ホーム > mixiユーザー(id:350761) > mixiユーザーの日記一覧

mixiユーザー(id:350761)

日記一覧

八大龍王総本殿の拝殿の奥、中央の窓の正面には明るい芋ヶ瀬池(おがせいけ)に浮かぶ、本殿が祀られていた。祀られている神は仏法を守護する八体の龍王とされている。一 難陀(ナンダ)二 跋難陀(ウパナンダ)三 娑迦羅(サーガラ)四 和修吉(ヴァースキ)五

続きを読む

徒歩で向かっていた玉垣の巡らされた朱の建物はおがせ町の石祠前の道路を芋ヶ瀬池(おがせいけ)側に渡った斜め前に位置していた。複数の建物が連なっており、白地の高い幟には「八大龍王総本殿」と墨書きされている。・八大龍王正本殿 慈眼寺・八大龍王総本殿

続きを読む

慈眼寺の八大龍王正本殿の右手(北側)には石仏を集めて基壇上に祀った覆屋が2棟設置されていた(写真左)。本殿前から車道を渡って50m以内に位置する芋ヶ瀬池(おがせいけ)に向かった。芋ヶ瀬池は左右(南北)に広がっているが、向こう岸までは180m以内で、さほど広

続きを読む

炉畑遺跡公園から北東2.1kmあまりに位置する芋ヶ瀬池(おがせいけ)に向かった。周囲複数ヶ所に龍神が祀られている様子があったからだ。龍神は土偶女性像と関係があることから、縄文文明につながるものであるからだ。東西に走る名鉄各務原線とJR高山本線を南側

続きを読む

炉畑遺跡公園内の案内パネルで紹介されていた写真の中に以下の写真があった。その写真「土器棺(どきかん)」のキャプションにはこうあった。「日常で使われていた土器を2つ組み合わせ、亡くなった人を埋葬した棺です。」土器棺には再葬に使用されることのある

続きを読む

炉畑遺跡公園内の掘立柱建物に関する案内も石板に刻まれていた。まず、前の日記の石囲炉(いしかこいろ)と掘立柱建物には、「遺跡保護のため、出土場所から写して復元しています。」との案内書きが入っていたのだが、この案内書きは、この公園内の他の遺跡のす

続きを読む

炉畑遺跡公園内の竪穴式住居「2号住居」のすぐ北側に「3号住居(写真左)」と「4号住居」は並んでいた。3号住居と4号住居は同じ形式のもので、屋根には1・2号住居のような大棟は乗っていない。ただ、檜皮葺の屋根がキャップのように被されている。それで、換気

続きを読む

炉畑遺跡公園内の竪穴式住居は他にもあって、「1号住居」の東側に位置し、園内最南に位置する場所に「2号住居」はあった。1号住居と同様、大棟は檜皮葺になっているが、大棟のボリュームが大きく、ファサードにポーチは存在しない。2号住居も周堤(しゅうてい)

続きを読む

炉畑遺跡公園内に復元築造されている竪穴式住居には「1号住居」の名札が立てられていた。1号住居は縄文時代中期〜晩期(約5,500年前〜約2,800年前)の竪穴式住居で、全体が茅葺なのだが、大棟とポーチの屋根部分は檜皮葺になっている。全体の形は使用材料が角氷

続きを読む

2019年10月下旬 快晴すでに、バイクで早朝に美濃の山岳部に入るのは無理な気温になっていたので、この年、快適に美濃に行ける最後の機会になるだろうと、平地にある各務原市内(かかみがはらしない)の縄文遺跡である、炉畑遺跡(ろばたいせき)に向かった。住所

続きを読む

和良歴史資料館の隣にある道の駅 和良に掲示された絵地図に記載されていた「蛇穴(じゃあな)」という名称に惹かれて、寄っていくことにした。絵地図では名勝地であることしか判らなかったが、その名称から、縄文遺構と関係がある可能性を感じたからだ。蛇穴は

続きを読む

和良歴史資料館の駐車場から資料館に向かう時、舗装された通路の両側に石碑が立っていたのに気づいていたが、それが、まさかメンヒル(立石)だとは思っていなかった。阿久遺跡(長野県)の写真で見たメンヒルはもっと大きなもので、歴史資料館の庭にある規模(高

続きを読む

和良歴史資料館の展示室に陳列された用具の中には「金泥色彩馬酌」と銘打たれた、家紋で見たような幾何学的な形状のハレの場で使用される道具があった。案内書によると、「馬酌」の意味するように、戦場や行軍時に馬に水を飲ませる器であり、白山神社に奉納す

続きを読む

和良歴史資料館の展示室に陳列された石製品の中には凹石(くぼみいし)と組み合わせて使用する卵型のすり石を進化させたマユ型の石が展示されていた(写真左)。説明書にあるように「打つ・叩く・こする」ことに使用したものだろうが、こうした石に独鈷(どっこ)に

続きを読む

和良歴史資料館の展示室に陳列された石製品の中で、極めて奇妙なものが「御物石器(ぎょぶつせっき)」と呼ばれるものだ。全体は40cmほどの長さの棍棒の形をしており、片方の端はバットのグリップエンドのように、明らかに滑り止めの形状をしている。他にも全体

続きを読む

和良歴史資料館の展示室には愛嬌のある、茶と黒の犬の彫像が展示されていた(写真左/中)。とてもモダンな像で、現代の雑貨店の棚に並んでいれば、現代の商品としか思えないものだ。しかし、ネームプレートには『狛犬一対(市指定重要文化財)』とあった。これも

続きを読む

いよいよ、和良歴史資料館の展示室に入ると、山車のカラクリ人形ではないかと思われる裃(かみしも)を身に着けた侍の人形が展示されていた(写真左)。脇に山車の出た祭りの描かれた掛け軸が掛かっており、以下の文が筆で書かれている(写真中)。「宮地村長尾六右

続きを読む

和良町 戸隠神社から、国道256号線で道の駅 和良に向かい、道の駅の南側に位置する和良歴史資料館の敷地に入った。資料館の建物は5棟の切妻造の建物全体を、コの字型に配置し、内部を一体にした資料館だった(写真左)。裏面を鬼谷川が流れている。駐車場に愛

続きを読む

和良町 戸隠神社中ツ磐座の滝口岩前から、さらに遊歩道を奥に向かうと、右手に、同じ中ツ磐座に属する女岩の前に出た。この磐座は二つに裂けていて、いかにも女陰という形態。裂け目には岩の小片が落ちて挟まっている。案内書『戸隠神社の磐座』には中国から

続きを読む

和良町 戸隠神社の横岩前から、さらに遊歩道の奥には、今度は左手に巨大な岩の上に岩が乗っている磐座があった。ネームプレートには「重ね岩」とある。何と、目指していた磐座だったが、絵地図に紹介されていた写真とは全く様相が異なる。見る角度が異なると

続きを読む

和良町 戸隠神社の石柱から戸隠神社本殿の奥を望むと、暗い社叢に向かう遊歩道が設けられているのが解った(写真左)。そもそも、ここにやって来ようと思ったのは、道の駅 和良(わら)の絵地図に下記のような写真が紹介されていたからだ。こんな格好いい磐座が

続きを読む

和良町 戸隠神社の本殿は切妻造平入の母屋に切妻造平入の向拝屋根を連ねた、初めて見る形式の本殿だった。本殿には3本の御幣が立てられており、三柱の神を祀る形式になっているが、現在の祭神は手力雄命(タヂカラオ)一柱となっているので、単に3種の神饌(み

続きを読む

和良町 戸隠神社の「舞台」は2棟が広場を挟んで向かい合っていた。表参道左手(西側)の舞台も東の舞台と同じ規模の切妻造で、10枚の板戸が閉めたてられ、やはり、棟下の白壁中央には蟇股が装飾されていたが(写真左)、それよりも顕著なのが蟇股に向かって左右

続きを読む

国道253号線から和良町 戸隠神社の表参道に入って突き当たりにある朱の鳥居に向かった。253号線から鳥居まで200mほどだが、鳥居前で表参道を横切っている一般道路があって、その右手前の低地が戸隠神社の駐車場となっていた。明らかに、水田を埋立てて築造さ

続きを読む

線刻のある巨石群から愛車に戻り、国道253号線を道の駅 和良(わら)に向かった。道の駅に着くと、レストランが開いていたので、この土地特有のメニューを物色したが、結局カレーライスにした。この道の駅には和良の名所が書き込まれた大きな絵地図が掲示されて

続きを読む

線刻のある巨石(A)下部に存在する洞窟の中から上を見上げると。南側に位置する巨石(A)と接する北側の巨石との接点は下記の写真のようにごく僅かであることが判る。そして、線刻のある巨石(A)と北側の巨石の両方に人為的な溝と面が設けられているのが見て取れ

続きを読む

線刻のある巨石(A)の東面の下部には夏至の前後役120日間、太陽光が差し込むように人為的に切り取られた空間がある。その空間の右隣、巨石(A)の線刻の下部には巨石(A)と、その北側に接する岩との間に設けられた洞窟が存在する。この洞窟の位置の岩の組み合わせ

続きを読む

恒星アルクトゥルスとトゥバーン(縄文時代中期の北斗七星)の観察ができる巨石(D)の南西の麓からこの丘陵のほぼ同じ高さに位置しており、金山町 妙見神社の神域を取り囲む巨石の1つで、北斗七星の刻まれた巨石Eを望むことができた(写真左)。そこから少し南東

続きを読む

線刻石のある巨石群に存在する巨石(D)の東側から北側、西側を巡って南側に降りてきて、巨石(D)を見上げたのが、(下記写真カ)だ。巨石(D)の中央には縦に人為的な溝が設けられているが、紀元前2800年頃(縄文時代中期)の春分の日、この溝を午前0時に真下から見上

続きを読む

🌞鼠橋
2020年01月02日18:39

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 千曲川沿いの堤防上を千曲市から上田市に向かうと、橋桁が綺麗なブルーの長くカーブした橋が千曲川に架かっている。親柱のネームプレートには「鼠橋」とある。 江戸時代初期、真田氏は北国

続きを読む