イナリコ。今のうちに笹や草を退治しておくと、楽なんだけど。畑では、ニンジン、ほうれん草、ラディッシュ、ブロッコリーなどを蒔いた。これは何の木?
レクイエムをやっていた。日比野さんが「私のお葬式は、フォーレで」、と言っておられた意味がわかった。解説で出ていた作曲家の吉岡さんという人は、自分の曲を流して欲しいと言っておられた。なるほど。つくし。
ぼおっとしたいこの気持ちは何だろう。ブロッコリーの芽が出てきたぞ。そして、納骨も済んだ。ついでに西本願寺なるものを眺めてきた。
今、救世軍の話が続く。創始者?のウィリアム・ブース、という人の書いたものを読んで、バークレーがまとめてくれたこと。救世軍から、学ぶこと、その1。一日を神さまから始めること。その2.陰口を言わない。その3.心配するな。
昨日の日曜日は、最後の晩餐とゲッセマネのことを考えました。洗足からの、夕ご飯。最後の夕ご飯。そこで行われたことは。そこでのペトロとの会話は。レントのろうそくは、一つ消えて、4本になりました。
見える梅の木に、鳥がやってくる。でも、ガラス隔ててても、気配を敏感に感じ取られてしまい、シャッターチャンスがない。この写真に、ヒヨドリが写っているんだけど、見つけられますか?ヒントは、鋭いくちばしを見つけましょう。やや下の方。
うれしい報告があった。もちろん、まだ、決まったわけではないけれど、牧師館として良い物件の候補が見つかったとのこと。歩道橋さえ使えば、信号もなく、走っていける。ふと、教会と牧師館を子供たちが嬉々として往復する様子が目に浮かんだ。神さま、いかが
「なににせよ、人は自分とは違った考え方をする、ということを決して忘れないことだ。」確かに、これを忘れて、傲慢になっていた。しかも、私は特に変わってる。これは散歩グッズ。いろいろなものが入っていて便利だが、バッグ自体は、私のとんでもないアイデ
オリブで、「ナアマンの祈り」。列王記下5章18節(新共同訳聖書 旧約P585)昨日、月命日で住職さんのお参りの日だった。
私の花粉反応が高い。目薬と急を要する時の鼻炎の薬を入れて、常備。ふたつを用意する。もちろん、ティッシュは当たり前。
エルサレム入場。ガリラヤを中心に活動されたイエスは、滅多にエルサレムには行かれなかった。十字架を前に、いよいよ、王としてエルサレムに入られる。ただし、柔和な王として、荷を負う王として。3月には言って、湯たんぽともお別れ。
こんな話を読んだ。昔、1人の老婦人が、御者を1人求める広告を出した。3人の応募者があった。老婦人はその3人に同じ質問をした。「がけの縁のどのくらい近くまで馬車を寄せられますか」。第1の男は、ふちから1センチ以内のところまで寄せられる、と堪えた。
昨日の朝、お墓まわりで、郵便局の帰り、同じムラに住みながら、久しぶりの人と立ち話をした。彼女は、病気をかかえたご主人と二人暮らし。「明日のない私たちなので、今日を大事に暮らしている。ケンカをしているともったいない、と考えるようにしてるのよ。
復活祭46日前の水曜日。今日からレント。朝から今日はいろんな事があった。何もかも与えられた一日だった。この一年を確かに生きようと心した人間の決意など、はかないものでしかないことは、感謝だと思った。十字架の恵みにすがるほかなしとは、まさに、貧し
与えられた御言葉は、哀歌1章18節「主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ。聞け、諸国の民よ 見よ、わたしの痛みを。」(新共同訳聖書 旧約P1285)