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mixiユーザー(id:350761)

日記一覧

夢2・3(同じ夢)夢1の大理石の広い部屋の中央に設置した膝くらいの高さの広い大理石のテーブルの上に書類やパソコンを広げ、何かの作業をしていた。カミさんなのだが、会ったことのない30歳前後の女性が入口から入ってきてこちらに話しかけてきた。振り返って

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夢1大理石の床のホテルのロビーのような部屋に家具を置いて住んでいた。外出から帰宅し、玄関の扉を開けると、室内の電話が鳴っているので、電話に出るために出入口脇のウッドの低いテーブルに、雨で濡れていたコートを置いて、急いで電話に出た。電話が終っ

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北屋敷 山之神社(やまのかみしゃ)から北1.2kmあまりに位置する北崎町1丁目 山之神社に向かった。北崎町1丁目 山之神社の社頭も北屋敷 山之神社の社頭と同じく東南東にあった。多くの神社が一ノ鳥居のすぐ手前脇に社号標を設置するのだが、両者とも一ノ鳥

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北屋敷 山之神社(やまのかみしゃ)の表西北西に向かう表参道から北に向かう枝参道があり、その参道は山之神社の中央広場に沿って山之神社拝殿の脇に向かっていた。その枝参道の途中に石造の台輪鳥居が設置されていた(写真左)。そして、鳥居には「神殿明神(じ

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北屋敷 山之神社(やまのかみしゃ)の渡殿の並び左手に「産土神(うぶすなかみ)」の立て札を持つ祠が祀られていた(MAP左)。「祭神 山の神」ともあるので、祭神は山之神社と同じ神を祀ったものだ。この産土神がこの丘陵上に最初に祀られた神だと思われる。社地

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高津波町 市杵島神社から対岸に戻ることにし、ほぼ北2.4kmあたりにある山之神社(やまのかみしゃ)に向かうことにした。小さな祠でも祀られているのかと思いきや、東南東を向いた石造伊勢鳥居、社号標、1基のみの石灯籠は大きく、大社を思わせた(写真左)。そも

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高津波町 市杵島神社の本来の社頭だったと思われる南側の鳥居から境内に戻ると、30mあまり先に拝殿があるのだが、その手前左右に立派な石灯籠。「市杵島比売命」は神道の神であり、北九州を除けば、明治以降に境内社として祀られた例が多いと思われるが、寺

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地図で桟敷貝塚(さんじきかいづか)周辺の神社をチェックしていたところ、東側を並行して南北に流れる境川(さかいがわ)と逢妻川(あいづまがわ)の対岸に市杵島神社(いちきしまじんじゃ)が存在するのに気づき、観に行くことにした。高津波町 市杵島神社の祭神市

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大府市歴史民俗博物館にはテーマごとに複数の部屋が設置されていたが、その内の一つ、戦後間もなくの時代の庶民文化を示す、ノベルティー類やパッケージ、人形などを陳列した商店風の部屋があった。昭和初期以前の民具などの展示もあったが、どうしても、こう

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朝日町 熱田神社の北西600m以内にある大府市歴史民俗博物館に向かった。場所ははっきりしているのに、入り口と駐車場が想像外の場所にあったため、入館に手間取った。建物は北欧風のデザインで、入り口は東の道路側ではなく、表道路からは死角になっている西

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朝日町 熱田神社の北東からの脇参道の入り口脇には台座付き等身、アルミニュウム造の日本武尊像が設置されていた。日本武尊像は総本社の熱田神宮には存在しないものだが、秩父の三峯神社には大型の像が設置されている。日本武尊は古墳時代の人物とみられるが

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朝日町 熱田神社の緩やかな表参道を上っていくと、2基目の社号標「熱田神社」が右手にあるT字路に出た(写真左)。表参道の正面には一ノ鳥居と同じ石造伊勢鳥居の二ノ鳥居。その鳥居の正面奥には拝殿が見えており、鳥居から拝殿まで表参道が延びている。鳥居の

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桟敷貝塚(さんじきかいづか)からの遺物は後で寄った大府市歴史民俗博物館に陳列されていた。それは昭和37年(1962)に出土したもので、その案内書にはこうあった。「縄文時代     〔12000年前〜2300年前〕 狩猟・漁猟を中心とした自然物最終瀬尾かつをした

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桟敷貝塚(さんじきかいづか)は大府市朝日町五丁目地内に存在した縄文晩期の貝塚である(MAP左)。『大府市(おおぶし)』の公式ウェブサイト(https://www.city.obu.aichi.jp)にはこうある。「本遺跡は、大府市街が形成されている台地が沖積地に向かって舌状に延び

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大野町 風宮神社(かぜのみやじんじゃ)本殿の瑞垣内には末社が5社祀られていた。(写真左)は本殿西側の三社。5社とも銅板葺流造の社だが表札が風化していて、社名が判別できるものがなかったのが残念。拝殿前まで戻って、拝殿の並びの東側にある背の高い建物を

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大野町 小倉神社脇の名鉄常滑線の踏切を渡り、矢田川沿いの堤防上を南に向かい、風宮神社(かぜのみやじんじゃ)の参道入り口前に出た。参道入り口前の堤防上から矢田川の下流方向を眺めたのが(写真左)だ。祭りでは祭船権丸が提灯の灯を灯し、この水上を行き来

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矢田川水門から東北東430m以内にある大野町 小倉神社に向かった。その通り道に、このツアーの本来の目的地だった鮮魚店もあったのだが、やはり、夕刻が迫っていても、シャッターは降りたままだった。小倉神社は名鉄常滑線の踏切脇に南向きの社頭があった。社

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矢田川水門脇から伊勢湾を眺めると、北東方向、遥か遠方に純白のタンク群と煙突の鉄塔が眺望できる(写真左)。その手前にはタンカーも停泊している。調べてみると、そこまで、ほぼ14km、中部電力 川越火力発電所だった。純白のタンクは重油の備蓄タンクのよう

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江崎社の目の前には矢田川沿いに巡らされた高さ2.5mほどの城壁のような堤防があった。しかし、その堤防には幅3mほどの開口部があって、おそらく祭船権丸を川面に下ろすための通用門になっているのだと思われた。そして、矢田川の犬走りが江崎社前の部分だけ川

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内宮御祭宮社(ないくうごさいみやしゃ)から県道267号線を北上。大野橋で矢田川渡って、すぐ左折、矢田川の堤防沿いを西の河口に向かう路地に入り、矢田川沿いにある江崎神社に向かった。大野橋から230m以内で、江崎神社社頭に出たが、社頭の道が狭く、バイク

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内宮御祭宮社(ないくうごさいみやしゃ)前の堤防から大野漁港の桟橋の南側にある、小さな桟橋上に降りてみた。桟橋の南側の西之口海岸を見下ろすと、桟橋脇の堤防と伊勢湾の間の海岸は砂浜・貝混じりの砂浜・黒っぽい砂利の3帯状に並んでいるのが見てとれた。

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内宮御祭宮社(ないくうごさいみやしゃ)の拝殿と渡殿の間には立ち入ることができるようになっていたので、入って行ってみた(写真左)。切妻造吹きっぱなしの渡殿の軒下には拝殿と同じ注連縄が張られていた。本殿の素木は赤みを帯びており、神社・仏閣用建築材な

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内宮御祭宮社(ないくうごさいみやしゃ)拝殿には垂れ5本の牛蒡注連縄(ごぼうしめなわ)が掛っていた(写真左)。元宮にしては貫禄の無い注連縄だと思うなかれ、内宮(伊勢神宮)には宇治川の入り口に設置されている大鳥居から、拝所である外玉垣南御門に至るまで、

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金山屋敷 熊野神社から海岸線に位置する内宮御祭宮社(ないくうごさいみやしゃ)に向かうことにしたが、途中、石瀬貝塚(いしぜかいづか)の120mあたりを流れている前山川の様子を観ていくことにし、前山川に掛かっている高橋に向かった。高橋の架かっている部分

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金山屋敷 熊野神社の石段を上がると、石造の八幡鳥居と拝殿が一直線に北に延びる表参道で結ばれている(写真左)。石段を戻って、表参道を進んで拝殿前に立つと、本瓦葺切妻造棟入の拝殿は木部が全て黒紅の防腐剤で染められ、熊野本宮大社(和歌山県)とイメージ

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西側から石瀬貝塚(いしぜかいづか)を目指し、石瀬池を通り抜けると、最初のV字ターンしている左手の路地の入り口に白地に「知多四国霊場」と墨書きされた幟が1本立てられていた。この周辺に真言宗智山派寺院のある印だ。地図を見るとその路地の奥に熊野神社が

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石瀬貝塚の名称「石瀬(いしぜ)」は通称だというが、常滑祭(写真左)の際にも石瀬区と呼ばれており、地元民には通っている名称だが、現在の地名は「金山屋敷」となっている。西から石瀬貝塚に向かって来て、着く直前に鬱蒼たる竹林があった。(写真中)冊子『石瀬

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冊子『石瀬貝塚』(「第四章 遺物 (3)人工造物 縄文式上器」P13〜23)に石瀬貝塚(いしぜかいづか)で出土した縄文土器が紹介されている。その縄文土器群は包含層ならびに土器型式から、第一群土器、第二群土器、第三群土器の3群に大別された。第一群土器に関

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冊子『石瀬貝塚 「第六章 石瀬貝塚を主とした大野谷の先史地理的考察」』(P29)に掲載された(MAP左:大野谷の伊勢湾等深線図)を見ると、石瀬貝塚(いしぜかいづか)の他、北の森西と東畑にも縄文遺跡が存在し、3ヶ所とも丘陵の中腹に位置していることが分かる。

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冊子『石瀬貝塚 「第三章 遺跡」』(P6)にこうある。「石瀬貝塚(いしぜかいづか)は比高約10m、 東東北方にむかつて緩い下り傾斜をなす東面の地点に形成さ れていて、面積約 200平方m、東端が母子寮建築工事のため切断され、また中央部が南 北に水道管施設工事

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