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2018年10月09日22:26

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愛知県一宮市佐野遺跡2 最初に尾張に住み始めたのは誰だ

佐野遺跡案内板によれば,佐野遺跡は縄文時代中期(約5000年前)〜弥生時代時代中期(約2100年前)の遺跡で、標高約10mの木曽川扇状地にほど近い沖積平野に立地した遺跡とある。
佐野遺跡案内板には現在も一宮総合運動場を南北に縦断して流れている
千秋用水の発掘調査風景の写真が掲載されていた(写真右)。

フォト

千秋用水は1942年(昭和17年)に開削されたものだが、
その際に遺物が出土し、1963年(昭和38年)に発掘調査が行われたという。
(写真右)の千秋用水の護岸の石垣を見ると、
右岸(東岸)の石垣の方が使用されている河原石が細かくて出来がよく、
左岸(西岸)の方が石積みが荒く。戦後に補修されたものかもしれない。
案内板に掲載された縄文土器は
縄文時代中期(約5000年前)の大型の深鉢形土器で、
全体の形がわかる数少ない資料のひとつだという(写真中)。
表面に棒で引っ掻いたと思われる平行な沈線文が施されている。
口造にも棒で引っ掻いたと思われる縄目のような模様が入っている。
そして、高台はまだ無いものの、すでに底が平にされ、
置けるように造形されている。
サイズの表記が無いので大きさが想像できない。
ほかに縄文時代中期や弥生時代の土器も出土している。
かって、この地域に海岸線が迫っていたことを示す石錘(漁業網の重り)は
石斧(写真右)より多く見つかっているという。

フォト

案内板によれば、佐野遺跡の最大の特徴は
縄文時代中期の一宮市域で最古の土器が出土していることで、
この場所が一宮市域で最初に人が住み始めた場所であることが
示されていることだという。
そして、この遺跡は濃尾平野の遺跡の中でも最古段階の遺跡であり、
沖積平野に人が住み始めた時代の遺跡だとという。
このことが、尾張一ノ宮がこの地にある遠因になっているのだと思われる。

縄文海進期の伊勢湾周辺に創建された一ノ宮と
その主祭神は以下のとおりだ。

尾張一ノ宮 真清田神社(ますみだじんじゃ) 天火明命
鈴鹿一ノ宮 都波岐奈加等神社(つばきかなとじんじゃ) 
                    猿田彦大神 天椹野命 中筒之男命
伊勢一ノ宮 椿大神社          猿田彦大神
三河一ノ宮 砥鹿神社(とがじんじゃ)  大己貴命

全国の一ノ宮の祭神を見れば、
天孫族が大和国を建国したのではないことは一目瞭然だ。
一ノ宮の成立は一般に11世紀から12世紀にかけてというのが通説だが、
実に藤原不比等が没した300年後でも列島では
国ツ神が中心に祀られていたのだ。
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