「限定公開で日記書きました」という非限定のつぶやきをまれによく見るのだが、なんか仮面ライダーディケイドの最終回みを感じる。
別に悪いことではない。なにをどう限定かけるかは当人の権利な。
ただ、秘匿のための限定ならば頭隠してなんとやらめいて感じる。
限定記事そのものは見られなくても、そこに記事があるという情報があるのなら周辺情報から類推できてしまう場合もある。
ネタバレ防止程度ならいいんだけど、根深いプライベート案件が日記とつぶやきの限定範囲の差異から漏れて問題ならんとも限らん。
ようは「限定公開」という道具の使い道はよく考えなあかんということな。
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