という会社をご存じでしょう。農業の労働を少しでも楽にしたいと、農家の次男が農機具の制作を始めた会社。秋の実りの田んぼの上を飛び交う、やんま(とんぼ)から、収穫を願ってその名をつけたらしい。これはご近所のグリーンカーテン。特に実もならず、夏中
この言い回しに出会ったのは、「赤毛のアン」(アンの愛情)の中で、腸チフスの峠を越えたギルバードが、りんご園にいるアンを「輝く湖水」の橋に誘い出しに来たときの「こんな夏の終わりの日も、もうないと思うから」村岡花子訳。夏の終わりにはいつもこの言
この前はルソー、その次は坂口安吾、今、カントが終わった。もっと庶民的なのにして、とわたしは言いたい。が、ま、こんなこともなければ、縁がないのだから、我慢?して見させていただく。カントの自然の摂理は、人間の邪悪という本性と言っていた。なぜ、僻
高山植物?らしきものを写真にとって、家の図鑑で調べたが、よく分からない。牧野さんの図鑑も高山植物は載っていないし。この手前のは、ヤマハハコ。
申命記24章18節22節(新共同訳聖書 旧約P319)「わたしはそれゆえ、あなたにこのことを行うように命じるのである。」
写真を取り忘れたけれど、鈴虫たち。そういえば、この日曜日のNHK俳句は、兼題が松虫、鈴虫だった。ヘブライ人への手紙12章2節3節。「あなたがたが気力を失い疲れ果ててしまわないように、」「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」新共
この子は、メスであかりちゃん。昨日のハッピーと兄弟だそうです。似てる所を探すのが難しい、こんな兄弟もあるんですね。事情があって、ちょっと後から家族入りしたので、性格は慎重、人見知り。
昨日のネコちゃんも、ミーちゃんと言って家族の一員。今日、ご紹介するのは、ハッピーちゃん。5歳オス。震災犬を引き取ってるんだそうです。性格は、フレンドリー。
変わらないものと、変わってゆくものと。「歳とるのはイヤですね、どうして歳なんか、とるんですかねぇ〜」「そりゃ、早死にしなかったからですよ」というジョークを思い出す。変わって良し、変わらなくて良し。感謝だけを道連れに、今の自分を前向きに。この
祈祷会での進度より、聖書日課の方が追い越してしまったので、そこは飛ばしておくことにして、1週間ほど飛ばして、今はルカに入っている。今日はザカリア。「神さまのタイミングは本当に不思議です。」と。ショウリョウバッタが隠れています。
襲われるときも、神さまの憐れみの中にあると思うとほっとする。これは、いただいた絵はがき。手書きのアジサイをパソコンに取りこんで作られたらしい。とってもお上手でしょう〜。
お盆の間は、毎日、お墓に日参する。花の水替え。どのお墓も花とりどり。ただ、お供えは見事にカラスに散らかされて。今年も元気にサギソウ。
「自分の計画の中だけで生きている人間・・・・・思い通りにならず計画が崩れると絶望してしまいます。・・・・たとえ、自分の計画が破綻したとしても、神の大きな御計らいの中になお自分が生かされていることを信じるのです。」朝の道しるべより貝殻のリース
「現実は悲劇的でした。捕囚の民として、いつ故国に帰ることができるか、見通しはいっさいありませんでした。しかし、神にある現実に目を開かれるとき、そこに帰りゆくべき広い道を見ることができました。いついかなる状況のなかでも、「こころに広い道を見て
パソコンのトラブルを奇跡的に解決できたこと。いなりこの花で、花束が作れたこと。ダメ元で作った豆腐まき豚肉のショウガ焼きが美味しかったこと。茄子にマリーゴールド。虫除けのつもり。
全世界を一網打尽に救おうとされるのでもなく、一人一人、一人ずつ救おうとされるのでもなく、イスラエルという民を通して、罪と愛と救いを示されようとされる神。エゼキエル書もそんな流れの中で。あさがお、それぞれ。
食生活見直しプログラムを覚えていてくださる方もあるでしょうか?あの一定期間の修練?を、今はただ感謝。柏葉アジサイが、こんなになるって、ご存じ?街角で。