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2020年01月25日01:23

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バタイユの構図≫注目すべきは「労働」と「死」と「性活動」の三つの問題が「禁止」という出来事を共通させて重なり合うものとして捉えられている点である<芸術は道具の所有と、道具の製作あるいは使用>>

>によって得られる手先の器用さを前提とする。だが同時に芸術は、有用な人間活動との関係においでいえば、反対物としての価値を持つのである。それは、存在する世界に向って発せられる一つの抗議であるが、世界がなくては抗議そのものが形をなすことはなかったであろう。≪



バタイユの構図
――労働、死、エロティスム、そして芸術
吉田  裕


1 .エロティスムからの問いかけ
 エロティスムというのは、バタイユにもっとも強く貼り付けられた付票であ
ろう。私事になるが、私がバタイユを読み始めた19₇0年前後は、バタイユはそ
れなりに導入がなされていた時期だった。翻訳は『蠱惑の夜』(『C 神父』のこ
と、翻訳は19₅₇年、以下同)から始まり、『エロティシズム』(19₅9年)、『文学
と悪』(19₅9年)、『エロスの涙』(19₆₄年)、『マダム・エドワルダ』(19₆₇年)、
『有罪者』(19₆₇年)、『青空』(19₆₈年)、『内的体験』(19₇0年)があり、19₇1年
からは二見書房の著作集が出始めていたが、これらの中でもっとも関心を集め
ていたのは、『エドワルダ』をはじめとするいくつかのエロティックな物語と、
理論書としての『エロティスム』、それに神秘的経験探究の書としての『内的体
験』であったろう。そしてそこから、バタイユ読解のキーとして、死とエロティ
スムの絡み合いという主題が了解され、結果として彼は秘教的な異端の作家と
して偶像視されていた。三島由紀夫はバタイユのことを「エロティシズムのニー
チェ」と呼んだ。これらが当時のもっとも主要な受け取り方であったろう。死
の意識に裏打ちされたエロティスムの姿は、確かに日本では見られない強烈さ
を持っていて魅力的であり、私にとってもそれがこの作家を読むきっかけだっ
た。
 けれども、上記のような書物に続いて『呪われた部分』(19₇₃年)(またかな
りのちになってだが、社会学研究会の記録である『聖社会学』(19₈₇年))が翻
訳され、同時にフランスで19₇₃年から刊行され始めた全集を自分でも読み始め
ることで、バタイユが秘教的な作家であるどころか、多くの思想家・芸術家と
― 6 0 ―
多様な交遊を持ち、政治の分野まで含めて歴史状況に積極的かつ実践的に関わ
ろうとした作家であることを知り始めたとき、それまで抱いていた死とエロス
の作家というのは部分的な見方であり、そのような見方を続ける限り、根源的
な問題に触れたに違いない作家を、ディレッタント的に享受し、愛玩物として
矮小化してしまうように見え始めた。フランス人の研究者と話したことがある
が、彼もフランスでの初期のバタイユの受け取り方はそのようなものであり、
それが変わったのは全集の刊行によって全体が見え始めた以後だと言っていた。
 バタイユにおいてはエロティスムと死は不可分に結ばれていると考えること
を、間違いだとは考えなかったが、エロティスムが含む問題はそれだけではな
いと思えた。その可能性の全体を捉えるためには、何かがまだ欠けていると思
われたのだが、それをのちに了解した言葉で簡単に言うなら、「労働」という問
題だった。このように一見散文的に見える問題がもっとも秘教的とされていた
この作家に関わってくる、とりわけその中心にあるとされるエロティスムの思
想に関わってくると考えることは、現在ならともかく、₇0年代から₈0年代にか
けては受け入れてもらいにくい発想だった。自身のことを振り返るなら、この
問題の所在に気づいた頃から、澁澤龍彦、生田耕作、出口裕弘など、先行する
紹介者・研究者たちのバタイユとこの主題についての発言を読むとき、違うじゃ
ないか、違うじゃないか、と呟きつつ、読まねばならなかった(1)。

まずはエロティスムについて、バタイユが負わされたこの看板を、彼の多様
なその全体の中に位置づけてその意義を確かめ直そう。そうすると、問題がそ
れだけに留まらないようにも見え始めるだろう。エロティスムの背後には、よ
り大きな構図があって、その関連のうちに置かなければ、個別の問題も十分に
は理解できないだろう。だがエロティスムは確かに導きの糸であり得る。であ
るなら、それを伝って可能な限り遠くまで行くことを試みる。
2 .動物から人間へ
 出来るだけ簡潔に話を進めよう。上記の異和感に応じてくれる叙述は、実は
すでに『エロティスム』(原著の出版は19₅₇年、以下同)に明記されている。そ
れは冒頭の「動物から人間への過程への決定的な重要性」と題された節の中の
― 6 1 ―
バタイユの構図
次のような箇所である。
 一言で言えば、人間は労働0 0 を通して自分を動物から区別するようになった。それ
と並行して、人間は自分自身に、禁止0 0 という名の下に知られている制約を課した。
これらの禁止は本質的に――そして確実に――死者に対する態度に及ぶものだった。
それらはまた同時に――あるいは同じ頃に――性活動にも関係していたようだ。死
者に対する態度が古いものだということは、その当時の人間によって集められた骸
骨が多く発見されるという事実によって明らかである。(…)性的禁止がこれほど遠
く隔たった時代にまで遡るかどうかは確かではない。それは人類が現れた場所には
どこにでも現れているが、先史学のデータに依拠しなければならない限りにおいて
は、明白な証拠となるものは何一つないと言うことができる(2)。
 これは自然からの人間の成立過程についてのバタイユの考えが、もっとも簡
潔明瞭に語られた部分である。人間は自然の中に過不足なく組み込まれた動物
的存在である様態から自分を分離させ、人間として存在し始める。この最初で
最重要の変容が上記のテキストの主題なのだが、注目すべきは「労働」と「死」
と「性活動」の三つの問題が「禁止」という出来事を共通させて重なり合うものとして捉えられている点である。この重ね合わせ、とりわけ労働がそこに入っ
ていることは、最初は意想外だろう。だが、説明されてみれば、さほど理解し
にくいものではない。
 まずはエロティスムについて、バタイユが負わされたこの看板を、彼の多様

   【略】

禁止のこのからくりは、「死」をめぐっても同様に、だがもっと鮮鋭なかたち
で現れる。生命体は、生まれ、持続し、やがては死んでいく。この生成と消滅
が自然の動きである。しかし、人間は自分が消滅することに恐怖する。この恐
怖は、この流れを意識することであり、それを拒否することである。彼はこの
流れから離脱することは出来なかったが、それを押し隠そうとする。彼は死の
現れとしての死体を排除するために埋葬を開始し、「汝殺す勿れ」を戒律とす
る。それが死に対する「禁止」である。この「禁止」を通して、人間という動
物は自然をいっそう明瞭に拒否し、「人間」となる。

さらに同様のからくりが「性活動」を通して形成される。動物としての人間
には、生命の交替を可能にするために生殖行為すなわち性活動が必要であり、
当然ながらそれを持続させてきた。この場合の性活動は、自然的な活動の一つ
である。しかし、この行為は動物と変わらぬ行為であるので、そこにためらい
あるいは恥じらい――拒否でないとしても――が生じる。それは労働における
「距たり」、死における「怖れ」に相当する反応である。この「恥じらい」の感
情が「性」における禁止の最初の姿である。
 このように、労働と死と性という三つの水準で、労働を先行させつつ同じ性
格の運動が生じる。そう述べた上で、バタイユは次のように総括する。
 人間は労働しながら、自分が死ぬだろうということを理解しながら、恥じらいの
ない性活動から恥じらいを知った性活動へと移行しながら、動物性を脱したのであ
り、エロティスムは、この恥じらいを知った性活動から生じた(₃)。

   【略】

芸術は道具の所有と、道具の製作あるいは使用によって得られる手先の器用さを前提とする。だが同時に芸術は、有用な人間活動との関係においでいえば、反対物としての価値を持つのである。それは、存在する世界に向って発せられる一つの抗議であるが、世界がなくては抗議
そのものが形をなすことはなかったであろう。

   【略】

元になった紹介者からの引用(ミシェル・カルージュの『カフカ』)を含む
が、これがバタイユの見出したカフカである。カフカの主人公は、おとなしい
ながらも攻
アグレツシヴ
撃的で、突拍子もなく気まぐれでかつ盲目的に頑迷である。またこ
― 7 2 ―
の物語において、出来事はほとんど突発的に意味なく到来する。死でさえもそ
うだ。ヨーゼフ・K は、死の接近を感知しながらも、怖れているふうでもなく、
些細なことと見なしているようであり、避けようとしない。問題はもはや死で
すらないかのようだ。これがおそらく文学によって描き出された、驚嘆すべき
何ごとももはやないということを告げる光
スペクタークル
景、閉じた眼だけが見ることの出
来る光景だった。バタイユの考えでは、歴史の終わりについて、もっとも鋭敏
に反応するのは芸術であり、さらに文学だったが、その作品が何を描き出すか
のもっとも強い例証をカフカに見出したのである。
 この小論の目的は、バタイユという多様な姿を持つ思想家を、できるだけ簡
潔で大きな枠組みで捉え直すことだった。彼は自然からの人間の離脱と成立を、
労働、死の意識、性活動の三つの水準で捉えたが、もっとも先行した労働の問
題は、またもっとも包括性を持っていて、それは自身に対して、遊びあるいは
祝祭というアンチ・テーゼを促すだけでなく、それらを越えて、遊びの一つと
して――しかし単なる一例としてではなく、その集約態として――芸術を提起
することで、それが歴史の終わりにもっともよく応える能力があることを示し
た。これは隘路であるに違いないが、最後期のバタイユは、この隘路に導かれ
つつ、それを突破することに思いを巡らせていたように思われる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://www.seijo.ac.jp/education/falit-grad-school/europe-study/french-literature/azur17/jtmo42000000e2qw-att/AZUR_017_04.pdf
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