スバルホールでのコンサートのポスティングをしていたら、ほんとに家々の庭や道ばたや空き地のちょっとした花々が可愛くて、しみじみうれしくなる。これから、冬枯れの野原に至るまで、楽しみ。これは、枯れたコスモス。外で活けているので、枯れたのまで、楽
見にくいけれど、リボンのついた棒を刺してある様子。これは、農薬を撒いたので、収穫禁止の印。農薬が抜けたら、この棒も抜く。畝ごとの番号札に次いで、これも、新しい作戦。
今日のルーテルの祈祷会で。神さまは私たちの中に造られた、神を求める心。神の民としてのとりなしの祈り。イエスさまが復活して生きておられることをあらわす私たち自身。
ほうれん草は、他の野菜よりも、ずっと多く石灰を混ぜ込む。混ぜ込まなかったのと、混ぜ込んだのと、成長ぶりは、こんなに違う。
特に今年は、何か役が当たっているわけではないけれど、やっぱり落ち着かない。去年は、さんざんな天気だったのを思い出す。台風で倒れてダメになった物置を新調することになった。その基礎工事。今度は頑丈に。
長い間、頑張ってくれた、お茄子やオクラ、ピーマンを倒して、すっかり冬野菜の畑に。今、黒マルチが敷いてあるところは、11月にタマネギとイチゴを植える場所。夏前に作った番号の立て札がへんてこりんだけど役にたってます。
というのを、ご存じだろうか?見方がわからない、と言われて、なるほど、と初めて注目した。コマのような形の真ん中が、水とお茶、というのが面白い。
前に借りた本の続きと思っていたら、そうじゃないとわかって、がっかりしたけれど、お陰様で、別の楽しみが。これは、たくさんある中から、要約落ち着いた、マイ書道道具。
昨日の聖書日課。旧約聖書で一番短い箇所。章すらない。2015年の信徒の友、連載、12小預言書の切り抜きと共に読む。聖書は、わからなくて当然と書いてあった。なんせ、神さまのことだもの、わかる範囲のことではない。だけど、こうして読むことで、少しは深ま
ちょっとした行き違いがあって、イナリコへ行く時間ができた。去年、赤いコスモスを残すようにしたのが、功を奏し、今年のコスモスは、赤いのと底べにが増えた。それに、白いコスモスも咲いた。今年は白を残すようにしよう。コスモスと、黄色コスモスに覆われ
民数記32章23節が登場した。主人公の生い立ちの上で、聖書の箇所が身近という設定になっている、という感じ。今日の礼拝と、土曜日のFEBC新番組とが、違う箇所でありながら、「人生から、苦しみがなくなるのが大事なのではなくて、苦しみがあっても尚希望があ
ひとつ、ハードルを越えて、ようやく再開しています。冨田林教会の教会学校、分級。ちょっと楽しくなって、写真が足りないくらい。
使徒言行録5章34節〜(新教同訳聖書 新約P222〜)自分の正しさを問う。本当にそうか、と。稲刈り、終わりました。後は、工場を閉鎖?するのみ。
番組表をチェックしていて、刑事モースの新番組が始まるのを、たまたま見つけた。久々の海外ドラマでうれしい。見逃していたら、どんなに悔しかったことか。ウヒヒ。これも義母の花壇に咲きました。
「赤毛のアン」解説に出てきたのは、脳科学者の茂木健一郎。一回目から、新しい発見でした。お義母さんのアサガオ。雑草に紛れて咲いていた。