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2019年07月16日21:33

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ヴィーナス&女神ツアー21 イナンナとイサナミ

現時点で、縄文のヴィーナス土偶〈下記写真(C)〉がイナンナである可能性は50%くらいだと思われる。

フォト

〈上記写真(B)〉は縄文のヴィーナス像の少なくとも452年後に制作された
アッカド(バビロニアの北半分の地域)のイシュタル(=イナンナ)像だ。

フォト

縄文のヴィーナス土偶(C)の両腕が省略されている理由は
アッカドのイシュタル像を見れば、推測できる。
脚部は別として、アッカドのイシュタルの細部を省略した像が
縄文のヴィーナス土偶なのだ。
しかし、後代にできたイシュタル像を前代の縄文人が
少なくとも452年前に模倣することはできないから、
縄文のヴィーナス土偶を制作した縄文人は
アッカドのイシュタルと同様の像を参考にしたはずだ。
否、縄文のヴィーナスより少なくとも1,000年前に
山梨県では縄文のヴィーナスと同様の土偶〈上記写真(D)〉が
制作されているから、少なくとも2,300年も前に山梨県の縄文人は
アッカドのイシュタル像(B)と同様の像を目にしていたことになる。
山梨県土偶(D)と縄文のヴィーナス土偶(C)の脚部だけが
オリジナル(アッカドのイシュタル(B)タイプの像)と似てないのは、
脚部だけが細くて、上手く焼けなかったか、
出来上がったものが上手く立てられなかったので、
太く変更したものと推測できる。
しかし、紀元前4,500年以前に
アッカドのイシュタルタイプの像が日本列島に存在したとするなら、
それはアッカドが成立した、少なくとも2,000年以上前のことになる。
実はアッカドのイシュタル像(B)のエロチックなポーズには意味がある。
このポーズはバビロニア神話に基づいたもので、
イシュタル(=イナンナ)がエンキ(生命と回復を司る神)や
エンリル(シュメールの最高神)を誘惑しているポーズなのだ。
だが、バビロニア神話に基づいたポーズをした像が
バビロニア建国(紀元前3,200年頃)の1,300年前に、
すでに日本列島に存在したことになる。
つまり、シュメールの楔形文字だけではなく、
バビロニア神話もまた、日本列島発祥である可能性があることになる。
イナンナの名は『ホツマツタヱ』には見えない。
しかし、イナンナの系譜(龍蛇族)とみられる
イサナミの名は記述されている。
イナンナが日本列島に存在したとするなら、
『ホツマツタヱ』の記載以前の時代ということになる。

ところで、アッカドのイシュタル像(B)の造形が精緻なことに比して、
縄文のヴィーナス(C)や山梨県の土偶〈上記写真(D)〉は
プリミティブな仕上がりである。
やはり、バビロニア人より縄文人は未開人だったのだろうか。
そうではない。
それぞれの像の制作目的がまるで異なるのだ。
アッカドのイシュタル像(B)やレスピューグのヴィーナス〈上記写真(A)〉は
耐久性が必要なことから、マンモスの牙、石灰岩、メノウなどを素材として
制作された像だったが、その使用目的はさまざまな説があり、
確定していないが、自立しにくい像であることから、
携帯されたものとみられている。
一方、縄文時代の土偶は制作後、短期日に破壊して、
死者の周辺にばら撒かれ、
死者とともに土壙(どこう)などに埋納されるのを目的としたものなのだ。
だから、破砕しやすく土に同化しやすい、土を素材とした偶像なのだ。
それは、耐久性は求められてなく、
鑑賞・使用目的の継続される精緻な造形は最重要な要素ではない像なのだ。

そして、多民族の入り混じる中近東で、豊穣の神であり、戦闘神である
イナンナを祀る理由は解るのだが、
基本的に闘争の存在しなかった石器時代〜縄文時代の日本列島に
なぜイナンナが制作されたのか解らないし、
バビロニア神話の元が日本列島にあるはずも無いのだ。
これに関しては、現時点では解けない謎だ。
もう一つの謎、アッカドのイシュタル(B)にある
ヘソから上に伸びるスリットだが、何なのか気になっていたのだが、
同じものが山梨県の土偶(D)にはあり、縄文のビーナス(C)には無い。
ファスナー?
山梨県の土偶(写真左:D)は、
マヤのイナンナ(写真左:G)との間に2つの共通点がある。
まずはヘルメットの中央の「蕨紋=イナンナの渦巻き」だ。
次に、山梨県の土偶(D)が左右に伸ばしている、
スリットの入ったアザラシのような手(by 学芸員)だ。
しかし、この手の指の本数は右手は5本だが、左手は4本になっている。
このことは指ではない可能性を示している。
マヤのイナンナ(G)を見ると、“アザラシのような手”の原型がみられる。
マヤのイナンナ(G)のこれは仮面の装飾のようになっている。
この装飾はシュメールの粘土板『イナンナ女神の歌』の
イナンナの翼(写真中)が原型だと思われる。
しかし、原型と思われる粘土板『イナンナ女神の歌』は
現在の歴史認識では、山梨県の土偶(D)が制作された時点では
存在していなかったものなのだ。
この矛盾と謎を解くには『イナンナ女神の歌』の粘土板が
日本列島からシュメールに渡り、次にマヤに渡ったと考えるしかないのだ。
山梨県の土偶(D)製作者とマヤのイナンナ像(G)製作者は、ともに
『イナンナ女神の歌』粘土板を見ているのだ。
となると、アッカドのイシュタル像(B)もそのオリジナルかコピーが、
やはり日本列島からアッカドに渡ったと考えるしかない。

ついでだが、(写真中:D)の山梨県の土偶にも
シュメールの楔形文字「10」を見つけてしまった。
しかし、「10」が二つあるので戸惑った。
「20」ではこの土偶がイナンナではなくなってしまうからだ。
しかしこの問題は翼の分割数「右=5/左=4」で解決した。

イナンナ
17 7=15(10+5)

イサナミ
1373=14(10+4)

山梨県の土偶の右半身が合計15でイナンナ。
左半身が合計14で、イサナミ。
ともに天空から渾沌とした大地を見下ろしていた一族なのだ。
山梨県の土偶はイナンナの系譜(龍蛇族=レプテリアン)である
イサナミ像と解読できるのだ。

話を戻すが、ヨーロッパにも日本列島にも、
豊穣の神・地母神は存在したが、
茅野駅前縄文公園に寄った翌日、偶然、遭遇して見学することになった、
井戸尻歴史考古館に掲示されていた
レスピューグのヴィーナス像(A)を紹介したパネルにはこうあった。
ヨーロッパではおよそ3万年前の旧石器時代に制作された像が
各地で出土しており、その多くは豊満な身体を表現しているが、
中には腰のくびれた像もあり、その像高は、ほとんどが10cm以下で、
以下のような共通点があるという。

1 基本的に顔が表現されていない
2 胸が豊満に強調されている
3 腹部が広がり、腰幅が広い
4 臀部が後ろに突き出している
5 ひざ下がスリムで自立できない
  (身に着けて携帯していたものとみられる)

地母神のうち、像が制作されたものを「ヴィーナス像」と呼ぶ場合がある。
このレスピューグのヴィーナス像(A)とアッカドのイシュタル像(B)は
腰の大きな張り方と脚のスリムな表現に共通点があり、
少なからず、イシュタル像が
ヴィーナス像の影響を受けていることがうかがえる。

最古のヴィーナス像が(写真右:E)の
ホーレ・フェルスのヴィーナス像(ドイツ)だが、
旧石器時代(3万5千年から4万年ほど前)に制作された像で、
クロマニヨン人の姿を表現したものとみられており、
このヴィーナス像をイナンナとみる人は居ないだろう。

一方で日本最古の土偶とされているのは紀元前11,000年頃に制作された
三重県松阪市の粥見井尻土偶(かゆみいじりどぐう)だが、
http://story.kankomie.or.jp/story/to/

(写真右:F)は同じく紀元前11,000年頃に制作された滋賀県東近江市の
「永源寺相谷土偶(えいげんじあいだにどぐう)」と呼ばれている土製品で、
ホーレ・フェルスのヴィーナス像が全高60mmなのに対し、
全高は31mmしかない。
つまり、永源寺相谷土偶は土偶である可能性は低く、
実際、無傷で出土している。
土製品ではあるが、身につけていたという説のある
ヨーロッパのヴィーナス(地母神)像に当たるものである可能性がある。
上記、ヨーロッパのヴィーナス像の5つの特徴のうち、
永源寺相谷土偶には5のひざ下が存在せず、
4のお尻も、裏面の写真を見ると、お尻の無いトルソなのだが、
お尻が後ろに突き出している始まりは感じさせない。
しかし、パーツのある1、2、3の条件は
完全に“ヴィーナス”に合致している。
「永源寺相谷土偶」ではなく、「永源寺相谷土製品」、
あるいは、この像こそ「永源寺相谷のヴィーナス」という名称に
変更するべきだ。
粥見井尻土偶より、圧倒的に美しいのだから。

地球の神であり、胸が大きく、諍いとは無縁な地母神(ヴィーナス)と
天空からやって来て、胸が大きくもなく、豊穣の要素など無かった
エロスと戦闘の神イナンナは、全く別の存在だが、
その関係は、日本神話の大国主と天孫族の関係と相似だ。
しかし、イナンナが偶像化されるにあたって、
地母神の豊穣の性格が習合され、
その姿もヴィーナス像と習合して行ったものと思われる。
だから、『イナンナ女神の歌』のイナンナ(写真右)と
アッカドのイシュタル(B)はエロスの要素を別にすれば、
全く似た点が存在しないのだ。
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