良いお天気。大ばあさんは、電車に乗って、おじいさんは、梅を撮りにそれぞれ出かけていきました。さて、私こと、おばあさんはどこへ行ってきたでしょう?その答えは、懸案のお店、2軒を制覇した、です。何のお店かって?ヒントは、歩いて行けるところ。これ
一族は財産もろとも滅ぼされ、アコル(アカル、災い)の谷へ。これが、私たちの代わりのイエスさまの姿だと。左斜め下から順に、みかん、はっさく、ぶんたん。
その日の聖書日課を分かち合う。昨日は、アブラハムが植えた、ぎょりゅうの木で盛り上がる。スマホや、インターネットで「ぎょりゅう」を検索どうぞ。
息子を二人とも戦争で失って、「感情がすっかり無くなってしまった、夫が死んでも悲しみも起こらない」という女性のもとを、フォイルさんに頼まれて、一人の神父が訪ねる。フォイルさんが、どうでしたか、と尋ねると、神父は「私の訪問は憐れにも木っ端みじん
今更だけど、恥ずかしながら、大阪で一番高い山とは知らなかった。身近すぎて、と言い訳をしておこう。遠目ではこんな風だけど、どれほど雪が積もっているんだろうと、想像してみる。
誕生までと、誕生後とに分けてみる。「エッサイの木」その後。ところで、私の「エッサイの木」の本が行方不明。捜し物ばかり、ため息。これは、鳥たちがついばんだ後。めっちゃきれいでしょ。
「人間」、という思いに、「しかし、アブラハムを選ばれたのは神さま」という一言に、はっとした。これが、我が家の最新兵器、米の乾燥機。芽出し機に続き、また、振り回される予感。
義母の句会の小路紫峽先生(お父さんが牧師だったそうですが)が亡くなられて、句集が出た。食後のクイズ大会が中止になったとき、(この頃よく主人がいないので!?)その本を一緒に味わうことにしている。
これを検索したら、上位に出てきた。みんな検索してるんだ!FEBCの「イエスにぶつかる」より。これは、ウサギの被害に遭っている(進行形)マイ・ニンジン。どうやって食べるのか、葉っぱが芯だけにされている。
参加者が増え、うれしいことに。ヨシュア記まで読み進んでいるけれど、これまでを一言で言うと、の先生の説明が素晴らしかった。
いなりこ始動。いつもより早いため、まだまだ冬枯れの様。まだ、春の息吹も感じられず。いつもなら、その息吹に背中を押され、感動しながらの作業となるのだけれど、今年は、まだ見ぬ春を想像しながらの寂しい?作業となった。神さまも、何の先行きも見えない
新しいシーズンが始まった。第一話に出てきた、空爆のショックでしゃべられなくなった男の子。だが、もう一度別の爆発事件に遭遇して話せるようになったのはよかったが、口がきけなかったときには、なんとも切なくて大人びた少年だったのが、口がきけるように
「日常的な事柄なら、しきたりに従うことも人のやり方を見習うこともできます。試練の時には、そうはいきません。・・人は一人になり、一人で決断をしなければなりません。うろたえず、神に問いつつ、自分の決断をするのです。そうした孤独な決断を通してだけ