マイミク・ヨセフさんの日記を見て、
カフカ『断食芸人』の檻について
カフカの作品には繰返し制限さ1れた空間があらわれ
る。1）『断食芸人』2）における濫は，その代表的なものの
ひ．とつといえよう。この小さな空間は，断食芸人が身を
任ぜる断食の本質と不可分なかたちで結びついたものと
いえる。断食の意味を了解するとき．，断食芸人がそのよ
うな狭い空間を引き受けた意味も理解することができる。
ここではまず断食の意味を考え，その後に断食と断食芸
人と見物人たちとの関係のなかで濫がどのように機能す
62 Bulletin of N2goya．工nstitute．of Technology Vo1．28（1976）
るかをみていくことにする。
未知の糧の探究としての断食
断食芸人は断食にはいった理由を死の直前に告白して
言う。「わたしは断食をせずにはいられないからです。
ほかにどうすることもできないのです。」「わたしは口
に合った食べものをみいだすことができなかったからで
す。もしそれがみつかってたら，たぶんわたしはセンセ
ーションを起こしたりしないで，あんたやみんなと同じ
ように腹いっぱいたべたことでしょう。」（S，265）
断食へと衝き動かし，それを強いる力が断食芸人の内
部を支配する。断食は，彼にと．っでけっして外部から強
要されたものではなく，内的衝動に基づくものである。
この断食は，すなわち，内的必然性に支えられた，断食
芸人のとりうるただひとつの存在のあ．りようなのである。
彼は自己の存在の様式を断食にみいだし，それに身を委
ねた。断食とは，文字どおり生を維持する、うえで不可欠
な食べものを断つことであるから，それ自体人間の存立
を根底から脅かす反自然的・反本性的な行為であり，死
と深く結びついた行為である。だが，たとえ断食が死へ
の傾斜を含んだものであろうとも，断食芸人が断食へと
促す内なる力をおぼえ，またその力を受けとめることを
決意したとき，断食は彼自身が生きていくうえで不可避
なものとして彼の全体をとらえてしまった。断食は，断
食芸人がみずからに向けて投げかけた「槍」であった。
この世の食べもののどれも口に合わず， 「食べるとい
うことは，考えてみただけでもう吐気をもよおさせる。」
（S．259）食べるということは嫌悪と．なって，断食芸人
はすべての食べものを口にすることを拒否する。だが，
この断食はたんなる拒否に終るものではない。断食芸人
は，この断食をとおしていま．まで地上でえられなかった
「本当の食べもの」，”吐気をおぼえることのない，安心
して腹いっぱい郎られる食べものを求める．3’断食は，
この未知の糧を探し求め，その食べものを糧にして生き．
ようと欲する断食芸人によって引き受けられた。彼はこ
の求めてやまぬ未知の糧におのれの全存在をふりむけ
る。4）
この未知の糧への憧憬と探究は，他のすべてのものを
副次的なものに追いやってしまった。この排他性にもか
かわらず，断食そのものは，断食芸人にとって彼の存在
がひとえ．にそこにかかっている最も重要なものと結びつ
いており，かつまたそれに支えられている。彼の探し求
める未知の糧とは，この地上においてみいだしえなかっ
たものであり，断食においてみいだされるとされている
ことから，物質的なものの対極にあるものであろう。し
たがって，それは彼が確固として立てる「本当の基盤」
（S．260）とも言いかえることができよう。 断食の理由
は形而上的な領域にある。
欠如の感覚
断食を根底から支えるものは断食芸人の欠如の感覚で
ある。 口に合う食べものがないということは，・そこに
断食芸人がこの世界には彼にとって最も肝心なものが欠
落しているという認識をもっていることをわれわれは知
ることができる。こうしたおのれの生存に不可欠な根源
的ななにものかが欠落しているという認識は，その前提
として自己自身への深い反省と洞察とがなければならな
い。しかし，はじめのうち，断食芸人はまだこの欠落の
認識の意味するところを十全に理解しているとはいえな
い。欠落したものの内容については，漠とした感覚だけ
しかない。この感覚を手がかりに断食にはいり，日一目
と断食を重ね，おのれの肉体に日数を刻みこみながら，
漠とした感覚を認識へと高めていこうとする。この欠如
の感覚から欠如しているものの本質の認識へと’迫る作業
が，この物語において語られるところのもののひとつで
ある。
芸としての断食
断食芸人は，断食を芸にしたてて見せものにした。断
食もまた芸であるとしたところに断食芸人の糊入たるゆ
えんがある。だが，断食は内的要請において始められた
ものであり，この行為はその出発点において個人的なも
のであり，またその帰結においても個人的なものである。
しかもどこまでも孤独な試みである。自己の存在�萇坡�
かさの認識と，その一方での確固とした存在への激しい
憧憬と欲求の表現である断食は，その動機，過程，結果
のすべてにわたって彼個人に帰すべきものである。その
個人的な問題の探究という私的な営みを断食芸人は公衆
の前に曝した。そのとき，この営みのもつ真実（個有の
．性質）はうちすえられ，均され，うすめられて，営みの
主体からも観客からもその本質は奪いとられて風化する。
見せものに供されているかぎり，断食そのものの真の意
味は断食芸人からも締出されてしまう。
芸となった断食は，二つの側面からとらえられること
になる。すなわち「断食芸人にとっての断食」と「観衆
にとっての断食」．の二つである。この二つの断食はまた
「食べない者にとっての断食」と「食べる老にとっての
断食」とも言いかえることができる。芸としての断食が
もっぱら「食べる者」の観点からとらえられてもそれは
当然のことであろう。5）というのも，みせものは観衆あ
ってこそみせものとして成り立つのだから。
断食が芸として観衆の前にさし出されたとき，この断
食は観衆にとっては「みせもの」という意味しかもちえ
ない。しかもこのみせものがいま流行だから，観衆は見
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
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