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2020年04月05日12:13

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アテナイの将軍イフィクラテースはコリントス戦争のレカイオンの戦い(紀元前391年)で、小型で軽い革製の盾と投げ槍を装備し、機動力に優れた軽装歩兵を指揮して、スパルタの重装歩兵軍に勝利した。

コリントス戦争(コリントスせんそう、英:Corinthian War、紀元前395年 - 紀元前387年)は、アテナイ、アルゴス、コリントス、テバイおよびその他反スパルタ同盟とスパルタおよびその同盟国(ペロポネソス同盟)との戦争である。


目次 [非表示]
1 概要
2 原因
3 紀元前395年
4 紀元前394年 4.1 ネメア
4.2 クニドス
4.3 コロネイア

5 紀元前393年
6 紀元前392年
7 紀元前391年から388年
8 アンタルキダスの和約―紀元前387年
9 影響
10 参考文献

概要[編集]

戦争の直接の原因はアゲシラオス2世の小アジア遠征に対してギリシア本土で戦争を起こすことによってアケメネス朝ペルシア側がその目をギリシアに向けさせようとしたこと、テバイとスパルタが干渉した北西ギリシアでのローカルな対立であり、より潜在的な原因はペロポネソス戦争によってアテナイをギリシアの覇者の座から引き摺り下ろし、拡大を進めるスパルタへの諸国の警戒心、敵愾心である。

戦争は陸ではコリントスからテバイ付近で、海ではエーゲ海で戦われた。スパルタは陸の主要な会戦ではおおむね勝利を得たが、海ではペルシアの援助を得た敵に惨敗した。この勝利を得てアテナイはいくつかの海軍での遠征を行い、紀元前5世紀の「アテナイ帝国」の大部分を回復した。

このアテナイの成功および拡大に警戒したペルシアは路線を変更し、スパルタ側についた。この大帝国の寝返りによって反スパルタ同盟は平和への道を模索しだし、紀元前387年に締結されたアンタルキダスの和約(大王の和約とも)によって戦争は終結した。この条約でペルシアはイオニア全域の支配権を確立し、またスパルタの覇権が確立された。

原因[編集]

紀元前404年にアテナイの無条件降伏を以って終わったペロポネソス戦争の後、スパルタは他のギリシア諸国とペルシアの協力を得つつエーゲ海の島々を支配下に収めた。しかし、スパルタは敗戦国やアテナイの旧属国から貢納を要求し、さらに戦時中にスパルタに敵対行為を行ったエーリスを紀元前402年に攻撃したため、コリントスとテバイが対エリス戦でスパルタへの援軍を拒否するなど同盟諸国の間でのスパルタの支持率は下がった。

スパルタ王アゲシラオス2世の下でスパルタは紀元前399年に小アジア遠征を行い、ペロポネソス戦争時の協力者であったペルシアと袂を別った。この遠征においてテバイ、コリントス、アテナイは参加を拒否したが、アゲシラオスは小アジアの太守たちを相手に優勢に戦い、撤退の直前にはペルシア王の元への進軍すら計画した。

アゲシラオスと戦っていたフリュギア太守ファルナバゾスはギリシア本土で戦争を引き起こすことによってアゲシラオスを撤退させようとし、ロドス人のティモクラテスに資金を持たせてギリシアに派遣した。アテナイ、テバイ、コリントス、アルゴスを訪れたティモクラテスはそれらの国々に対スパルタ戦争を起こすことを説得し、スパルタに対して反感を抱いていたそれらの国々はそれに応じ、ティモクラテスの工作は成功した。

   【略】

この後、スパルタは新たにアナクシビオスをケルソネソス半島(英語版)(今日のトルコ領ゲリボル半島)のアビュドスに送った。彼はファルナバゾスに対して多くの成功を勝ち取り、多くのアテナイの商船を鹵獲した。これによってトラシュブロスの成果が弱められるのを心配したアテナイはイピクラテスをそこへ送った。しばらくの間、両軍は互いの領地を襲撃するのみであったが、イピクラテスはアンタンドロスに対する遠征からのアナクシビオスの岐路を予測して待ち伏せを仕掛けた。イピクラテスの読みは的中し、彼の軍は進軍してきたアナクシビオス軍に待ち伏せ攻撃を仕掛け、アナクシビオスを含む多数を殺害した。

紀元前391年から388年[編集]

紀元前391年、アゲシラオスはレカイオン近辺の地域に遠征し、防備を強化された地点と大量の捕虜と略奪品を得た。しかし、アゲシラオスが戦利品売却の準備を進めている間、イピクラテスがほとんどが軽装歩兵と投槍兵から成る部隊を率いてレカイオンに向かい、そこに配置されていたスパルタの部隊を破った。この戦いでは軽装備のアテナイ軍はスパルタ重装歩兵をヒットアンドアウェイ戦法ですり減らし、壊走させた(レカイオンの戦い)。その後、彼はスパルタが占めていた要地の多くを奪回し、フリウスとアルカディアにも遠征してフリウス人を破り、アルカディアを略奪して回った。

一方この後、コリントスに来たアルゴス軍はアクロポリスを占拠し、コリントスを併合した。

イピクラテスの勝利の後、コリントス近郊は主戦場から外れ、

   【略】

影響[編集]

和平に調印した次の数年の間、この体制の維持に責任を持つ二国、ペルシアとスパルタはこの条約で築いたものを最大限に利用した。ペルシアは再三にわたるギリシア側のアジアへの干渉から開放され、エーゲ海東部の支配を強固にし、紀元前380年までに反乱を起こしたエジプトとキュプロスを再占領した。また、イオニアのギリシア人は紀元前5世紀初の反乱以来ペルシアからの自由と自治を目指していたが、この和平によってイオニアを含む小アジアのペルシアの支配が確定したため、何かしらの自由と自治を目指す試みを行うことはなくなった。言うなればイオニアのギリシア人は本土のギリシア人から見捨てられたことになる。それ以降ペルシアはアレクサンドロス3世(大王)の征服まで小アジアを支配し続けた。

スパルタは脅威と感じられた同盟の解体に和平の条項を活用し、ギリシアに覇を唱えた。スパルタはテバイにその勢力下にあったボイオティアの諸都市の独立を迫り、アルゴスとコリントスを分離させ、コリントスをペロポネソス同盟に戻らせた。しかし、間もなくテバイとの対立からボイオティア戦争が起こり、紀元前371年のレウクトラの戦いでの敗北によってギリシアの覇権を失った。

その一方でペロポネソス戦争の敗戦以来二級国の地位に落とされていたアテナイは以前ほどではないにしてもギリシアの強国の地位を取り戻し、「第二次アテナイ帝国」と呼ばれるエーゲ海の諸国の支配体制を確立し、敗戦によって失ったものを一部にせよ回復した。

参考文献[編集]
クセノポン著、根本英世訳、『ギリシア史』、京都大学学術出版会、1998年
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89




イフィクラテース(Ιφικράτης、Iphicratēs、紀元前415年頃 - 紀元前353年)は、アテナイの将軍である。彼はコリントス戦争のレカイオンの戦い(紀元前391年)で、小型で軽い革製の盾と投げ槍を装備し、機動力に優れた軽装歩兵を指揮して、スパルタの重装歩兵軍に勝利した。

原語の音に従うならば、「イープィクラテース」が正しい表記。[要出典]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B9


ペルタスト
ペルタスト(古代ギリシア語: πελταστής、ラテン文字転記:Peltastes) とは古代ギリシア時代の軽装歩兵。

概要[編集]

木の板に動物の皮を張って作った三日月型の盾「ペルタ」(Pelta)[1]を持った兵士という意味であり、「盾兵」と訳されることもある。これを初めて使用していたのはアマゾン族だと言われている。

元々ギリシア人の主戦力は重装歩兵であるホプリタイで、その戦法も密集隊形を組み堅牢だが機動力に劣るファランクスであるが、ギリシア人は度々北方から侵入してくるトラキア人と戦う中で彼らの戦術や兵器を取り入れており、そのひとつがペルタ及びペルタストの戦法であった。

当初、ペルタストは重装歩兵の装備を自弁できない貧しい階層でしかなく(古代ギリシアにおいては鎧や武器は自弁であった)、重装歩兵の補助役としての役割しかなかったが、機動力の低さという重装歩兵の弱点を補ったり、投擲により敵を撹乱したりといった彼らの役割にも徐々に目が向けられるようになった。そして、紀元前391年のレカイオンの戦いではアテナイの将軍イピクラテス率いる軽装歩兵部隊がスパルタの重装歩兵を破り、ペルタストでも重装歩兵に対抗できるということが示された。

ペルタストは主に投げ槍による散兵戦を行うが、他の軽装歩兵とは違い隊列を組んで白兵戦も行うこともできた。投げ槍は投擲の際に指がうまく引っかかって力が伝わり威力や射程が増すように、紐を結び付けられていた。ギリシアには投げ槍以外にも弓やスリングもあったが、弓は主に競技用でこれが戦場や狩猟で用いられることはそれほど多くはなく、もっぱら競技として使用される事の方が主で、戦闘での射撃の際はこうした投げ槍による攻撃がペルシアやスキタイといった他の文明よりも多かった。

現在の投擲競技槍投もこうした投げ槍の技量を各々の都市国家が古代オリンピックで競いあったことが起源となっている。

脚注[編集]
1.^ ペルタには軽い盾で葦を編んで作った物や円形の物もある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88




重装歩兵(ポプリーテス)・密集部隊(ファランクス)

古代ギリシアの平民が武装した兵力(ポプリテス)。密集部隊(ファランクス)を編成し、ペルシア戦争などでギリシアの強力な戦力となった。


古代ギリシア・ポリスの兵制

重装歩兵像
青銅製の重装歩兵像(前500年頃)
『ギリシャ・ローマの戦争』p.110
 古代ギリシアのポリス(都市国家)の兵力は職業的な軍人や、国民皆兵的な徴兵制度ではなく、ポリスの市民が義務として武器を自弁して武装し、ポリスの防衛に当たるものであった。はじめは馬を所有する上層の平民である貴族がポリスの防衛の中心となっていたが、手工業が発展し、貨幣経済の浸透によって武器の価格が下落すると一般の平民も武器を自弁し、歩兵として国防に参加するようになった。彼らは動きやすい鎧と甲、大きな楯を持ち長い槍を使ったので重装歩兵(ポプリーテス)と言い、その戦術は盾を揃えて密集部隊(ファランクス)を組んだ。この重装歩兵密集部隊(ポプリーテス=ファランクス)がポリス市民軍の中核としてポリスの防衛に活躍するようになって平民の地位を向上させ、市民の成長が実現していった。 → ローマの重装歩兵

重装歩兵革命
 このような騎兵を主力とした乱戦スタイルの戦闘から、重装歩兵による組織的戦闘への変化という戦術上の変化を重装歩兵革命といい、それによって平民の成長を背景にしてポリス民主政が成立したと考えられている。ギリシアの壷絵には、有名な「キージの壷」(教科書・山川『詳説世界史』p.35に写真がある)に描かれたような重装歩兵の戦闘場面を見ることができる。<ハリー・サイドボトム『ギリシャ・ローマの戦争』2006 1冊でわかるシリーズ 岩波書店 p.51>
重装歩兵の密集部隊(ファランクス)戦術

重装歩兵密集部隊
キージの壺絵に描かれた重装歩兵密集部隊。
『ギリシャ・ローマの戦争』p.51"
 ギリシアのポリス民主政の時代、市民は重装備で武装して重装歩兵(ポプリーテス)となり、戦術としては密集して敵に当たる密集部隊(ファランクス)の戦術をとった。ホメロスの物語にも登場するが、本格的に用いられるようになったのは、鉄器時代に入り、武器が安価になって一般市民が武器を自弁できるようになった前7世紀ごろからと思われる。教科書などに重装歩兵密集部隊を示す物としてよく出てくる壷絵は前7世紀中頃の物である。武器で重要なのは盾で、貴族たちが用いていたのは首から革ひもで吊って支える大型の物だったが、重装歩兵の盾は小型になり、裏側の中央部に輪が付いていて、それに腕を通し、把手を握って盾を構え、頭と足は甲と脛あてで守る。そして兵士同士が隙間無く密着して隊列を組み、槍をそろえて敵に突っ込んでいく。このような戦術は、騎士が一騎打ちで戦う貴族政に代わり、平民が国防の主役となった共和政の時代に対応していた。ペルシア戦争では、ペルシア軍は昔ながらの騎兵と弓による戦術だったので、ギリシアの重装歩兵密集戦術が効果的だった。またこの戦術をとるためには、市民の団結心と日頃からの集団訓練が必要となり、戦史共同体としてのポリス社会にもっとも適合した戦術でもあった。ギリシアの戦術は、アレクサンドロス時代まで、基本的には重装歩兵密集部隊戦術をとった。<サイドボトム『ギリシャ・ローマの戦争』p.51より>
Episode 戦闘方法を変えた楯の変化
 前7世紀の初めごろ、ギリシア人の武器の上に一見小さいが重要な変化が生まれた。それは在来肩から吊られて全身を保護していた楯に対し、取っ手を内側にもったやや小型の金属の楯が普及し始め、身体を保護するためには胸当てや腰当てを必要とするようになったことである。そして投げ槍に代わって長い槍が使われるようになった。・・・商工業の発展が武器の値を今までより安価にし、それをすみやかに普及させたことが想像される。・・・長槍を攻撃武器とし、楯を防御武器にし、密集隊をなして整然と行動し、集団の圧力によって敵を打ち破る重装歩兵の密集隊の戦術となる。駿馬にまたがった貴族もこの集団にはたじろがざるをえない。この新戦術が、恐らくスパルタで完成され、他のポリスに普及していったとき、国防の主体として自ら任じた貴族の政権独占の口実はくずれ去った。<村川堅太郎『ギリシアとローマ』1961 世界の歴史2(旧版) 中央公論社 p.53-54 におる>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-052.html
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