ファリサイ派の人の祈りと徴税人の祈り。ファリサイ派の人の祈りがなぜ聞かれなかったのか、と問われて、絶句。私が、ファリサイ派の人の祈りについて、とやかく言えようか。私は、神さまは、そんなファリサイ派の人(私)をも許される(祈りは聞かれ、義とさ
去年作った梅ジュースを、飲み終わり、今は、去年の冷凍トマトとバナナで、蜂蜜ジュース。祈祷会ではサムエル記下、聖書日課ではヨブ記。どちらも、山場を越え、いよいよ集結へ。そして、十戒も。
仕事も、休憩できて、言うことなし。町の行事や会議に参加したら、配付されるプリントと一緒にファイルに入れられてこんなものが配られたもの。最近、こんな感じが増えているなぁ〜。必要か?と思ったりする。
5つあった小学校が、4つになり、今年は一度にふたつ減って、2校になった。一つは、子ども園になることに決まっていて、とうとう、工事が始まった。
サンテレビ、金曜朝、7時から。今週は、ヨブ記だった。来週はノアの箱舟らしい。ジョイ、クリフ、それにロボットのロビックが、聖書の中にタイムスリップする設定。アニメと侮れない、クオリティ高い!これは、奈良で配ってたという苗。良いお土産だわ。
三種類の四角からなっていると知った。大きいのが9つ、中ぐらいのが18個、小さいのが18個。目の錯覚って面白い、というか、結構、目って、いい加減。
借りているのは二冊。一つは、リュティさんの「十戒」もう一つは、主婦の友社からの「聖書の人々」(これは自前)とシリーズになっている、「聖書に見るドラマ」。その中の「わらべサムエルをめぐる黙想」は、子育てをする前に読みたかった。
小さな犬と一緒に旅回りする優しい芸人に助けられ、仲間に加えてもらい、そこで食べつなぐラッシー。途中で、おいはぎに襲われて、その小さな犬が死んでしまう。その旅回りの人が、お墓を作って犬を埋めると、ラッシーの方を見て、「雀一羽でもご存じの神さま
「哲学者ニーチェが、『あなたが救われていることを見せてもらいたい。そうしたらわたしはあなたの救い主を信じよう』と言っているが、これはけっして不法な要求ではない。」と。初ピーマンといいたいところだけど、これはパプリカ。まぁ、最初のうちは青いう
名作映画、というジャンルの問題を選んでくれる人が少なくて、いつも気がかりのまま、終わっちゃう。教会学校では、インタビュー企画が開始。
何年か前から、田植えも稲刈りも2回に分けてやるようになり、従ってもみまきも今週と来週。二度手間だけど、その分、一回分が楽なので、まぁ、良いかという感じ。明日は、次のもみまきのための塩水選。着々と農繁期。
散歩道、今日は、サギとヒバリを直近で見て、感動していたら、極めつけは、キジだった。甲高い声で鳴いていた。オスで、キレイだった。
井上直さんの作品(もちろん、写真で)をもう一つ、持っていた。題して「放蕩息子」。京都洛北教会のパンフレット。
「あなたに出会えて良かった。」と科学者がフォイルに言うシーン。「良く生き抜いた」とフォイルがユダヤ人の人に言うシーン。戦後のヨーロッパは、ドイツ、イギリス、アメリカ、ソ連の関係が大変だったんだなぁとつくづく。
3年前のこれ。これもすてきでしょう?エマオの旅人がぐっと現代の感覚に。これも、捨てられないうちにと。
目をつけているという、今年のカレンダー。題は御言葉?ローマ書の8章1節ゴルゴダの丘に立つ3本の十字架。手前の人物はイエスさまだろうか。
これは、教会学校の部屋に貼った去年のお葬式屋さんのカレンダーの絵。とてもすてきだったので、残しておいたら、たまたま手に入った額にぴったり。トイレの前だけど、まるで、画廊の一角のよう。良いでしょう〜?(ちなみに今年のもすてき。今から目をつけて
「僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは。」新共同訳聖書 旧約 P493。ブロッコリーの苗、やっとここまで。まだ本植えまで、もう少し。
1953年の映画で、もちろん白黒、字幕、という年代物。ユーモアを真剣に?勉強?するために、これは、永久保存版としよう。二匹目のドジョウを期待して、今度は、「名犬ラッシー」を録画した。ここでも、魅力的な老人貴族が登場。その吹き替え声優が、なんと、
この映画は、たまたま見つけて、録画したので、最初が少し欠けている。主人公が、なんとも、格好良くない老人の判事さんで、その判事さんの選挙期間中のお話で、時代と場所は、南北戦争のすぐ後の南部の町、という設定。お葬式のシーンでは、マルコやヨハネの