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日記一覧

愛知県刈谷市芋川遺跡1
2020年08月05日05:19

 所在地 愛知県刈谷市一ツ木町芋川 (MAP左)  種別 集落  時代 縄文  立地 碧海台地西縁主な遺構 竪穴住居12     土坑墓4     土器棺墓4     土坑1特記事項 縄文中期の竪穴住居跡を多数検出。土坑墓、縄文晩期の土器棺墓    

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御霊神社(ごりょうじんじゃ)の拝殿の右手に白地に「豊川荼枳尼眞天」と朱文字のプリントされた幟が立ち並んだ参道があった(写真左)。入り口には参道をまたいだ朱と黒を組み合わせた八幡鳥居が設置されている。奥には社が見えている。鳥居をくぐって参道を進む

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御霊神社(ごりょうじんじゃ)の表参道を真っ直ぐ進むと、拝殿が鉄筋造である事が判った(写真左)。拝殿の軒下には立派な注連縄と鈴緒が掛かっている(写真中)。境内に設置された板碑『御霊神社の由来』には以下のようにあった。「現在の桜区一帯は 昔刈谷林と呼

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知多郡東浦町郷土資料館から東に向かい、境川(さかいがわ)と逢妻川(あいづまがわ)を渡って山の神遺跡に向かった。そこは現在は刈谷東中学校の校庭内で、『刈谷市』の公式ウェブサイト(https://www.city.kariya.lg.jp)no「刈谷西部の縄文遺跡 【県指定史跡】」

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東浦町郷土資料館にはパネルだが、面白いものが展示されていた。その一つが「藤江神社のだんつく獅子舞(愛知県指定無形文化財)」だ。パネルにはこうある。「だんつくは、藤江神社の祭礼で奉納される一人立ち(ひとりだち)の獅子舞です。恋歌仙(こいかせん)・膝

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6月中旬 快晴 知多郡にある東浦町郷土資料館に向かった。郷土資料館(写真左)は丘陵の中腹に位置する環境の良い場所にあった。この日は梅雨の合間だったが日差しが強く、日陰のまったく無い駐車場に愛車を駐める気がせず、右隣にある公園の木陰に駐めた。こ

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荒尾町 神明社の社殿は山の斜面に建てられているので、本殿を見るには脇の斜面を登っていくようになっている。その斜面を登っていくと、真新しい拝殿の脇から旧い玉垣が始まり、内部には旧い狛犬や石灯籠が残されていた。拝殿の裏面には銅板葺で6本の鰹木を

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荒尾町 神明社1 荒太
2020年07月13日21:14

東海市立平洲記念館/郷土資料館の東館の前の道に出ると、平洲記念館/郷土資料館の並び40mほど先に社殿らしきものが見えた。愛車は平洲記念館/郷土資料館の駐車場に入れたまま徒歩でその建物に向かった。それは荒尾町 神明社の拝殿で、社頭は長い石段の下

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東海市立平洲記念館/郷土資料館の東館の前庭には他にも種々のものが並べられていた。その一つが藍甕(あいがめ:写真左)で、脇の案内プレートには以下のようにあった。「藍染めをするときに使用したカメ。この中に占領の藍を入れ、糸などを染めた。本来は、作

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東海市立平洲記念館/郷土資料館の前庭には旧い石造物が並べられていた。一番右側の案内パネルの無い河原石には正面にだけ「卯年」と明朝体で刻まれている。この石に関する情報が何も無いので何なのか不明だ。「卯年(うどし)」とは「うさぎどし」のことだが、

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愛知県内の縄文遺跡巡りを始めて、博物館や歴史資料館よりも現場を中心に巡ってきたのだが、刈谷市郷土博物館を観覧したことで、古代遺跡に関しては何よりもまず、博物館や歴史資料館を観て、その整理されたリストに基づいて、現場を巡ったほうが、当然ながら

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小山町 牛石
2020年07月06日21:36

初めて訪づれた時の天子神社(あまこじんじゃ)の一般道に面した玉垣沿いに掲示されていた教育委員会の製作した『歴史の小径』とタイトルされた周辺絵地図の中に「牛石」という名所が記入されていた。来年の年賀状ネタになりそうなので、後で寄ろうと思っていた

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縄文期から中世に至る遺構や遺物の出土している八ツ崎貝塚(やつさきかいづか)は久しぶりに『全国遺跡報告総覧』(http://sitereports.nabunken.go.jp/ja)にデータが掲載されている遺跡だった。ただ、このサイトに掲載されている情報はこれまで見てきた遺跡の中

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すぐ目の前にいたカラスは逃げることはなかったが、片目はしっかりこっちを見ており、左右の翼はしっかり畳むのではなく、いつでも飛び立てる体制をとっていた(写真左)。カラスから離れた場所の芝生に腰を下ろして休んでいると、こちらが何もアクションを起こ

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刈谷市郷土博物館から八ツ崎貝塚に向かった(MAP左)。八ツ崎貝塚(やつさきかいづか)は逢妻川(あいづまがわ)の支流、恩田川沿いに位置する八ツ崎公園の一角に存在していた。上記写真の左端に高台になっている部分があるが、この小さな高台が八ツ崎貝塚だった。

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中手山神明社は本殿の東側に2社の境内末社が並んでいる。上記写真の一番左端に回廊と回廊から覗いている本殿があるが、ともに瓦葺で軒下が白壁、白壁の下が黒紅に染められた下見板張り壁になっていて統一されている。その本殿のすぐ右隣に位置している本瓦葺

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中手山貝塚に関する情報は中手山神明社の拝殿前脇に掲示された『中手山神明社由緒書』内に文章があるのみで、記念碑などの現物は中手山神明社境内には一切存在していない。社号標は社頭とは思えない場所にあり、鳥居も丘陵上の端にあり、鳥居の前は潅木の茂っ

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天子神社貝塚(あまこじんじゃかいづか)の南西1kmあまりに位置する中手山神明社に向かった。当初、中手山神明社は天子神社貝塚周辺の神社ということで向かったのだが、中手山神明社に関する1本目のブログを書来上げたところで、『中手山神明社由緒書』の「境内

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天子神社(あまこじんじゃ)の回廊の西側には秋葉三尺坊大権現の他に2社が祀られていた。これら3社の境内社は天子神社の社殿と平行に設置されているわけではなく、特に秋葉三尺坊大権現以外の2社は拝殿前の空き地に向いているように見える。秋葉三尺坊大権現の

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天子神社(あまこじんじゃ)のニノ鳥居をくぐると、コンクリートでたたかれた表参道は数メートルは北北西に位置する拝殿に向かうが、すぐに北西に折れ、10mほど直進すると再び、北西に折れ、また数メートルで、今度は北北東に折れ、数メートル先の拝殿前の踊り

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天子神社(あまこじんじゃ)の境内を観て回ったが、特に貝塚に関する情報は見当たらなかった。それで、改めて境内の南60mあまりに位置する社頭から観ていくことにした。天子神社の表参道は砂利が敷かれているのみで、コンクリート舗装されている一般道とは特に

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逢妻川(あいづまがわ)の東岸に位置する本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)からほぼ真北、逢妻川の上流に流れ込んでいる恩田川沿いに位置する天子神社貝塚(あまこじんじゃかいづか)に向かった(MAP左)。天子神社貝塚は天子神社の境内から出土し、現在は埋め立てら

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市原稲荷神社の末社山神社(やまのかみしゃ)の東側には三社形式で祀られた摂社がある。ここにも石造伊勢鳥居が設けられ、縁石の間に砂利を敷き詰めた参道が設けられ、鳥居の奥にそれぞれ、異なった形式の社(やしろ)の3社が祀られている。(写真左)3社ともそれぞ

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市原稲荷神社拝殿前左右には生垣があるが、その西側(向かって左手)の生垣の前には銅板葺の屋根を持つ朱のガラス戸棚が設置され、棚にはビッシリと願掛けキツネが並べられていた(写真左)これは厄除け大祭のお下がりで、願い事を書き込んで納所に納めるものだと

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市原稲荷神社の拝殿前に設置された立派な賽銭箱には金属に金箔押しされた稲荷抱き稲紋が刻印されていた(写真左)。これは伏見稲荷大社の神紋と同じものだ。つまり、市原稲荷神社は伏見稲荷系の稲荷神社ということだ。ただし、伏見稲荷大社の神紋は時代によって

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本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)の北西990m以内にある市原稲荷神社に向かった。市原稲荷神社の社地は尾張国と三河国の境界を流れる逢妻川(あいづまがわ)の東岸に沿って、つまり三河国側に位置している。ここに参拝するのは3度目になる。市原稲荷神社の広い駐

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刈谷市郷土博物館には本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)から出土した妙なものが展示されていた(写真左)。それは楕円形の板を半分に割ったような形をしていた。ネームプレ-トには『土版』とあり、以下の説明が入っていた。「縄文時代晩期(※約3,300〜2,800年前)

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縄文期の弓矢は弓や箆(の:矢のシャフト部)に直接、弦や石鏃(せきぞく:やじり)を取り付けた原始的なものではなく、すでに弦や鏃を弓と箆に取り付けるための、ソケットの役割をするパーツが開発されていた(図版左)。刈谷市郷土博物館には本刈谷貝塚(もとかり

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本刈谷神社(もとかりやじんじゃ)の脇参道入口脇にある石灯籠の前から表参道の途中西側に複数のものが祀られているので、そこに向かったが、すべてのものが表参道に向けて設置されている。拝殿に最も近い場所に神馬像(しんめぞう)、その左隣(南隣)に石造連子窓

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本刈谷神社(もとかりやじんじゃ)の西にある拝殿前から脇参道を東に向かうと、山神社(やまのかみしゃ)の石鳥居の右脇に複数の幹の捩れた、南方風の古木が枝葉を広げており、麓に注連縄が巻かれ、六角形に竹垣で囲われていた(写真左)。側に掲示された案内板『ご

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