田植えや、稲刈りはやっぱり夫婦二人では無理で、手伝いに来てもらうんだけど、もれなく食事付き。仕事途中だから家の外でちゃっちゃと済ませたい、とか、こちらも料理の時間などほとんどない、など、特殊な条件下で、はて、どうしたもんかと食材を書き出して
この一週間だけでも。今日、新しく?おろしたマッチ箱をよく見ると、大坂万博を成功させよう、とある。何年前のマッチやねん!!過ぎし方、50年近くを振り返っても。
聖書日課もここまで来ました。イエスさまがまだ、お生まれでなかった、紀元前に、人々はここをどう読んだ(正しくは、「聞いた」)のでしょうか。紀元後に生きる者の幸いを思う。これは、今朝の朝焼け。
有名な、コヘレト3章(新共同訳聖書 旧約P1036〜)「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、・・・泣く時、笑う時、・・・求める時、失う時、・・・黙する時、語る時・・・」そして「神のなさることはみな
良いか悪いか。正しいか間違っているか。ではなく、もう一つの心。美しい心。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み。なんという喜び。 かぐわしい油が頭に注がれ ひげに滴り ・・ヘルモンにおく露のように シオンの山々に滴り落ちる。 シオンで
ナルド、とは、甘松という植物の根っこから採れる香油のことで、ヒマラヤ原産の、とっても貴重な香油らしい。これは、彼岸花、ニラの花、ケイトウ。
去年、工場を作った日に、ジンジャーの花の下で骨折したんだった。え〜去年は、もう、ジンジャーが咲いていたって事?今年はまだまだなのに?これは、その去年のジンジャー。
今日は、田んぼの畦シートを外して、川で泥を洗い流す作業をした。川の流れが、良いあんばいに作業を手助けしてくれるのだけれど、深い用水路に浸かって長いシートを洗っていると、川上から、巨大な桃が流れてきてもおかしくない気がした。いや、今時、もっと
収穫前の稲と台風。我が家の田んぼは、他のところが倒れてないときでも、倒れる(箇所がある)。今日の空。台風前?の静かな空。
春は、芽生えが楽しみ、で、秋は、とにかく花盛り。台風で倒れる前に、と、見納め?のつもりで花がらを摘んだ。これは、冬野菜の白菜、ブロッコリー、キャベツ。これも、台風でどうなる事やら。
モアブの王、エグロンを剣で殺害するシーンは、アガサ・クリスティの遺跡の殺人を思い出させる。もう、確かに夏も終わり。
イザヤ書も、とうとう40章に突入。確かに、ガラッと雰囲気が変わる。第二イザヤ。これは、収穫中のサツマイモ、サツマイモの葉に鎮座ましますトノサマガエル。トノサマガエルも減少の傾向とテレビで言っていた。
4人の友人も、シリア・フェニキアの女も。(マルコによる福音書2章、7章)「わたしが植えたひまわりの花が咲いた!」と大声で喜ぶ女の子。ひまわりと言うには、ちっぽけな、いかにも成長不良の作品。「・・・・」と思う中年?女の私。いつまでも、少女のよ
神への冒涜、などと正しいことを主張するようでいて、中風の人が治った、ただそのことを喜べない罪。例の漢字パズルで、漱石枕流(そうせきちんりゅう)という熟語があった。調べると、へりくつを言って、自分の死失敗を認めず、なにかと言い逃れをすること、
赦される必要を感じているだろうか。今日、放送のブラタモリ(高野山)を見ていたら、「昔の人は、罪の意識が強かった」、と。自然の驚異という点でも、科学の知識の点でも、ただただ怖れることが多かったに違いない。今は、何でもできる、何でも解明できる、
罪を赦す、なんて、神への冒涜も甚だしいと言って、怒った人々。イエスさまにしか、できないことなのに。イエスさまにしか、言えないことだから。
中風の人に、「起きて歩け」というのと、「あなたの罪は赦された」というのと、どちらが易しいか。書道の道具が身近にあったおかげで、こんな使い方も。マジックの代わり!
4人の友人は、小さな教会。これが、キーワードかも。終点の吉野駅で、青の交響曲(シンフォニー)を丁寧なお辞儀で迎える人の姿。社内清掃のために待っている。
哀れな病人を見て、ではなく、暴挙に出た友人を見て、病を癒やされた。私たちの的を外れた祈りでも?いや、それ以前に、そこまでやっているか?これは、陀羅尼助の飴。のんびり吉野で。
寝たきりの友人を、イエスさまにいやしてもらうために、屋根を壊してつり下げる、という暴挙に出た人たち。その結末は!?(マタイ9章、マルコ2章、ルカ5章)昔の新幹線の漫才ではないけれど、このお話の意味を考え出すと、夜も寝られない?吉野で久しぶり
友達に誘われて、行ってきました。ゆっくり、電車で、ぼちぼちと。吉野駅で、青の交響曲(シンフォニー)を見ました。