ダニエル書。子どもの時と違った感動。ところで、FEBCの方は、9月から始まっている加藤先生のローマ書はまだ、1章が終わらず、井幡先生並み。
高齢化が進み、村の所定の場所にゴミを出すのが困難なおうちが出始める。対処の方法はいろいろあるけど、解決すべきさまざまな問題がおこる。そして人間模様も様々。
木目込みのキットでは、トナカイとサンタクロースの図案だけど、トナカイを羊に、サンタクロースを羊飼いにしてはどうだろう、と思いついた。乞うご期待。
報恩講。あれをして、これをして、と気が重い。どんな仕事でも、一人でやれ、とは言われない方と。すべてやりこなす力をお与えにはなっていないことも、肝に銘じて。
借りてきた本が、これ。今年のクリスマスの幕開けの御言葉は「苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」イザヤ書40章2節。(新共同訳聖書 旧約P1123)にしよう!苦役からの解放ではなく、神さまの時が訪れた、ということ。私たちは、すでに完了形の時
主人の写真クラブ。入会して2年半。観光パンフレットみたいな写真から脱却して、少し芸術っぽい写真になってきたような?これはもちろん撮影者は私で、役場の表玄関の近く。
「あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された人のことを、よく考えなさい。」新しく覚えたところ。ヘブライ人への手紙12章2節3節(新共同訳聖書 新約P417)中学校前の紅葉。この木は何の
今日のロックな牧師の、ゲッセマネの祈り、マルコによる福音書14章42節(新共同訳聖書 新約P93)より。前に説教で聞いたヤコブの話を思い出した。「まことに主がこの場所におられるのにわたしは知らなかった。」創世記28章16節(新共同訳聖書 旧約P
暗唱したのは、詩編139篇。もちろん途中まで。テッポウムシから生き残った最後の一本のミカンの木。かわいそうなほどの実り。
秋祭りのパレードの後で、秋祭りの村のらくさくがあるらしい。また、主人のイライラが始まった。今年の皇帝ダリア。で、足元はこんな具合。
神さまの定められたときが来るのを忍耐して待つ、などと悟り顔で言ったところで、忍耐してるのはこっちやねん、と神さまにつっこまれる。
神さまの時は美しい、とはいうものの、その時を待つのは、なかなかの忍耐がいる。愛を信じればこそ。コヘレトの言葉 3章1節〜(新共同訳聖書 旧約P1036〜)、出エジプト記32章1節〜(同じくP147)これは今年の実り。
今日は、ちょっと時間が空いたので、アレンジで、クイズをやってみた。なかなか楽しかった。この分だと、クリスマスは良い感じかも。
ずっと前にパソコンから、プリントアウトしてファイルしておいたもの。この前の片付けで、久々に見つけて、グッドタイミング、というわけ。片付けはするもんだなぁ〜これは、つるバラの実。
いろいろ本を読んできて、ちょっと頭でっかちで路頭に迷う。リフレッシュのため、Jベイリーの「朝の祈り、夜の祈り」をそのまま祈る。焦点が合っていないけれど、タカラヅカ。これからたくさん咲きそう。
ちょっと、オーバーだけど、義母の周辺の整理を始めたのが、3年前の秋。あれから私の方も手つかずだなと急に思い立ち、部屋の整理をしてみた。さほどの量でもなかったが、すっとした。