ペスタロッチの「隠者の夕暮」の副題から引用して、「神の親ごころ、人間の子ごころ。 君主の親ごころ、国民の子ごころ。 それがすべての、しあわせのもと幸福の根源は、神の呼びかけに、子ごころをもって応えるところから始まる、と宣告したのです。」(下
「たとえ人が年を重ねて認知症になったとしても、そして神との関係を失っているように見えたとしても、神は人をお見捨てにならない。イエスキリストによって示された神の愛から引き離されることはない。」(香月茂)これはご近所の夏みかん(?)。毎年生り年
「もちろん、不幸な経験は誰にとってもない方がよいに違いありません。しかし不幸な経験が、ただ不幸で終わらない。聖書の(言うところの)うめきによる執り成しがあるとは、そういうことでもあるでしょう」(近藤勝彦)祈れないほどつらいとき、祈っても見当
わたしの言葉は決して滅びない。マタイ(24章)も、マルコ(13章)も、ルカ(21章)も同じ表現で。滅びないものがある。きれいな刈り跡にちょっと感動。みちすがら。
ピンチになると、不信仰があらわになる。「あなたがたの信仰はどこにあるのか」ルカによる福音書8章25節(新共同訳聖書 新約P119)この問いかけに、振り向いて思い出す、それでいい、と。たわわに実った柿。みちすがら。
私たちは普段、自分の不平不満から出発して、問題を解決しようと考えます。その結果、さらに疑問が生じ、もっと混乱してしまう。そうではなく、キリストのおられる場所から、上から出発してこの世の問題を考えることが大切なのだ、と。主を礼拝することから始
郵便局では民営化で様変わりしているんだと今頃実感。先日、私が持ち込んだ用件で、郵便局の人たちが頭を寄せ合って、あーでもない、こーでもないと大問題になっていた。申し訳なかったが、ずいぶん時間がかかったうえに解決せず、お詫びにサランラップやら、
20年ほど前の記憶はほとんどぼやけてはいるけれど、懐かしい気持ちになる。20年前には、こんな日を想像もしなかったはず。長生き?してよかった、と言っておこう。で、これは、我が町に新しくできた、給食センターと中学校体育館の裏側からの景色。