能ベルSHOWの番組は、年末正月関係なく、29日の金曜日までやり、1日の月曜日からいつもどおり始まる。ありがたい。
やれ、とは言われない方と一緒に。お墓の花の算段と、餅米の用意。どんな花であろうと、どれだけのお餅になろうと、私は平気なんだけど。
「どうか、わたし自身が負わされているこうした艱難と失望の意味を悟らせてください。みむねによって起こる全てのことから、あなたの教えようとされる教訓を学び取ることのできる知恵をお与えください。自分の重荷に耐える強い心をお与えください。」これは、
12月12日のハバクク書と呼応するように。「倉には、まだ種があるか。 ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブは まだ実を結んでいない。 しかい、今日この日から、わたしは祝福を与える。」新しいカメラで撮ってみました。
カメラの調子がおかしくなった。もう、限界みたい。試しにとってみたのが一枚目。悪いでしょ?二枚目は、調子が悪いのが幸いして、陰影が渋く写った?いいえ、被写体がすごいだけ。違う角度からも撮ってみよう。新しいカメラで。実は、お古のカメラがもう2台
「いかに麗しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。 彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王となられた、と シオンに向かって呼ばわる。」新共同訳聖書 旧約P1148アドバイスを得て、改良してみました
荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。」新共同訳聖書 旧約P1123クリスマスを迎える前に。
という罪。残酷さ。「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」ルカによる福音書2章7節(新共同訳聖書 新約P102,103)今日の空。緞通(だんつう)が何重にもぶら下がってる感じ。
歌を歌い、イエス様の「やもめと裁判官」のたとえ話(ルカによる福音書18章 新共同訳聖書新約P143)を聞く。マイ湯たんぽ。ありがたい。
「静けき祈りの時は、いと楽し悩みある世々より 我を呼びいだし神の御前に すべての悩みをたずさえいたりて つぶさに告げしむ」幼い子どもが、どうでもいい(と大人は思う)ことを全部持ってきて(大事な事だけにしたら、と大人は思う)、一生懸命、夢中に
「イチジクの木に花は咲かず ブドウの枝は実をつけず オリーブは収穫の期待を裏切り 田畑は、食物を生ぜず 羊はおりから断たれ 牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る」3章17、18節(新共同訳聖書 旧
100分で名著、今月の本。ポーランドのレム、という人が書いたSFらしい。さっぱり知識も興味も不足分野。毎月毎に更新しないと、録画されないので、今月は、さすがにやめようかと思った。でも、食わず嫌いを改めて、一話でも見てみようと録画した。録画し
1か月ほど前、畑に行こうと、家の前の道にでると、そこに、大きなキジの雄が。私に驚いて、バタバタと飛んで逃げていきました。重たそうでした。で、問題。キジはなんと鳴くでしょう?
聞く、クリスマスの物語。聖書は、イエスさまの誕生をそんなに多くは語らない。そしてこれは、くたびれた、何年来のマイバッグ。
問題提供源は、テレビあり、新聞あり。分野も、興味の連れが、お互いを補い合って、愉快。これは、問題用紙。口頭の時もある。