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2020年01月25日00:50

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古代ギリシアの哲学者ソクラテスがパイドロスに語った、美についての話を想起>?<「威厳ある」作家である彼は、こうして美少年への恋によって放埒な心情にのめりこんでいく。だが、ヴェネツィアにはコレラが≪

トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』



2013年06月29日
テーマ:ドイツの作品


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トーマス・マン(岸美光訳)『ヴェネツィアに死す』(光文社古典新訳文庫)を読みました。

90年代ハリウッドのアクション映画全盛期に育ったぼくにとってのヒーローは、アーノルド・シュワルツェネッガーであり、シルヴェスター・スタローンであり、ブルース・ウィルスだったわけです。

アクション映画にはお決まりのパターンがあって、世界征服を目論む悪い奴が現れると、正義のヒーローが腕力でそれをぶちのめします。

さすがにヒーローが殺すと後味が悪いからか、悪い奴は自業自得という感じで、高い所から落ちて死ぬというのが、あの時代の(というか現在もかも知れませんね)アクション映画の言わばお約束でした。

アクションにしろ、ラブストーリーにしろ、映画をわりとそういう、分かりやすい単純なものだと思って見ていたぼくが、名画だと言うので見てみて、びっくりした映画があったんです。

それが1971年に公開された、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』で、まさに「これが映画なら、今まで見て来たものはなんだったんだ!」というような衝撃を受けた作品でした。

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『ベニスに死す』というのは、グスタフ・マーラーの交響曲第5番(第4楽章アダージェット)をテーマ曲にして、ひげを生やしたおじさんが、海辺で遊ぶ美しい少年をうっとりと眺めるという映画。

ストーリーらしいストーリーというのは全く無く、本当に全編ずっと眺めるだけで終わりなんです。ある意味では、これ以上退屈な映画はないというぐらい、とんでもなく退屈な作品です。

小説と違って映画には心理描写がありませんから、少年を眺めるおじさん(=カメラ)の”まなざし”に同化するのは難しく、音楽と映像は美しいけれど、まあつまらない映画だなあと思ったものでした。

心打たれるいい映画だったからではなく、あまりにも理解不能な作品だったが故に衝撃的だったんです。今でも忘れられない映画ですね。

ただ、『ベニスに死す』は、原作を読むと物語の理解の仕方が少し変わって来る作品でもあるんです。その原作こそが、今回紹介するトーマス・マンの『ヴェネツィアに死す』です。

原作でも、おじさんが美少年を見てうっとりするという、同性愛的な物語であることに変わりはありませんが、おじさんが抱く感覚というのは、単なる恋愛感情ではないんですよ。これが重要です。

ギリシア神話の神々の世界のイメージや、ソフィスト(古代ギリシアの哲学者)たちが議論した”美とは何か?”という問題が美少年への”まなざし”には重なっているのです。”美”の象徴がそこにあると。

現実の恋愛を考えると、きっかけは一目惚れだったとしても、お互いのことを知っていく内に、段々と心惹かれていくというのが普通だろうと思います。ただ眺めているだけでは、恋愛は成立しません。

しかしたとえばですよ、みなさんがどこかにキャンプに行ったとして、湖で遊んでいるニンフ(妖精)や、オリンポスの神々と出会って、その美しさに心打たれたらどうでしょうか。

話しかけて、お互いを知りあって云々ではなく、呆然と立ちすくんで、ただただその美しさを眺めるしかないだろうと思います。

そうした絶対的な”美”を、まさに人間は絵画や音楽など芸術で表現しようとしていると言っても過言ではありませんが、そうした圧倒的な芸術的な”美”を『ヴェネツィアに死す』の主人公は感じたのでした。

肉欲的にどうこうしたいという感覚では無く、そうした崇高な”美”が描かれている、とても稀有な作品なんですね。おじさんと美少女ではなかなか成立しえない、芸術的な世界がそこにはあります。

滅びゆく生と儚さもある”美”が描かれた、とても印象的な作品なので、同性愛的な作品だからと、あまり敬遠せず手に取ってみてください。名画として有名な映画の方も、機会があればぜひ。


作品のあらすじ

19××年、寒く湿っぽい数週間が終わり、真夏のような日になった5月の初め。散歩に出かけたグスタフ・アッシェンバッハは、停留所で見知らぬ男を見かけました。

そのよそ者の様子は、アッシェンバッハの心を旅へと誘い、「作品から逃れたい、硬直して冷たく苦しみの多い日々の仕事の場から逃れたいという衝動」(14ページ)に駆られて、旅立つことにします。

上級司法官の子に生まれ、「恥を知って誇り高く歯をくいしばり、剣と槍に体を貫かれても静かに立っている、理知的で若々しい」(22ページ)英雄を描くことに定評がある作家のアッシェンバッハ。

50歳を越えていて、妻を亡くし、娘は嫁いだ孤独な身の上です。

まずはアドリア海の島に行きますが、どうもイメージと違うので、続いてイタリアのヴェネツィアに向かうことにしました。

ヴェネツィアに着き、ゴンドラ(黒塗りの平底のボート)に乗ると、辺りは騒がしくても、不思議と心落ち着きます。


船頭たちはあいかわらず喧嘩していた。粗暴で、何をまくし立てているのかわからない、脅しつける身振り。しかし水上都市の独特な静けさが、彼らの声を柔らかく吸収し、中身を抜き、満々たる水の上にまき散らしてしまうようだった。港の中は暖かかった。なま暖かいシロッコになぶられ、しなやかな水の上でクッションにもたれて、旅の男は、経験のない甘い怠惰を味わいながら目を閉じた。この船で行くのはわずかな間だ、彼は思った。ずっと続けばいいのに! かすかに体が揺れて、雑踏から、縺れあった声から離れるのを感じた。(41ページ)

ちなみに「シロッコ」は、地中海に吹く熱風のことです。

ちょっとしたごたごたが起こったものの、無事にアッシェンバッハはホテルに到着し、3階の部屋に案内されました。強く匂う花が飾られ、海が見える部屋。

避暑地として有名な場所なだけに、ホテルのホールには、様々な国の人々が集まっていました。アメリカ人、ロシア人、イギリス人、フランス人の世話係がついたドイツ人の家族などなど。

そんな中アッシェンバッハは、ふとポーランド人の一家に目を止めました。15歳から17歳と思われる3人の少女と、髪の長い14歳ほどの少年がいたのですが、その少年の美しさに驚かされたのです。


アッシェンバッハは、この少年が完璧に美しいことに気づいて愕然とした。うち解けないその顔は青白く優美で、蜂蜜色の髪の毛に囲まれ、鼻筋は真っ直ぐ下に通って、口は愛らしく、優しく神々しいまでに生真面目な表情を浮かべ、もっとも高貴な時代のギリシア彫刻を思わせた。形式が最高の純粋さで完成されながら、一度きりの個人としての魅力も持っている。これを見ると、生身の人間であれ、造形芸術であれ、これほどに恵まれた実例には出会ったことがないと確信された。(50ページ)

ヴェネツィアの気候が体にあわず、この地を去ろうかとも思うアッシェンバッハでしたが、再びその少年を目にした時に考えを変えます。

「なるほど、私を待っていたのは海と浜辺ではなかったのだ。おまえがいる限り、私はここに留まろう!」(58ページ)と。

それからと言うもの、アッシェンバッハは、砂浜で遊ぶ少年から目が離せなくなります。後をこっそりつけたり、本を読むふりをしてちらちら眺めたりしてしまうのでした。

少年のことをみんなは「アッジォー」か「アッジュー」と呼んでいるようです。ポーランド語の知識を総動員して色々と考えた結果、おそらく「タッジオ」という名ではないかと思ったアッシェンバッハ。

やがて段々と体調が悪くなり、ヴェネツィアを去ったアッシェンバッハですが、不思議な感情が自分を締め付けることに気が付きます。

気候があわずに去るので、二度とヴェネツィアに来ることはあるまいと思うのですが、そうすると、「苦痛と困惑がつのって心は困惑した」(75ページ)のでした。

自分でもその感情が一体何なのか分かりませんでしたが、ホテルの手違いで荷物が全然別の場所へ送られてしまったことから、再びヴェネツィアに戻ったアッシェンバッハはその理由に気付きます。

赤い蝶結びのリボンの付いたストライプのリンネルの服を着たタッジオが、海からホテルへ引き上げてくるのを窓から見かけた時に、感情が強く揺さぶられたから。


アッシェンバッハはその高い位置から、少年の姿をきちんと目に捉える前に、あれはタッジオだと認めた。そして何ごとか考えようとした。たとえば、やあ、タッジオ、また会えたね! というような。しかしその瞬間、この適当な挨拶が心の真実の前にくずおれ、言葉を失うのを感じた、――血が騒ぎ、魂が喜び苦しむのを感じ、タッジオのせいで別れがあんなに辛かったのだと悟った。
(79ページ)

タッジオと再会し、自分がタッジオに夢中になっていることを改めて知ったアッシェンバッハは、ますますタッジオの美しさにのめり込んでいきます。

その完璧な美しさは、「神の中で生きているものが、人間の形をとり、比喩となって、ここに軽やかに優美に、礼讃の対象として据えられたのだ」(87ページ)と思ったほど。

アッシェンバッハは、美について考えをめぐらしていき、古代ギリシアの哲学者ソクラテスがパイドロスに語った、美についての話を想起したりします。

そして、タッジオと目があうだけで喜びを感じるようになり、自分に向けた微笑みを目にしたアッシェンバッハはついに、「私はおまえを愛している!」(102ページ)と認識したのでした。

やがてアッシェンバッハは不思議なことに気が付きます。本来なら、夏に向けて観光客は増えていくはずですが、増えるどころかどんどん減っていっているような気がするのです。

アッシェンバッハは、ついにその理由を突き止めたのですが・・・。

はたして、崇高な美を目にして恍惚としているアッシェンバッハの身に起こった思わぬ出来事とは!?

とまあそんなお話です。ギリシア神話のイメージや、古代ギリシアの哲学者たちの対話などで彩られた、究極の”美”が描かれた物語。

肉欲的な恋愛について描かれた作品はそれこそ山ほどありますが、芸術的な”美”の観点から対象に惹かれる作品は珍しいです。

150ページほどの短い話なので、わりと気軽に読めるかと思います。興味を持った方はぜひ読んでみてください。

ちなみに、「ベニス」と「ヴェネツィア」は同じ場所。イタリア語の「ヴェネツィア Venezia」という都市を、英語では「ベニス Venice」と言うんですね。

シェイクスピアに『ヴェニスの商人』という傑作喜劇があるので、日本では「ベニス」でも定着したのかも知れません。ギアッチョ(『ジョジョ』第5部に登場するキャラクター)は怒ってましたが。

明日もトーマス・マンで、『トーニオ・クレーガー 他一篇』を紹介する予定です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://ameblo.jp/classical-literature/entry-11562885999.html


『ヴェニスに死す』(ヴェニスにしす、Der Tod in Venedig)は、ドイツの作家トーマス・マンの中編小説。1912年発表。

本作を原作としたルキノ・ヴィスコンティの映画については『ベニスに死す (映画)』を参照。


目次 [非表示]
1 あらすじ
2 執筆経過と評価
3 実在のタージオ
4 オペラ
5 日本語訳(文庫)
6 脚注
7 参考文献
8 外部リンク

あらすじ[編集]

20世紀初頭のミュンヘン。著名な作家グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、執筆に疲れて英国式庭園を散策した帰り、異国風の男の姿を見て旅への憧憬をかきたてられる。

いったんアドリア海沿岸の保養地に出かけたが、嫌気がさしてヴェネツィアに足を向ける。

ホテルには長期滞在している上流階級のポーランド人家族がおり、その10代初めと思われる息子タージオの美しさにアッシェンバッハは魅せられてしまう。

やがて海辺で遊ぶ少年の姿を見るだけでは満足できなくなり、後をつけたり家族の部屋をのぞきこんだりするようになる。

様々な栄誉に包まれた「威厳ある」作家である彼は、こうして美少年への恋によって放埒な心情にのめりこんでいく。だが、ヴェネツィアにはコレラが迫っていた。

滞在客たちが逃げ出し閑散とする中、しかしアッシェンバッハは美少年から離れたくないためにこの地を去ることができない。そして、少年とその家族がついにヴェネツィアを旅立つ日、アッシェンバッハはコレラに感染して死を迎えるのであった。

執筆経過と評価[編集]

トーマス・マンは1911年に実際にヴェネツィアを旅行しており、そこで出会った上流ポーランド人の美少年に夢中になり、帰国後すぐにこの小説を書いた。

ただし小説では主人公アッシェンバッハは50代で、妻に先立たれ一人娘は嫁いでおり、ヴェネツィアには一人旅をするという設定だが、マンがヴェネツィアに旅したのは30代半ばで、妻や子供、兄のハインリヒ・マンなどと一緒だった。

また、主人公のアッシェンバッハがグスタフというファーストネームを持つのは、執筆直前に作曲家のグスタフ・マーラーが死去し、彼と交際のあったトーマス・マンがその名前を借りたためである。同時にアッシェンバッハの容貌もマーラーを模している。

トーマス・マンはこの小説を書いた直後は、作品の出来に確信が持てないでいた。しかし、ほどなく出たフランス語訳がたいへんな評判を呼んだのを初め、内外で高い評価を受け、やがてマン自身もこの小説を 『トーニオ・クレーガー』 と並んで自分の書いた中編小説の代表作と見なすようになった。

実在のタージオ[編集]





1911年、マンに出会ったまさにその夏のヴェネツィアで撮られたモエス男爵(中段左側の少年)
彼と一緒に写っているのは彼の姉(彼の右側)と妹たち(下段)、および友人のヤン・フダコフスキ(あだ名は「ヤス」、上段の人物)
この写真当時の男爵は11歳の誕生日を迎える直前でまだ10歳
マンに見初められた美少年は自分の方をじろじろ眺めるドイツ作家の存在を意識しており、後年この小説のポーランド語訳が出た際には、自分がモデルとなった作品であることに気づいたが、そのことを公言しなかったため、モデルの身元が判明したのはマンが死去してしばらくたってからであった。一説には1971年公開の映画を観たときだという。

この少年はシュラフタ(ポーランド貴族)のヴワディスワフ・モエス(Władysław Moes)男爵で、ヴェネツィアでマンと遭遇したのは11歳のときだった(男爵は1900年生まれ)。彼は当時ヴワージオ(Władzio)、アージオ(Adzio)などの愛称で呼ばれていた。

モエス男爵は第二次世界大戦後もポーランドに住み、1986年に亡くなった。ポーランド南部シロンスク県ピリツァの丘の上にある一族の墓地に葬られている。[1]

オペラ[編集]

1973年にベンジャミン・ブリテンが、オペラ《ヴェニスに死す》(Death in Venice )を作曲している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%81%AB%E6%AD%BB%E3%81%99
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