新共同訳聖書 旧約P132「わたしは悪人を正しいとすることはない。」決して決して。正しい方だから。それだからこそ、私たちにはイエス様が必要。イエス様だけが望みの綱。これは、今川工房の牛乳パック紙すきはがき。
アドベントの時、日曜日ごとにひとつずつろうそくに灯をつけてクリスマスを待つ、のとは逆に、6本の灯のついたろうそくを一本ずつ、消していく。イエスさまの十字架が近づく。命の灯が弱まっていく。写真のイエスさまの絵は、エル・グレコの「十字架を運ぶキ
バラムとバラクのお話。そういえば、もう一冊、教会学校で買ってもらった本がある。こちらから頼んではなく、勧められて買ってくださったのだけれど、これがまた、逸品。眺めているだけで楽しい本。このページは、ヨナがお魚に飲まれる有名なシーン。断捨離の
気に入った本は、自分の本として手に入れる主義だったが、断捨離のことも考えるようになった。これは、教会学校として買ってもらった本。今頃、クリスマスの本?と思うけど、前書きにも、夏の木陰で読むもよし、と書いてあった。で、すごく楽しい本。表現がウ
子どもたちも、大人と一緒の礼拝で。何度目になるのかわからないけれど、礼拝順序に添って初めて準備万端、スムーズに進んだ。ちょっとずつちょっとずつ、改善してきて、ようやく。なんか、少し小さいながら、達成感。「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」今夜は湯た
今週の水曜日が「灰の水曜日」で、レント(受難節)が始まった。今年のイースターは4月5日なので、4日までが、レントとなる。私の長年愛用のレントカレンダー。アドベントの赤色と違い、紫が基調となる。これはその、昨日のページ。しおりの千鳥は頂き物。
長期の展望として、教会学校の分級を当番制で担当することになった。テーマは「イエス様の生涯と奇跡」私の担当第一回目は、「神殿での少年イエス」。イエス様の皆無と言っていい、幼いときのエピソード。男の子としてのイエス様。とても楽しみ。今から、こつ
今日は、自転車でロングラン。重装備で行ったけど、帰りは汗ばんだ。先日の花が少し痛んできたので、切り口を新しくして、添付の薬?を入れた。水が長持ちする、と書いてあった。
息子が友人の結婚式の二次会で使う、らしいムービーを見せてもらった。泣かせるできばえになっていた。結構なクオリティの高いものが、簡単に(というと失礼だけど)できるんだなぁ〜。今日は、教会学校でカモミールの植え替えをした。
去年まで、新約聖書だったので、今年から、3年間、旧約聖書から、というのはどうだろう。アブラハムと、ダビデと、預言書と。
アドレス帳のように見えるのは、アイウエオ順に町の名前を記録したもの。今時、アドレス帳なんて使わないから、利用した。そして、右側のは、その放送順の記録。両方をつきあわせると、今まで見た町を復習できるという優れもの(?)
出エジプトも、38年目まで。ピスガの山(民数記21章20節)。「静けき祈りの時はいと楽しそびゆるピスガの山の高嶺よりふるさと眺めて昇りゆく日までなぐさめを与え、喜びを満たす。」讃美歌310番寺田池の「のうぜんかずら棚。」夏まではまだまだ。
知り合いから、さらに知り合いの農園で買い付けたという、ブルーベリーのジャムをいただいたのが、始まりで。
「背信の子らよ 立ち帰れ。 わたしは背いたお前たちを いやす」新共同訳聖書 旧約P1179赦す、ではなくて、いやす。きれいな足元の花びら。サザンカ?黄色いのは、しべ。
もう、三年目だから、三回繰り返し読んでいることになるのだが、初めてみたい。とほほ。河南中の体育館の撤去作業が行われている。入学式も卒業式も懐かしい思い出。撤去費用は1544万円、と書いてあった。
いつも思い出すのは、2010年3月のオリブでの「問題はその安らかさの中で、人が神に忠実であり得るかどうかということです。」のくだり。「人生の最終目的が富であるのではないのです。神に対する思いがまずあって、そこにすべての必要なものが必要に応じ
「いつとはなしに、自分で何でもできるような?自分こそが正しいという思い上がりが心を占めて、へりくだること、砕かれることを求めなくなる。求めないから、ますます高慢になる。高慢になるとき、何も受け取ることができない。この世の真ん中で、飢えて死に
民数記21章5節「パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力も失せてしまいます。」新共同訳聖書 旧約P249「いつとはなしに神の言葉を求めなくなった。現実の生活の方が大きくなり、みことばが取るに足りない軽いものに思えるようになったとき、私た
喜びも薄れ、感謝も薄れ、当たり前になる・・・罪。これはカラス。なぜか、絶叫していた。山のかわいい目をした子たちになにかあったのだろうか?
御言葉を料理するのではなく、御言葉に料理される、とはどこで聞いた言葉だったか?これは、ウィンナーみたいな焦げ茶のガマの穂が、一斉に爆発している様子。
で、ノートを一冊終え、新しいノートを用意する。ノートたちの引き継ぎ?をするために、古い方をぱらぱらとめくっていて、久しぶりに最初のページに貼っておいた「信徒の友」からの切り抜き(青森松原教会の願念 望牧師)を読み直した。『ある夜、当時幼稚園