訳あって、口数少なく、過ごしていたが、ふと、これこそ大西流ではないかと思い至った。大西流をものにしたかも!こんなアジサイもいいでしょう〜
7月は、「高慢と偏見」。映画「ユー・ガット・メール」の主人公が、200回読んだという設定だったか?の本。楽しみ。これこそアジサイの花。
夜は火の柱。ちゃんと導かれて進んでいく。教会学校の子が、「神さまは何も言わないモン。」と言う。いいえ、そんなことないよ。ちゃんと聞こえてくるよ。見えてくるよ。
今日の、朝の道しるべに、「自分をひとかどの者と思う者は、自分を欺いているのである」という御言葉があった。卑下するか、傲るか、行ったり来たりの人間。これは、もう30年も前に義父がくれたミニバラ。絶え絶えながら、今に至る。ミニバラの原点はここ。
いかが?言わずとしれた、花束についていたリボン。捨てられない病で、こんなところを侵犯している。こんなことまでしてねぇ〜と我ながら。
いろんなタイプがあるんだなぁ〜。当たり前だけど。(オレンジのバラと一緒の葉っぱは南天の若葉です)夏期学校では、すぎこしのまつりと、種入れぬパンと、子供たちに語り伝えよ、と。
ミカンがテッポウムシ(カミキリムシ)にやられた。薬を注入。そして、いなりこで、カミキリムシ2匹発見。どうしたかは、タイトルどおり。げげ。ミカンの木の根元で発見した、テッポウムシの痕跡。木くずが粉を吹いたよう。まだ、新しい。
トウモロコシは、一本にひとつ、なので、余計な実は、つみ取る。で、それをミニコーンとして、食す。錦ヶ丘文庫からの「旧約聖書のこころ」やっと読み終わりました。キートーフ(p75)でした。
与えられる、を実感しつつ。詩編145篇を通読?オススメ。(新共同訳聖書 旧約P985〜986)少しだけ白い筋の入る、きれいな花が咲きました。まだ、小さいのに、花をつけているのは、痛々しいぐらい。そして、だんだん色も変わるみたいです。
ベニシジミ。シジミチョウといえば、薄紫の可愛いチョウチョがよく見られると思うけれど、こんなのも。では、問題。なぜ、「シジミチョウ」というでしょうか?
井戸も、たまには掃除をして、水をしっかり溜め込めるようにするのが良いらしい。井戸の中に、入ってみたいような、恐ろしいような。井戸といえば、やっぱりアサガオよねぇ〜!
「主は倒れようとする人を一人一人支え うずくまっている人を起こしてくださいます。 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと あなたはときに応じて食べ物をくださいます。 すべて命あるものに向かって御手を開き 望みを満足させてくださいます。」(新
先日の、なぞなぞ、どなたも、無反応、なのは、もしかして、降参、ということなのでしょうか?これが、我がいなりこ、今年一押しのニューフェイス、ヒペリウム。
旬の野菜もマンネリ化のメニューを助けてくれるし、咲く花も移り変わって、気分も変えてくれる。衣替えすると、古着でもなんとなく新しい気持ちにさせてくれる。と、当たり前なことをぼんやり考えた。早く茄子ができると良いなぁ〜
夕飯後のクイズ大会は中断中。田植え関連のお疲れもあり、そうそうに解散、という感じ。そこで、皆さんに。「一日には2回あるのに、一年には一回しかないものは、なあに」もちろん、なぞなぞです。今日の雨で、重くなったバラを切ってきました。
「主に愛される者はその傍らに安んじて住み 終日、神に身を寄せて その御守りのもとに住まう。」申命記33章12節(新共同訳聖書 旧約P337)さて、何日か前にアップしたあのバラのつぼみが、こんなに。砂糖水の効果をご覧あれ。