「何もかも捨てて、全てを手放して。」空のコップを水に沈めたら、たくさんの水が入ってくるように。価値のないもので、下手に満たして、恵みを受け取り損ねることがないように。的を外した、愚かな知恵で。
「わが魂の 慕いまつる イエスきみの麗しさよ 峰の桜か 谷のユリか なにになぞらえて 歌わん 悩めるときの わがなぐさめ さびしき日のわがとも 君は谷のユリ 峰の桜 現世に たぐいもなし」
讃美歌142番「ああ主のめぐみに報ゆるすべなし。 ただ身とたまとを 捧げてぬかずく。」これは、もくレース。戸棚の中にぶら下げてガラス戸を閉めておくと、ガラスを通してきれいな彫り抜きが眺められるし、扉を開けた時、超、良い香りが匂い立つ。
こんな題の写真ってどんなんだろ?また、例の写真展が近づいてきて、今年は、題名のカードを作る役を仰せ使ったらしい。他の人の題だけ、先にわかるので、ちょっとおもしろい。これは、小松菜の花。
いつの間にか、酷い有様になった、我が家のブロック塀を、根本的にやり直すことに。飾りブロックを積むか、金属にするか。後悔しても、それでいかないといけない問題だけに、決心がつかない。
この3月で終わるシールを、使い切ろうと、片付けに拍車がかかる。断捨離、とはいうけれど、果てしない。これが、例の本。
晴耕雨読の反対(私の造語?)。晴れている時は、仕事を先延ばしにし、雨が降ると、仕事がはかどらないと気持ちが焦る。なんという身勝手。怠惰。
少し前、ミノムシを見かけなくなった、と思っていたら、天敵の外来種(蜂?)が増えたからと聞いた。ところが、今日、こんなに一度に見つけた。雌はずっとぶら下がったままとも聞いた。
病室のベッドの上で、ただ、きれいな空と雲を眺めていた義母が、「明日におこる雲の殿 夕べにかかる虹の橋 晴れたる空を見上げれば 青天井に似たるとも 仰げ人々珍しき この天然の建築を かく広大に建て給う 神の力の尊しや」と日記帳の後ろのページに
葬儀屋さんが持ってきてくれた花の痛み具合が、気になりだしたので、大手術をしてみた。15日まで持ちこたえてくれたら、充分なんだけど無理かなぁ。
なんと言うだろう、と折に付け、よく考える。今回は思い切ってみた。きっと、あまり良しとしないだろうから、今まで植えることをしなかった。私好みの、ぱっとしない色の取り合わせで。
昔の日めくりが出てきて、久しぶりに使ってみることに。1,2日目は、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」3,4日は、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」5,6日は、「人間をとる漁師にしよう」レントにふさわしい、タイミング
礼拝に出なくても、もっと言えば、神様がいなくてもやっていける。憐れみの中で、いつもと同じように変わりなく日常が流れていくから。ふと、そんな迷路に迷い込む。それはとっても簡単なこと、と思った。御手を差し出してもらって、そこから引き上げてもらわ