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2019年05月08日20:17

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愛知県名古屋市粕畑貝塚2 海岸線の縄文貝塚

3月下旬 晴れ
粕畑貝塚跡(かすはたかいづかあと)のある
粕畠町(かすばたちょう:名古屋市南区)に向かった。
「粕畑・粕畠」の「粕」はこの地で盛んであった製塩で発生する
塩の灰汁を意味し、「粕畑・粕畠」は「塩田」を意味している。
江戸時代後期(1822)に成立した尾張藩の藩士・樋口好古が記した地誌
『尾張徇行記』では、初めてこの地(星崎〜笠寺)に
土竈で堅塩(固形の塩)を焼く製塩技術を伝えた人物が
伊奈突智翁(塩土老翁の別名)であると紹介している。
記紀にいうシオツチの名を使用していないのは、
記紀が皇室史観に準拠したものだからだろう。
この地域、笠寺台地の西から南にかけて塩浜が広がり、
「前浜塩」というブランドが成立していたのは江戸時代初期のことで、
中期を過ぎると、赤穂(兵庫県)産の安価で純白な塩との商品競争に敗れ、
衰退した歴史がある。
繁栄期に前浜塩を信州塩尻まで運んだ塩付街道(しおつきかいどう)の一部が
我が母校(小学)への通学路となっていた。

粕畑貝塚跡は粕畠3丁目の
クリニックや企業の営業所、住宅などに囲まれた一角にあり(航空写真左)、
教育委員会製作の案内書『粕畑貝塚跡』が立てられていることから、
それと知ることができるのみの状況になっていた。

フォト

案内書にはこうある。

「現在は壊されて跡形もないが、ハイガイを主体とする貝塚であった。昭和十年(1935)に発掘調査され、出土した土器は東海地方における縄文時代早期後半(6〜7千年程前)の代表的な土器型式で、出土した地名にちなんで〈粕畑式〉と名付けられた。食物繊維が混ぜられ、貝殻で筋や刻み目がつけられていることが特徴の土器である。」

粕畑貝塚跡には北側の路地に面して、
複数種の植物の植えられた土壇が設けられており、
その周囲をU字形に巡ることのできる通路が設けられ、
北向きの、その通路への両側の出入り口に数段の石段が設けられている。
片側の石段を上がって行ってみると、土壇の南側に面してブロック積みの方形の基壇が組まれており、その上中央に
「〓南ム十一面観世音大菩薩」と刻まれた石標、
その向かって右には千手観世音菩薩(写真中)の石仏、
左には「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑が奉られている(写真右)。
これは、この地が笠寺観音(天林山 笠覆寺)の元観音である
小松寺の跡地でもあるからだ。
ちなみに笠寺観音の本尊は十一面観世音大菩薩である。
そして、この地が玉照姫が観世音菩薩石仏に笠を掛けているのを
藤原兼平公が見初めた伝承となって残っている場所でもあった。

この地を縄文海進期のMAPでチェックしてみると、

フォト

見事に松巨嶋(まつこじま=笠寺台地)の南側の突端部に
位置していることが判った。
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