愚かな行動の結果として障害を持ったのならそれは恥ずかしい障害かも知れないが、基本的に障害を持っているという事実は隠したり誤魔化したりする必要のある恥ずかしいことではないだろう。無理にカミングアウトする必要もないけどね。
逆に言い換えなきゃいけない、書き換えなきゃいけないと考えることこそ障害は隠すべき恥ずかしいことと感じていることの証左ではなかろうか。
というか「害」という字がつくから障害者のイメージが悪くなると考えてる人って、当然障害物競争の参加者にも悪いイメージを抱いてるはずですよね?だって「害」とつく競技に参加してるんだから。
そもそも字面で沸いたイメージから不当な差別を押し付けてくる幼稚な輩相手に労力を割いてやる必要なんてないな。
■「碍」常用漢字化は見送り 「障害」表記めぐり文化審
(朝日新聞デジタル - 02月26日 21:18)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6427074
「走れない障害者」が「健常者」と徒競走したらおおむね健常者が勝つだろうし、徒競走の記録としては勝った方に価値があるだろうし、徒競走の競技者として勝った方が優れてると言えるだろう。
でもこれは「足の遅い健常者」と「足の早い健常者」に置き換えても成り立つ話。
障害者は確かにその障害を抱えている局面に関しては健常者に劣るだろう。でもそれは恥ずかしいことだろうか。
障害者だろうが健常者だろうが特定の局面で人より劣っていたり、優れていたりするのは当たり前のことなのだ。
そもそも「障害があって足が遅い人」と「障害はないけど足が遅い人」の違いって何よ?って話にもなる。
そこには「足の遅い人」がいるという事実しかないのだ。