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2022年05月08日11:48

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ストーカー加害者に治療要請最多<犀の角のようにただ独り歩め。と釈迦はおっしゃるけれど、なかなかそうもいかぬのも人界の業というもので。だからこそ悪人正機が生じるようではありませんんか。

マイミク・在日琉球人さんの日記

2022年5月現...>
犀の角のようにただ独り歩め。
2022年05月08日10:22全体に公開 みんなの日記25 view
ナザレのイエスがタイムスリップして、2022年にやって来る。
ロシア正教の総主教がプーチンの戦争を祝福しているのを見て、
「彼はギリシャの多神教を信じているのか?」
「そもそも、ぶら下げてる十字形のペンダントは、何?」
とつぶやくだろう。

本家イエスからすれば、正教も、カトリックも、プロテスタントも、「オレに何の関係があるの?」「オレ、そんな事言ってないよ」と戸惑うだろう。

他の宗教も同じで、法華経も、念仏も、禅も、密教も、オリジナルの釈迦とはかけ離れてきた。

釈迦がタイムスリップしてきたら、「ジョン・レノンなる男、衆生を地獄に堕とす大悪魔。最低最悪、稀代の外道である」とおっしゃるだろう。

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あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。
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釈迦の戦いは、人間の心から「愛」とか「絆」を消し去ることだった。

「愛」こそ諸悪の根源。だって、「愛」の本質とは「ストーカー」なんだから。


■ストーカー加害者に治療要請最多=昨年993人、受診は1割―専門家「新制度必要」
(時事通信社 - 05月08日 07:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6948573
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982262701&owner_id=545566


犀の角のようにただ独り歩め。
「犀の角のようにただ独り歩め。」
『スッタニパータ』(『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫 17頁)

 標題のことばは「サイの頭部にそそり立つ太い一本角のように、独りで自らの歩みを進めなさい」という意味です。インドサイは群れではなく単独で行動することが知られていますので、「犀の(一本)角」という比喩表現は「孤独」を意味します。このように仏教が孤独を勧める背景には「私たちの悩みは人間関係から起こる」との分析があります。つまり、悩みを生み出す原因が「人のつながり」にあるのなら、そこから一時的に離れてみることが心の成長に必要ということです。

 現在のようにつながりが強化された社会では、つながりからこぼれ落ちた存在が際立って見えます。人々は他者とのつながりを求め、それが断たれた状態を不安や不快として感受します。ですが、実際のところ私たちが孤独を感じるのは、周りの人に囲まれながらも「誰も私のことを見ていない」「誰も私に関心を持っていない」と実感するときです。一人でいることが孤独感の原因なのではなく、周囲とのつながりを実感できないからこそ孤独を痛みとして感じます。にもかかわらず、私たちは一人になることを怖れ、なるべく他者とつながろうとする結果、毎回同じ痛みを感受することになります。そのような私たちに、標題のことばは、孤独を怖れる必要はないと教えます。

 さらに、同じ『スッタニパータ』の58番目の韻文では次のようにうたわれています。

学識豊かで真理をわきまえ、高邁(こうまい)、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

 仏教では「悩みの原因となる対人関係から距離をとる」という意味での孤独を勧めると共に「優れた友との交流」を勧めます。一見して矛盾するように思われますが、そのねらいは真に独立した人格を形成するためにはどちらも必要ということです。そして、ここでの「友」は対人関係における友人に限定されません。例えば、大学生であれば自身がひたむきに学ぶ学問が「友」になり、社会人であれば自身が責任をもって勤しむ仕事が「友」になります。つまり、自身を成熟へと導くものが総じて「友」と呼ばれるのです。

 様々なつながりを自覚した上で、孤独と向き合う時間は貴重です。なぜ孤独が必要なのか。それは自分が本当は何を求めているのかを知るためです。そのとき、学びや仕事は孤独を支えてくれるでしょう。そしてその道程において、あなたは真の友とであうのかも知れません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000004mtbk.html#:~:text=%E3%80%8C%E7%8A%80%E3%81%AE%E8%A7%92%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%9F%E3%81%A0%E7%8B%AC%E3%82%8A%E6%AD%A9%E3%82%81%E3%80%82%20%E3%80%8D%20%E6%A8%99%E9%A1%8C%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E3%81%AF%E3%80%8C%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%81%AE%E9%A0%AD%E9%83%A8%E3%81%AB%E3%81%9D%E3%81%9D%E3%82%8A%E7%AB%8B%E3%81%A4%E5%A4%AA%E3%81%84%E4%B8%80%E6%9C%AC%E8%A7%92%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%80%81%E7%8B%AC%E3%82%8A%E3%81%A7%E8%87%AA%E3%82%89%E3%81%AE%E6%AD%A9%E3%81%BF%E3%82%92%E9%80%B2%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%95%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82%20%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%81%AF%E7%BE%A4%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E5%8D%98%E7%8B%AC%E3%81%A7%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%80%81%E3%80%8C%E7%8A%80%E3%81%AE%EF%BC%88%E4%B8%80%E6%9C%AC%EF%BC%89%E8%A7%92%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%AF%94%E5%96%A9%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%80%8D%E3%82%92%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82,%E3%81%93%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%82%92%E5%8B%A7%E3%82%81%E3%82%8B%E8%83%8C%E6%99%AF%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%82%A9%E3%81%BF%E3%81%AF%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%8B%E3%82%89%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%88%86%E6%9E%90%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%20%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%80%81%E6%82%A9%E3%81%BF%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%BF%E5%87%BA%E3%81%99%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E3%81%8C%E3%80%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%80%E6%99%82%E7%9A%84%E3%81%AB%E9%9B%A2%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%BF%83%E3%81%AE%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82%20%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%81%8C%E5%BC%B7%E5%8C%96%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%BC%E3%82%8C%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%81%9F%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%8C%E9%9A%9B%E7%AB%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%20%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BB%96%E8%80%85%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%80%81%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%8C%E6%96%AD%E3%81%9F%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%82%92%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%82%84%E4%B8%8D%E5%BF%AB%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%84%9F%E5%8F%97%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82?msclkid=990df210ce7711ecb6b75bd27dd1c8f4


悪人正機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。

阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生[1]である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。


目次
1 悪人と善人
2 救済の対象
3 親鸞以前の悪人正機説
4 本願ぼこり
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
悪人と善人
「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは「阿弥陀仏の視点」による善悪である。

法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。[2]

悪人
衆生は、末法に生きる凡夫であり、仏の視点によれば「善悪」の判断すらできない、根源的な「悪人」であると捉える。
阿弥陀仏の光明に照らされた時、すなわち真実に目覚させられた時に、自らがまことの善は一つも出来ない悪人であると気づかされる。[3]その時に初めて気付かされる「悪人」である。
善人
親鸞はすべての人の本当の姿は悪人だと述べているから、「善人」は、真実の姿が分からず善行を完遂できない身である事に気づくことのできていない「悪人」であるとする。
また自分のやった善行によって往生しようとする行為(自力作善)は、「どんな悪人でも救済する」とされる「阿弥陀仏の本願力」を疑う心であると捉える。(#本願ぼこりも参照のこと。)
因果
凡夫は、「因」がもたらされ、「縁」によっては、思わぬ「果」を生む。つまり、善と思い行った事(因)が、縁によっては、善をもたらす事(善果)もあれば、悪をもたらす事(悪果)もある。どのような「果」を生むか、解らないのも「悪人」である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E4%BA%BA%E6%AD%A3%E6%A9%9F?msclkid=b3543893ce7811ec8379698aaf4fa9c0
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