勝手ながら、訳あって、これを「大西流」と密かに呼ばせてもらう。思えば、母もこの「大西流」であった。そして、いまも進行中。私も、ぐっと我慢、が、できている方だと自負していたけれど、更に、もっと「大西流」を究めねばならぬ。究めれるようにしてくだ
トラウマ、というべきか、また、苗作りの季節がやってくる。去年の虎の巻を引っ張り出して、そろそろ作戦会議。ここ数日で、こんなに変わる、お向かいのオオデマリ。緑もきれい、白もきれい。
溜まったノート。あり合わせのため、不揃いだけど。何しろ聖書は、重複して出てくることが多いので、そのたび毎に引っ張り出す。その時のことも思い出せて、二度?美味しい。
ひそかに、私の中では、あこがれの人は、ピネハス(民数記25章・詩編106篇)とカレブ(民数記13章)。今日は、そのユダ族カレブが、エソウの血を引くケナズ人でもあったと知る。(ヨシュア記14章)今更ながら、失礼ながら、神さまの度量の広さ?に感動する。
お義母さんの丹誠込めたルピナスが咲き出した。お義母さんの大好きな花。私としては、ちょっとタイプ?ではないんだけど、お見事。
いなりこで、マムシの子に遭遇。小さいながら、三角の頭と独特の完璧な模様。「蛇よ、マムシの子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。」マタイによる福音書23章33節(新共同訳聖書 新約P46)「死に定められたこの体から、だれが
草引きの妙具はこれ。義理の祖父、伝授。というわけで、草ひきに励んでいると、イチゴが赤くなっているではないか。イカン、被害が出る前に網をかぶさねば。
いつかやると思っていたけど、実際ショック。二階用めがねを踏んづけてしまった。枠がひん曲がって、レンズが外れてしまった。割れるよりまし、ということで。修理で済むかなぁ〜これは諸葛孔明が、食料のない時のために植えておき、兵たちに食べさせたとかい
神さまから見れば、私なんぞ、よっぽど呑気なめでたい御仁ということ。これは我が家の野生化した強いフリージヤ。私の根性に似てるかも。
「おめでたい」と言う言葉を思い出してから、私の中では、今一番の流行言葉。例の「おめでたい」お方のベタな近例は、はや、この時期に、首位決定戦とか2位決定戦とか言って、某球団が(たまたま)勝っている試合に食いついている、パターン。どれだけ経験し
教会学校便りは、お祈りシリーズでいこう!乞うご期待。富田林教会ホームページにて。これは、新年度の当番票。まだ、未完成。
この言葉を思い出すのに、丸一日かかった。誰とは言わないけれど、身近な人のことをつくづくそう思ったもんで。今、借りている本。
4月はまるまるイースターの御言葉。受難から復活のその後まで。今年はイースターが16日だったので、今日は24日のところ。コマ送りのように、少しずつ進む。
お孫さん二人と一緒に、息子さんの献金感謝の祈りを一緒に祈れて、なんてお幸せなことか、と思って羨ましそうに言うと、ご兄弟ご一緒でお幸せと言われてハッとした。確かに確かに。根性の曲がった私は、いつもこうやって神さまの恵みを受け取り損ねる。
大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは恐ろしさのあまり震えあがり死人のようになった。これは、イースターウサギとひよこ。
「三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て、死体を盗み出し。『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。」
「ヴィア・ドロロサ」悲しみの道。ピラト総督官邸からゴルゴタの丘へ。昼の12時頃から3時ごろ、全地は暗くなり、神殿の垂れ幕が裂けた。アリマタヤのヨセフが、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った新しい墓の中に納め、入り口には大きな石を動かしておいて立ち
洗足。最後の晩餐。「食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ手ぬぐいを取って、腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」
神殿崩壊の予告。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マタイ24章35節、マルコ13章31節、ルカ21章33節。「目を覚ましていなさい。」
宮清め。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている。」マタイ21章、マルコ11章、ルカ19章。
私が得意とするのは、直まきか、苗植え。ポットに蒔いてから、植え替える、というのは本当に苦手。今日はそのお得意の、ニンジンの直まき。種がいろいろ余っていて、結局3種類を蒔いた。どんな違いができるのか、楽しみ。
番外編で、262番。これは外せない。「十字架のうえに われは仰ぐ わがため悩める 神の御子を 妙にも尊き 神の愛を 底いも知られぬ ひとの罪よ」これは、ひゅうがみずき。
レントの間、133番から145番の讃美歌を一日一つ、歌って過ごす。広い意味では、120番からでもいいかも。もちろん全部知っているわけではないので、ピックアップで。これはハナズオウ?
映画を見る予定はない、見るのは気が重い(?)、本を読むのは大変、などなど、のお方に朗報。FEBCのオンラインサイトのページから、「沈黙」のところをクリックすると、よく分かる先生の解説が聞ける。しかも、感動付き(!)。これは、サンシュユ?