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2021年07月24日11:19

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★トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』

5-3
角田純男画
『歌の翼に』
トマス・M・ディッシュ作
画像
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=233656851
 赤ちゃんに近い肌をした金髪の幼児がにこやかに笑いながら、本人から見て右手やや情報を見ている。これではとても翔べそうにない翼が羽ばたき、いわゆる天使の光輪らしものも描かれている。白地のベッド。星ひとつ輝いていない闇を背後に、あくまでも明るい。
 幼児の名はダニエル。ダニエルには、ヘブライ語で「神は私の裁判官である」という意味がある。
「紀元前6世紀、エルサレムを陥落させたバビロンのネブカドネツァル王は、自分の占領行政の官吏を養成するため、ユダヤ人の「王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力にとみ、宮廷に仕える能力のある」(ダニエル1:4)少年たちを選び出して連れてこさせ、カルデア語を学ばせた。 」
「ダニエルが主に祈っていると天使ガブリエルが現れ、メシアに関する定められた時についてのお告げを受けた事もある。「大いに愛せられている者」と呼ばれている事から、主のお気に入りだったとうかがえる。 」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB)
 この程度のことは、『聖書』を読む人々には常識なのであろう。ルーベンスに『ライオンの穴の中のダニエル』という絵画があるが、聖書を読まない私などのような者には、やはり解読の調査が必要であろう。この「カバーアート・ガイド」もそうした役割を果たすことを志している。
 『歌の翼に』のダニエルは、米国アイオワ州で、装置に入って歌い天に翔ぶことが法律で禁じられているパラレル・ワールドに生きている。ダニエルの母は彼が幼いころ、彼をおいて家出をし、翔ぶことを習おうとして、挫折し、家庭に戻っている。ダニエルが十四歳のころ、大不況が起こり、非合法の新聞配達をして、刑務所に送られる。鉄格子がなく、特定の境界を超えると体の中に埋め込まれた錠剤型爆弾が作動する仕掛けだ。
 作者のディッシュも、現実のアイオワ州の州都デモインに1940年に生まれる。1946年ポリオに感染したため、1年間は母がホームスクーリングを行った。母との複雑な関係が『歌の翼に』に反映しているのかもしれない。
 アイオワ州は中西部に位置し、「アメリカのハートランド(中心地)」と呼ばれる州である。州法によって、大統領選挙の前哨戦である大統領候補指名党員選挙を、全国に先駆けて行うことが定められている。これは『歌の翼に』の結末と連環し、さらにはディッシュ自身の終焉とも環連しているようだ。
1953年、一家でそれぞれの両親が住むミネソタ州ミネアポリスに引越した。ディッシュにとってアイオワ州はいわば田舎の桎梏ではなかったか。歌い翔ぶことが禁じられていることといい、体内に内蔵された錠剤型爆弾といい、そのことをよくSF化している。
ディッシュがアイオア州デイモンを離れた12年後の1965年、13歳のメアリー・ベス・ティンカーがベトナム反戦の意志表示として黒い腕章をして登校した。たちまち停学処分となった。「事件は最終的に連邦最高裁判所に持ち込まれた。連邦最高裁判所はその判決で、被告たちの行為は、大抵の米国人にとって言語道断の行いではあるが、やはり「象徴的な政治的言論」にあたり、従って合衆国憲法修正第1条により擁護されると判断した。」
(https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2654/
 もちろんディッシュは自分の生まれ故郷で起こったこの事件を知ったことだろう。故郷を離れ、ミネアポリスでディッシュはSFや演劇や詩に出会い、偉大なる米国の田舎ぶりから、解き放たれたようだ。なにしろミネアポリスは、米国ミネソタ州東部に位置し、州最大にして中西部を代表する「世界都市」である。
 ちなみに、「ディッシュがSF界に入ったころ、パルプ・マガジンでは古い冒険ものと、よりシリアスで大人っぽく暗い物語とが競合していた。これをニュー・ウェーブ運動と呼び、SFが12歳の子供の願望を表現する以上のものであることを示そうとするものだった。ニューヨークの主流文学の文壇と張り合おうという気はなかったが、ディッシュはこのSFの新たなジャンルに飛び込み、その形式と約
束事からの解放を開始した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BBM%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
 12歳の子供の願望には煌めく星々があり、
一方、シリアスで大人っぽく暗い物語には暗闇しかない。『歌の翼に』のカバーアートには星々が輝かない暗闇をバックにしている。それにしてはダニエルの表情はあまりにも明るい。
 これほどの傑作をものにしたディッシュが、長期にわたる鬱病が高じ、30年来のゲイの同伴者が亡くなると、2008年拳銃自殺を遂げたのは痛ましい。





世界都市(せかいとし、英: world city、独: Weltstadt)とは、主に経済的、政治的、文化的な中枢機能が集積しており、世界的な観点による重要性や影響力の高い都市。グローバル都市(英: global city)ともいう。


目次 [非表示]
1 用語
2 定義
3 特徴 3.1 経済的特徴
3.2 政治的特徴
3.3 文化的特徴
3.4 社会基盤の特徴

4 対照的な概念
5 1970-1990年代
6 トップクラスの世界都市 6.1 ニューヨーク
6.2 ロンドン
6.3 東京
6.4 パリ
6.5 香港
6.6 シンガポール

7 各地域の世界都市 7.1 アジア 7.1.1 東アジア
7.1.2 東南アジア
7.1.3 南アジア
7.1.4 西アジア
7.1.5 中央アジア

7.2 ヨーロッパ 7.2.1 中央ヨーロッパ
7.2.2 東ヨーロッパ
7.2.3 西ヨーロッパ
7.2.4 南ヨーロッパ
7.2.5 北ヨーロッパ

7.3 北アメリカ 7.3.1 中央アメリカ

7.4 南アメリカ
7.5 アフリカ
7.6 オセアニア

8 研究調査 8.1 グローバル都市指標
8.2 世界の都市総合力ランキング
8.3 JLL
8.4 GaWC
8.5 グローバルシティズ・イニシアチブ

9 脚注 9.1 注釈
9.2 出典

10 参考文献
11 関連項目

用語

今日の「世界都市」に当たる言葉の淵源・由来やその歴史的意味合いについては色々な説があり、概念史の整理はまだついているとはいえない[1]。地理学者で、「メガロポリス」の著者でもあるジャン・ゴットマンは、世界都市というのは文豪ゲーテが1787年に、ローマの歴史的な文化的卓越性をもった都市としての性質を表現するためにつくった、「Weltstadt」(ドイツ語での世界都市)という言葉にその源を発すると述べている[1]。一方、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの地理学者であったピーター・ホール(英語版)は「世界都市」を著し、スコットランドの地域計画家パトリック・ゲデスが「進化する都市」(1915年)という本の中で、「世界で最も重要なビジネスの極めて大きな部分が集積しておこなわれる大都市」のことを「世界都市」[2]と命名したと述べ、この言葉の由来をゲデスに求めている[1]。

1991年、コロンビア大学教授のサスキア・サッセンは、著書『グローバル都市-ニューヨーク、ロンドン、東京』において、初めて「グローバル都市」(global city)という表現を用いた[3]。

定義

多国籍企業とグローバル・マネーの形成が本格化した1970年代、国際的な企業・法人本部とそれを支える活動の複合体を擁する都市を「世界都市」と定義し、こうした都市の育成をはかる議論が始まった[4]。1986年、カリフォルニア大学教授のジョン・フリードマン(英語版)は「世界都市仮説」を著し、世界都市を定義した[5]。フリードマンの主要な世界都市の定義は以下の通りである。
資本主義の世界システムの中で、法人の拠点、金融センター、グローバル・システムや地域・国民経済の結節点としてその機能を果たす都市[5]。
多国籍企業がその基地として立地し利用するため、複雑な国際的・空間的階層の中に位置付けられる都市[5]。
グローバルな管理機能の集積を反映して、法人の中枢部門、国際的な金融・輸送・通信・広告・保険・法務などの高次ビジネス・サービスなどが成長する都市[5]。

フリードマンは多国籍企業の本社部門の所在それ自体を重くみる世界都市論を展開していたが、サッセンは「1960年代、1970年代に比べて都市の経済力を測定する尺度としては十分なものではなくなっている」と述べ、今や金融、高次法人サービスなどの活動こそが国際都市ヒエラルキーを左右し、世界都市を形成する要因として重要性をもつものと説明した[6]。経済活動の地球的な規模での分散が同時に地球規模の統合、コントロール機能の形成を促しており、こうしたセンター機能が集積する少数の都市(ロンドン、ニューヨーク、東京など)こそグローバル都市だとした[7]。

2017年、アメリカのシンクタンクであり、世界都市研究に深く関与し続けてきたシカゴ国際問題評議会(英語版)は、「何がグローバル都市を作るのか?」[8]という題名でグローバル都市の定義や傾向を定めた[9]。主な内容な以下の通りである。
世界経済をリードしている。
都市規模が大きい傾向にあるが、それだけでは十分ではない。
国内の若者なども含む、世界の人々を惹きつける魅力がある。
大学など高等教育が発展しており、子供や労働者にも充実した教育環境を提供している。
外国人の人口が多い。移民を惹きつける仕事があり、その情熱、気迫が都市のバイタリティーを高めている。
文化的な中心地である。博物館、劇場、レストラン、スポーツ、ナイトライフなどが充実している。
デスティネーション、いわば目的地であり、観光客にとって魅力的である。
政治的影響力があることは有利な条件である。首都ではないグローバル都市も領事館、シンクタンク、国際会議場などを有する。
国際的なハブであり、グローバルな連結性が高い。都市圏にメジャーな国際空港がある。
グローバル都市に必要な先見の明のある指導者がいる。
生活の質が高い。公共交通機関、クリーンな生活環境、治安の良さ、ヘルスケア、地方政府の効率性などが発展している。
オープンである。移民、デジタルコミュニケーション、トレードの制限などが少ない。報道の自由度が高い。

特徴

経済的特徴





ニューヨーク証券取引所ビジネス活動が盛んであり、都市の経済規模が大きい(東京は都市の経済規模が世界最大であり、2位のニューヨークも巨大な経済圏を形成している [10])。
国際的に活動している法人本社部門とその活動を支える金融、保険、通信、証券、不動産、法務、会計、広告、コンサルティングなどの高次法人サービス、それにレストラン、出版・印刷、運輸・倉庫、専門店、ファッション、ホテル、観光、教育、芸術、医療、福祉、娯楽などの補助サービスが集積している。
多国籍企業の本社など、世界経済に影響を及ぼす組織の中枢が所在する(2016年時点で世界の500大企業の中で最も本社数が多い都市は北京であり、2位は東京である[11])。
証券取引所、銀行、保険会社などが集積し、高度に発達した金融センターを形成している(世界を代表する金融センターとしてロンドン、ニューヨーク、シンガポール、香港、東京が挙げられる[12])。
労働人口における高学歴者の割合が高く、企業や市場にサービスを提供する専門サービス業や知的産業が発展している。
学術研究やビジネス、文化人など各分野における著名人が拠点を置いており、実績ある人材が集積している。

政治的特徴





ホワイトハウス中央政府など行政機関が所在し、グローバルな政治的影響力がある(例えば、主要国の首都であるワシントンD.C.、北京、東京、ロンドン、パリ、ベルリン、ローマ、モスクワなどが代表的である)。
大使館や領事館が所在しており、外交の舞台となり得る。
主要なシンクタンクがある(例えば、ニューヨークの外交問題評議会、ロンドンの王立国際問題研究所、北京の中国社会科学院)。
国際機関や地域統合体の本部が所在する(例えば、ニューヨークには国連本部があり、ブリュッセルには欧州連合の主要機関が置かれている)。
行政区画の人口が通常数百万人規模の大都市であり、さらに都市圏の中枢として機能している場合が多い。
都市が世界的な影響力を持つ事から、通常世界政治ではあまり注目されない地方首長も各国から注目される場合が多い(例えば、ニューヨーク市長や東京都知事、ロンドン市長といった上位世界都市の選挙の場合は、世界的なニュースとなる)。

文化的特徴





大英博物館都市の世界的な認知度が高い(例えば、パリは「フランスのパリ」と国名を補足しなくてもそれが何かが自明であり、エッフェル塔や凱旋門など有名なランドマークがある)。
外国人の訪問者数が多い(2016年の統計によると、世界で最も外国人の訪問者数が多いのはバンコクであり、2位はロンドンである[13])。
世界的に有名な学府や文化施設を擁する(例えば、ロンドンのロンドン大学や大英博物館、ニューヨークのコロンビア大学やメトロポリタン美術館などが挙げられる)。
世界的に有名で世界情勢に多大な影響力をもつ通信社やマスメディアが本拠を置く(例えば、ニューヨークのAP通信やニューヨーク・タイムズ、ロンドンのロイター通信やBBC、パリのフランス通信などが挙げられる)。
チャイナタウンなど、都市の内部に複数の移民コミュニティーや異文化圏が存在することが多い。また、国際都市として大規模なビジネスを引き付けることから、その土地本来の文化とは別に異邦人文化も形成される傾向もある。
アートシーンをリードする様々な媒体や受け皿となる施設がある(例えば、ニューヨークのブロードウェイ(演劇・ミュージカル)、リンカーンセンター(オペラ、バレエ、音楽)、ソーホー(美術館)、七番街(ファッション)、マディソン街(広告)などが挙げられる)。
幅広いスポーツコミュニティが存在し、メジャースポーツチームが本拠を置く(例えば、ニューヨークのヤンキースやメッツ(プロ野球チーム)、ロンドンのアーセナルFCやチェルシーFC(プロサッカーチーム)などが挙げられる)。また、オリンピック、世界陸上、世界水泳、サッカーワールドカップなどの国際スポーツイベントを開催可能な、あるいは過去に開催した実績のある施設が存在する。

社会基盤の特徴





ドバイ国際空港公共交通機関や高速道路網が整備され、多種多様な交通手段をもつ。
複数の航空会社がハブ空港としている大規模な国際空港がある(2015年において国際線の利用者数が世界で最も多い空港はドバイ国際空港である[14])。
多国籍企業の運営には不可欠な、先端技術を用いた高速通信の都市基盤設備が整備されている(例えば、光ファイバーケーブル網、セリュラーネットワーク、インターネットアクセスなどが挙げられる)。
住居コストが高い(2016年の調査報告によると、シンガポールが世界で最も生活コストのかかる都市である[15])。
コミュニティの崩壊、ホームレスの増大、交通渋滞、外国人労働者の大量流入などの社会問題も抱える傾向にある[16](例えば、ドバイの人口の83%は外国出身者で占められている[17])。
富豪、富裕層が多く、社会格差が大きい(2016年時点で、個人資産10億ドル以上の富裕層が最も多い都市はニューヨークであり、2位は香港である[18])。

対照的な概念

詳細は「メガシティ」を参照

世界都市と対照的な都市概念として、主に人口に基づいた都市規模の大きさを示すメガシティ(巨大都市)がある。国連の統計によると、2018年現在で世界最大の都市は東京である[19]。東京都市圏は、世界で唯一人口3500万人を超えている大都市圏であり[20]、経済規模も世界最大である[10]。ニューヨークも人口2000万人前後を抱える世界有数の都市圏を形成しており、東京と共に世界都市とメガシティの両性を強く兼ね備えた都市である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%83%BD%E5%B8%82


ミネアポリス(Minneapolis [ˌmɪniˈæpəlɪs] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国ミネソタ州東部に位置する都市。ヘネピン郡の郡庁所在地であり、州最大にしてアメリカ中西部を代表する【世界都市】。

人口は2010年の国勢調査では382,578人[1]、2015年の推計では410,939人[2]。市はミネソタ川がミシシッピ川に合流する地点の北側に位置している。このミネアポリスと東に隣接する州都セントポールとをあわせてTwin Cities(双子の都市)とも呼ばれる。この「双子の都市」を中心にし、ブルーミントンなどを含むミネアポリス・セントポール都市圏は約330万人、さらにセントクラウドなどを含んだ広域都市圏は約370万人の人口を抱える(いずれも2010年国勢調査)[1]。

ミネアポリスの市名はダコタ族の言葉で「水」を意味するmniとギリシア語で「都市」を意味するpolisとを組み合わせてつけられた[3][4]。その名が示す通り市には水が豊富で、市域内に20の湖を持ち、ミシシッピ川や多数の小川が流れ、滝が形成されている。これらの水辺の多くは遊歩道で結ばれている。かつては世界の小麦製粉の中心地であり、また製材の中心地であった。そうした背景から、市はCity of Lakes(湖の街)、Mill City(製粉の街)という別名を持っている[5]。

ミネアポリスには連邦準備銀行が置かれ、第9地区をカバーしている。また、ミネアポリスはシカゴとシアトルの間で最も重要なビジネス拠点である。ダウンタウンには大規模小売店チェーンのターゲットが、郊外には穀物メジャーのカーギルや大手電機小売のベスト・バイが本社を置いている。旧ノースウエスト航空のハブ空港であるミネアポリス・セントポール国際空港を玄関口に持ち、全米のみならず日本を含む世界各地からの直行便が発着する、国際的な交通の要衝でもある。

また、ミネアポリスは音楽シーンにもその名を残した。1970年代から1980年代にかけて、プリンスをはじめとする地元出身のミュージシャンはミネアポリスサウンドと呼ばれる音楽を確立させ、世界に広めた。


目次 [非表示]
1 歴史
2 地理 2.1 気候

3 政治
4 経済
5 医療と公共サービス
6 交通
7 教育
8 文化 8.1 美術・音楽
8.2 スポーツ
8.3 公園システム
8.4 メディア
8.5 宗教と社会奉仕

9 人口動態 9.1 都市圏人口
9.2 市域人口推移

10 姉妹都市
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク

歴史​[編集]

1680年頃にヘネピン神父らを連れたフランス人の入植者がやってくるまで、この地にはネイティブ・アメリカンのスー族の一派、ダコタ族のみが住み着いていた。1819年、現在ミネアポリス・セントポール国際空港がある場所の近くにスネリング砦が建てられるとこの地域の発展が始まった。ダコタ族からの土地の購入が進み、この地に到着する入植者たちが住み着きやすくなっていった。1856年、ミネソタ準州の法律によりミシシッピ川西岸に形成されていたミネアポリスは正式な町になった。1867年には、ミネアポリスは市に昇格した。この年、ミネアポリスとシカゴを結ぶ鉄道が開通した。その5年後の1872年には、ミシシッピ川東岸の町セント・アンソニーがミネアポリスと合併した[6][7][8][9]。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9
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