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2019年09月20日23:35

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「ふるさと」(1番)のみを手話つきで歌う機会をえた。改めて疑わしく思ったが、「東日本大震災以降は、震災前の故郷を思って、または被災した人たちが復興した故郷に再び帰ることができますように、という願い>>

>>を重ねて、歌われることも多くなっている」そうで、それを否定する気にはならないなぁ






2014.10.2 20:00更新


【関西の議論】
「かの山」「かの川」とはどこか、「♪兎追いし」が日本人の心に響く理由と謎…誕生100年・唱歌「ふるさと」制作秘話





【関西の議論】 .


高野辰之の故郷、長野県中野市から望む熊坂山。「ふるさと」の原風景と言われている


 ♪兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川…。じんと心に沁み、なぜか涙がこみあげてくる唱歌「ふるさと」。この歌が発表されて今年で100年になる。作詞者の高野辰之の故郷・長野や、作曲者の岡野貞一の故郷・鳥取では、100年にわたって日本人の心に訴えてきた作品の作者を顕彰する動きが広まっている。どうしてこんなにこの曲は私たちの心に響くのか。その秘密を探ると、歌詞とメロディーの魅力以外に、もう一つ、意外な要因があった−。(安田奈緒美)

立身出世の精神性

 「ふるさと」は大正3(1914)年、「尋常小学校唱歌(六)」に発表された。

 「兎追いしかの山」の歌詞ではじまる1番、「如何にいます父母」の2番、そして「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」と高らかに歌う3番。

 今でも小学生だけでなく大人もよく歌う唱歌で、東日本大震災以降は、震災前の故郷を思って、または被災した人たちが復興した故郷に再び帰ることができますように、という願いを重ねて、歌われることも多くなっている。

 「わらべうた・遊びの魅力」などの著書があり、唱歌に詳しい岩井正浩・神戸大学名誉教授は「ふるさと」が今も歌い継がれる理由の1つとして「詞の魅力があるでしょう。誰もが思い浮かべることができる自然を歌い、また、都会で名をなして、故郷に帰りたいというような立身出世の精神性が日本人の感情に合ったのでは」という。

 作詞者の高野は長野師範学校卒業後、同校教諭を務めた後に上京。東京音楽学校の教授を務めた。大正14年には東京大学から博士号を授与されて親戚への報告のために帰郷し、3番の歌詞にあった立身出世を体現した。

強弱のない“3拍子” 日本人的な歌

 岩井名誉教授は音楽的にも「6年生のために作られた曲で、音域も狭く、多くの人にとって歌いやすいのでは」と、ふるさとが長年歌い継がれてきた理由について考える。

 とはいえ、この曲が単純な曲というわけではない。作曲者の岡野によってト長調で書かれたおおらかな旋律について「東京では教会のオルガン奏者でもあった岡野の作ったメロディーは賛美歌的な印象も残す」と指摘する。また、リズムに3拍子を取り入れており「西洋音楽を学んだ岡野らしい作風」と話す。

 ただ現在、この歌を歌うとき三拍子の強拍、弱拍を意識して歌う人は少ない。「日本古来の手まりうたのように一拍一拍に力点を置いて歌うから、日本的な歌に聞こえる」という。西洋音楽の技術を取り入れながら、日本的に歌われる歌が「ふるさと」なのだ。


ちなみに岡野が作曲したとされる作品には「春が来た」や「朧月夜」などもある。地元、鳥取市の「わらべ館」では10月14日まで企画展「唱歌『ふるさと』100年の歩み」を開いている。

長年、作詞者・作曲者不明だった理由

 日本人の叙情に訴える歌詞と、親しみやすいメロディー。実はこの2つ以外に、この歌を全日本人に普遍的な存在とさせた要因がある。

 歌詞にある「かの山」や「かの川」はどこの風景か特定されない表現になっている。しかも、今でこそ明らかになっている作詞者、作曲者が、長らく不詳だったことも、風景を特定させなかった。つまり、歌う人それぞれが自分の故郷を思い浮かべ、感情移入することができた、というわけだ。

 「もともと唱歌は、西洋音楽を日本に移入、消化するために学校教育のために作られた歌で、編纂は文部省主導で当時のそうそうたる作詞家、作曲家によって行われました」と岩井名誉教授は解説する。「合議制とされたため、長く実際の作詞者と作曲者が特定されていなかったのです」

 遺族らの証言から昭和40年代には日本音楽著作権協会は高野と岡野の作と認め、平成4年の音楽の教科書からは2人の名前が作詞家、作曲家として明記されるようになった。

 当然、作者である高野と岡野には、歌詞やメロディーを作る上でモデルとなった「原風景」というのがあったはずである。

 高野の故郷、長野県中野市(旧豊田村)では「かの山」とされる熊坂山や大平山といった里山が望め、また、班川(はんがわ)という「かの川」も流れる。

 一方、作曲家の岡野の出身地鳥取県にも霊峰・大山があり、鳥取市内には江戸時代から明治時代にかけてコイやフナ、シジミが採れたという袋川が流れていた。

 中野市にある高野辰之記念館の担当者は「兎追いは当地で伝統的に行われていた狩猟の一つですし、ふるさとの詞には高野の故郷の風景が歌われていると思います」と話す。

世界のオザワも歌う

 今夏、高野の出身地、長野県では「ふるさと」100年に合わせてビデオを制作した。

 ビデオは長野県松本市で開かれた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」のコンサートの様子を大型スクリーンで全国各地で見られるように中継したスクリーンコンサートの前に流された。


同県の阿部守一知事と、鳥取県の平井伸治知事も出演する“力作”で、高野のふるさと長野県中野市や岡野のふるさと鳥取市の風景を紹介した。世界的指揮者の小澤征爾さんも「ふるさと」について「僕も中学のころから仲間で歌ってきたし、いい曲ですよね。じんときますよね。大人になって聴いてもいい曲」とコメントを寄せた。

 ビデオの最後には、小澤さんのタクトでオーケストラが伴奏し、長野県内の子供たちがふるさとを1番から3番まで合唱する映像を流した。小澤さんがゆったりと振って、故郷の風景が瞼に浮かぶような大きな流れの音楽が奏でられた。小澤さんも口ずさむ様子が収録された。

 このビデオが放映されたのは札幌や東京、長野県内、そして鳥取、鹿児島など全国約10都市。各地では、小澤さんの指揮に合わせて「ふるさと」の合唱が起きたという。

 日本のどこで歌われても郷愁を呼び起こす「ふるさと」。その原風景がどこなのかはもはや関係なく、日本人一人一人の心に響き続けている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://www.sankei.com/west/news/141002/wst1410020006-n3.html
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