奇しくも、同い年。2月生まれと3月生まれ。20年もすれば、80だぞ。この本と共に、イースターも一週間が経った。「新しい霊を授け、清い心を創造してください。」
チコちゃんに叱られる、の、キョエちゃんが、「大好きだって意味だよ」という歌を出した。(みんなのうた)聞いてみた。空を飛ぶカラス(鳥だから)から目線、が、なかなか良かった。これは、巣作りの材料集めに夢中のツグミ。
開かない間に、受難節が終わり、イースターも終わった。否、心配ご無用、暦の上で終わっただけで、これからが始まりなのだから。しかし、教会学校では、はや、母の日が目前。今年は、これに挑戦。オーブンで焼き付ける陶器マーカーを使って。
ミクシィのページがなかなか開かない事態に。今朝も何度かチャレンジして、ようやく。ブロッコリーの苗がようやくこんな感じまで。
「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。 おまえは一生に一度でも朝に命令し、曙に役割を指示したことがあるか。 おまえが送り出そうとすれば、稲妻が「はい」と答えて出て行くだろうか。 お前は雌獅子のために獲物を備え、その子の食欲を満た
確かに、自分に出来ないこと、自分にはないもの、という思いは、ねたみや嫉妬、不満や卑下へと変身する。詩編で、敵を倒してください、と祈る時、自分の中のこの思いかも知れない。ほうれん草が芽を出した。先っぽの丸い緑は、消毒処理されたちょっと毒々しい
自分には、欠けている、と思わせること。なるほど、欠けていると思うことはいろんな事につながることかも知れない。確かに。ボロボロだった門扉のペンキ塗りをした。春休みの宿題。
麦とビシャコもどき(?)とスプレーカーネーションの白とキンセンカ、それにムラサキ菜の花(諸喝采)で、供花くくる。このキンセンカは、八重。コスモ的。