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2011年01月17日00:26

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オンド・マルトノを「絶滅危惧種」にするな

 今朝「報道2001」を観たあと、原田節(タカシ)が出るので「題名のない音楽会」に切り替えた。
 動物よろしく、絶滅危機種の楽器に光を当てる、というのが番組の趣向だったようで、高嶋ちさ子さんのガイドでオンド・マルトノが取りあげられたのだ。
 原田節さんは、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドも尊敬する世界的に有名なオンド・マルトノ奏者である。番組中彼は、オンド・マルトノという楽器の由来や機能や演奏法についてを丁寧に説明していたし、(楽器製作の)後継者の不在やメンテナンスの難しさといった現状にも率直に言及したし、もちろん演奏も披露した。オリヴィエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」の第5楽章を(オケとのバランスが良くなく、ほめられた出来ではなかった)。
 しかし、その演奏のあと、高嶋女史はこんなふうに言い放った。
 この楽器はいずれ絶滅する運命にあるようですね。だったら、この独特な音色を生かしていま流行りの「癒しの音楽」を演奏すればいい。それしかオンド・マルトノの生きる道はないんじゃないかしら、と。
 呆れた。ヴァイオリニストの発言とはとうてい思いがたい。かりにヴァイオリンが絶滅寸前の楽器だとしたらどうだろう? そんなことを言われて嬉しいか? 想像力に欠けた意見である。たとえそれが予め台本に書かれてあったセリフだとしても、だ。
 原田節さんは苦笑いを浮かべるしかなかった。その直後に披露した自作の曲がいささか精彩を欠いていたように聞こえたのは、穿ちすぎだろうか。
 たしかにオンド・マルトノはローファイの極みであろう。かさばるし、故障も多かろうし、音色にしたって簡便なシンセサイザーで代用できるものかもしれない。しかしだ、その大仰な装置が醸しだす特異な雰囲気、あるいは神秘性といったものが、音楽家たちの霊感、インスピレーションをいたく刺激するのではないか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%8E

 むかし勤めていたメーカーでは「オムニコード」という電子楽器を作っていた。和音を指定するボタンとセンサーがついており、センサーに指の腹を当ててかき鳴らすと(コードに即した)音階がオートハープのように鳴るという仕組みだった。社員はみな「使えねえ楽器」と洩らしていたし、残念なことにぼくもそう思いこんでいた。が、それは大きな間違いだった。
 U2やピーター・ゲイブリエルのプロデュースで有名なダニエル・ラノアが、このオムニコードをすこぶる魅力的に響かせていた。彼の手にかかると、チープなおもちゃみたいな楽器だと思っていたオムニコードが、幽玄というべき奥深い音像の、風吹きすさぶ荒野のかなたから微かに耳に届くチャイムのように聞こえたのだ。

 以来、楽器は自ずと聖性を持つ、がぼくの持論になった。どんなに無価値だと思えるものであっても。
 だから安易にカテゴライズしたり絶滅させたりしてはいけない。



【今日の音楽】
 というわけで、トゥーランガリラ交響曲の第5楽章。これはちょっと前まで「N響アワー」のテーマ音楽だった。
 原田節の弾く映像(シャイー指揮・ティボーpf・スカラ座)もあったが、この楽章が見あたらなかった。
「若い」版を選んだ理由は、映像も音楽も明るく、オンド・マルトノを演奏する手もとがよく映っているからです。



 この法悦境にどっぷり浸かりたいんなら、CDで聴くほうがいいね。なにせ第10楽章まであるんだから。

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