをよく知っていました。彼が自然を固定的なものと思わず、変わるもの、時には一時には変えられるものと思っていたことは確かです。自然をよく見ているのでそれが見えてきたのです。そして同時に、決して自然が人々に優しくはないこと、コントロール仕切れるものではないことをも知っていました。P172
    ですから肥料をまいた時には、おかしなことをするからオリザが倒れてしまったではないかと農民が抗議をしたという話があるのです。恐らくこれは実体験でしょう。賢治がよかれと思って肥料の改善を勧めてもうまくいくものではないことを身に沁みて感じていたのだと思います。最後の噴火のコントロールもそのためには犠牲になる人がいるわけで、自然の怖さを示しています。
     ですから、賢治の自然観を、人間は自然を変えられると考えていたとするのは言い過ぎだと思うのです。P172
    (『科学者が人間であること』 中村 桂子著 岩波新書)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月20日 11:17
    >AKKIY さん

    >自然というのはどうしようもないというのではなくて、自然は変えられるというのが、宮沢賢治の重要な思想だとぼくはおもいます

    この思想を強く感じたのがハリウッド映画『トランスフォーマー』でした。
    米軍はトランスフォーマーであるバンブルビーを破壊しようとするのではなく、捕獲しようとします。
    日本人にはとてもゴジラやキングコングや恐竜や得体の知れないロボット生命体を捕獲してショーに出して儲けようとする発想はありません。
    『キングコング』や『ジュラシック・パーク』シリーズは全て、そうした商売人が問題を起こすことでドラマとして成立しているのです。
    その先にあるのが地震兵器や核爆弾、気象兵器です。
    https://www.youtube.com/watch?v=dmTT9HN-sOw

    レイライン上に火山が多いのも、意図的に噴火させて構築するのが可能だったからと考えています。
    そういう意味では栗本慎一郎説のように多くのレイライン上に位置する富士山は人工的に造られた山である可能性が高いと考えています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月21日 21:44
    > AYU様

     「ゴジラやキングコングや恐竜や得体の知れないロボット生命体」、「火山」を科学の力で本当に制御できる、と信じることができる、と確信する人々がいるのでしょうか。

     そうした西欧社会の風土のなかで、列島では好評ながら、彼の地では必ずしも評価が高くないともきく映画『アルマゲドン』に登場する(地球と衝突する危険性のある彗星の軌道を変えるために小惑星を爆発させる石油採掘員)ハリー・スタンパー(ウォルター・ブルース・ウィリス(Walter Bruce Willis)の自己犠牲となる姿を想起するものです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月21日 22:11
    >AKKIY さん

    月と木星は地球に衝突する巨大隕石の盾にするために人為的に配置されたとする説があります。
    だから、月の裏面は表面と違って、隕石の衝突でできたクレーターだらけです。
    月に関しては、そもそも、地球を一周するのにぴったり合わせて、自転も1回転するなんてことが偶然出来上がるなんてありえないでしょう。

    『アルマゲドン』は円谷英二の『妖星ゴラス』のパクリですね。
    ハリウッドのスタジオにガソリン撒きにいく馬鹿者が出現しないことを願います。
    『アルマゲドン』では衝突してくる小惑星の軌道を変えようとしますが、『妖星ゴラス』の場合は何と、向かってくる矮星ゴラスではなく、巨大ロケット推進装置で地球の軌道の方を変えようとします。

    ところで、現在選挙速報番組に出ている池上彰ですが、山本太郎の名前が出た時、知らないフリしましたね。
    最後までれいわ新撰組を完全無視するのかどうか、楽しみです。
    ちなみに、れいわと山本太郎は支持してませんが、今回の立候補者で、唯一興味を惹いたの人物はれいわの安富歩氏です。
    注目していきたいと考えています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月22日 21:23
    > AYU様
    > 『アルマゲドン』は円谷英二の『妖星ゴラス』のパクリですね。

       ↑
     「列島では好評ながら、彼の地では必ずしも評価が高くないともきく映画『アルマゲドン』」の謎が解けました。


     ところで太陽の黒点を正常化させるためにロケットを抱えて太陽に突入するアトムが自己犠牲となる。
    他者のために「自己犠牲」となる姿はの幸福のため」に死地に向かう『アルマゲドン』ハリー・スタンパーの姿と重なります。
    ちなみに彼は「石油採掘員」ですので、ガソリン入手はお手の物ですが、使用目的は公共の利益のためであると信じています。

     なお、AIの究極ともいうべき「科学の子」であるアトムが「人間の心」を獲得しているかに驚くとともに、アトムそしてハリー・スタンパーの姿勢が戦中の「肉弾三銃士」とどのような差違があるのか、どこか「危ういもの」を秘めているようにも思います。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月22日 22:38
    >AKKIY さん

    アトムの人工知能が危機に備えて自分のスペアを1体用意しておくほど賢くはなかったのが残念です。

    >ハリー・スタンパーの姿勢が戦中の「肉弾三銃士」とどのような差違があるのか、どこか「危ういもの」を秘めているようにも思います。

    身を呈して巨大な相手に立ち向かって行くというパターンの原型は高倉健主演の『網走番外地』シリーズ(1965年〜1972年)の全18作品に共通するラストシーンとなっています。
    鉄腕アトムの最終回はアニメの方が漫画より早くて、1966年の大晦日放送でした。
    平成『ガメラ』三部作、第一部『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)のラストシーンは日本列島に向かって飛来する無数のギャオスを、戦闘で片腕となり、よろけながらガメラが見上げ、これから始まる無数のギャオスとの戦いを暗示して終わります。
    このラストシーンを見たとき、頭の中では高倉健の『網走番外地』のテーマ音楽のイントロが流れました。
    これは『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』にも引き継がれていて、渡辺謙扮する芹沢猪四郎博士は、傷ついて、エネルギー補充のために冬眠に入ったゴジラを目覚めさせるために、一人、身を呈します。
    このため、渡辺謙のハリウッド版ゴジラ出演は回想シーン以外無くなり、代わって小栗旬出演となるわけです。
    ハリウッドもトランプに倣って中国&韓国人俳優から日本人俳優への転換を図ろうとしているのを感じます。

    ところで、肉弾三銃士と映画のヒーローたちの違いは、肉弾三銃士が日本陸軍のために犠牲になるのに対して、映画のヒーローたちはみんな人類のために犠牲になるという違いがあります。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月28日 14:10
    > AYU様
     >アトムの人工知能が危機に備えて自分のスペアを1体用意しておくほど賢くはなかったのが残念です。
        ↑
    宮沢賢治のブドリは、「私にそれをやらせて下さい。私はきつとやります。そして私はその大循環の風になるのです。あの青ぞらのごみになるのです。」(P67(『【新】校本 宮沢賢治全集 第12巻 童話 本文編』))と言って「猫の首に鈴をつけに行く鼠。」(P67)(『【新】校本 宮沢賢治全集 第12巻 童話 本文編』)の役を引き受けます。

     ブドリは、クーボー博士の身代わりとなることで 「危機に備えて自分のスペアを1体用意」していたことになります。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月28日 18:21
    >AKKIY さん

    鉄人28号は壊れますが、修復が可能なように、部品がパーツに分解できるようになっています。
    つまり、1体が消滅しても、ずべての部品が揃えられるのですね。
    しかし、再生できなかった、鉄人28号のライバルだったオックスや鉄腕アトムの方に美学を感じてしまうのが日本人、家族が絡めば米国人なんですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月29日 05:37
    > AYU様
    「ライバルだったオックス」に感じる美学、列島における「判官びいき」ということなのでしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年07月29日 09:02
    他己を傷つけるくらいなら、自己が滅びる方がいいという、日本人の美学は、その価値観がバームクーヘンのように重なっていた新撰組隊士の人気に繋がっていますが、時代の推移に従って、その中でも、最も解りやすい沖田総司から→土方歳三→斎藤一というより深層へ注目するという推移がみられます。
    この流れを形成したのが映画・ドラマ・アニメですが、これらの影響で、『Youは何しに日本へ』で斎藤一の墓参にオランダの若い女性が来日するといった、珍現象も起きてることから、アニメの影響は大きいなと思います。
    ただ、こういうのはノーマルな所業じゃない。
    偏向脳のなせる技です。
    個人的なテーマに偏執するジャンク行動です。
    左翼、右翼から偏向報道体質、新興宗教活動、ジャンク・フード、激辛マニア、筋肉マニア、コスプレ、フィギュア収集、二次元趣味、ゲームマニアetc.こういうものにハマると、特殊な脳が形成されてしまうことが解ってきていますが、確実にMixi脳も存在するのでしょう。
    一部の韓国人の反日脳にとって、購入した日本行き航空券を破ってるところをネットにUPしたりするのも、本人にとっては無上の楽しさだということは解ります。
    こういった偏向脳をノーマルに戻す方法の一つが、日本文化を形成してきた日本的ルーティンです。
    家に仏壇があれば、毎日ちゃんと般若心経を上げる、神棚があれば、毎日ちゃんと水を取り替え、参拝する。
    食事の前には「いただきます」と感謝する、こういうことが節々で日本人を基本に戻すチューニングしてくれるわけですが、こういう習慣を壊してしまうものが上記に挙げたジャンク習慣です。
    ゲームにハマっていれば、「いただきます」どころか、食事を抜いても平気になってしまう。
    果たして人類は日本的ルーティンやインド瞑想などの武器を持たずにノーマル脳を防衛することが可能なのでしょうか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月04日 19:17
    > AYU様
     >他己を傷つけるくらいなら、自己が滅びる方がいいという、日本人の美学は、その価値観がバームクーヘンのように重なっていた  新撰組隊士の人気に繋がっていますが、時代の推移に従って、その中でも、最も解りやすい沖田総司から→土方歳三→斎藤一   というより深層へ注目するという推移がみられます。
         ↑
      二輪車のロールスロイスとも称されるブラフ・シューペリアSS100で走行中、対面走行の自転車を避けるべく自ら道路外に進路をむけて死亡したという、アラビアのロレンスのバイク哲学を思いました。 

     「自動車は事故を起こすと他人を巻き込んで死なせてしまう。しかし、オートバイは事故で自分が死ぬことはあっても、他人を死なせてしまうことはない。犠牲的精神を発揮するオートバイは騎士道そのものである」
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月04日 20:20
    >AKKIY さん

    バイクと乗り手の体重は3:1が理想的なバランスです。
    となると、平均的な日本人にとって理想的な愛車は250ccクラスとなります。
    つまり、ハーレーやナナハンではあり得ない。
    以下は愛車と小生のバランスです。

    HONDA Vツインマグナ=183kg
    HONDA フォーサイト=154kg
    小生=60kg前後

    したがって、ロレンスの事故死の根源的な要因は過剰に重い高級車の車体重量だったとみたのですが、ブラフ シューペリア SS100の車体重量を調べたところ、140kgしかないことが判り、ロレンスの体重データが無いものの、濡れ衣だった可能性が高いようです。

    「オートバイは事故で自分が死ぬことはあっても、他人を死なせてしまうことはない。」

    この価値観も4輪車の搭載する、自動ブレーキ機能によって逆転してしまったと言えます。
    さらに4輪車はボディーに人間と同等のタンパク質繊維が採用されるようになる可能性があります。
    この点でもフレームが主構造のバイクは不利です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月05日 00:15
    > AYU様
     二輪車に乗ることが叶わない小生にとっては、目下のところスバルのアイサイトと同等の保護者機能をいつ車に導入すべきかに頭を悩ませています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月05日 05:07
    マイナースポーツのラグビーチームが存在し、『ノーサイド・ゲーム』をスポンサードし、あまつさえ、自社マークをラグビーボール形にしている富士重工業は戦時中は米軍に「葉巻」と揶揄され、すぐに着火してしまう爆撃機一式陸攻を量産して、幾多の戦死者も量産しましたが、戦後も四輪駆動と水平対向エンジンと無駄に厚い鉄板(一式陸攻の反省からか?)という、無益な機能を乗用車に搭載して、長らく嘲笑を浴びてきたものの、RVの影響を受けたSUVブーム到来で、アウディとともに先見の明があった(ともに四輪駆動を乗用車に搭載してきた)と評価が逆転し、無駄に厚い鉄板(北米大陸特化爆撃機富嶽構想の影響から北米でも人気?)から、搭乗者だけを守る思想が走る凶器と揶揄されてきたことから、一早く、自動ブレーキ機能を開発搭載し、金持ちトヨタに後塵を浴びせてきた世界的TOPブランド「スバル」搭載のアイサイトを“普通に美しい乗用車”に搭載したいと考えるのは誰しもあることと思われます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月05日 06:10
    > AYU様
    「我も買う。 いつかスバルを」、というT氏の名文句があったことを想起しました。

    「愛妻と ヴィーナスライン 駆け抜けん」
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月05日 06:33
    >AKKIY さん

    「我は行く さらばスバルよ」もT氏でした。

    江戸東京博物館の最後(=最新)の展示物がスバル360でしたが、令和に入ったことで、平成を代表するものになっってるかもしれません。

mixiユーザー

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