人間には歴史がある。自分がそんな当たり前の言葉の深い意味を本当に理解できたのは、わずか10年前のことであったのだな。塚(私の不思議体験)https://note.com/telemachus/n/nf9fd9d80a827
「命(ライフ)」より大事なものはないかもしれないが、その大事な「命(ライフ)」というのは何なのか。世間にまだ寛容が残っているうち、世に問うておいた方がよさそうだ。 「命」より大事なものがあるかもしれないということ https://note.com/telemachus/
「人間をもっと知りたい」。そんな希望を抱く人は、どんな学問を勉強すればいいのか。この問いに答えられない専門家が増えたことが、人文諸学の没落の一因でもある。民族と民俗(アンソロポロジーとは) その二https://note.com/telemachus/n/na7e018c3f914
いい年こいたオヤジが恋なんて語ると清いものを汚された気持ちになるだろうけど、本当に恋について理解できるのはたぶん年とってからなんである。恋とはhttps://note.com/telemachus/n/n065d0301d9f8
状況に迫られてぼくらは「姥捨て」の論理で命の重さを計った。しかし、この命の重さの計量法をニュー・ノーマルとしていこうという動きがある。多くの「人権派」はこの問いに気づいてもいない。 命の重さの計り方 https://note.com/telemachus/n/n849957d3a03
アンソロポロジーという学問の背後にはどんな思想があったか。なぜそれが失われたか。民族と民俗(アンソロポロジーとは)https://note.com/telemachus/n/nfcfca9f330f5
子供向け商品は本当に「子供向け」なのかという問い。大人の絵本https://note.com/telemachus/n/n1ea2254ad9cb
「知識人」を定義するのはむずかしいが、知識人でないとされた者、知識人が敵視した者がどんな人々であったかを考えると、知識人の自己理解が少し見えてくる。「知識人」とは https://note.com/telemachus/n/n59dcf93fc662
多元的社会に介入を深めた国家はまた、特殊利益に植民地化された。「立法」は「政策」に、「政治」は「行政」にとってかわられた。これを打破すべく「政治主導」や官邸への権力集中が行なわれたが、どうもあまりうまくいってない。政策と政治https://note.com
自由に書くとは、気ままに自分の好きなことを書くこととはかぎらんのだ。自由に書くとはhttps://note.com/telemachus/n/n9365321a2d77
いい年をしたオヤジが若い女に興味をもつのは変態だけとなったらしいが、失礼にならんかぎりでそれをしないのも唐変木である。第一、そういう自分を否定すれば自分が何者かわからなくなる。葦毛の仔馬https://note.com/telemachus/n/nba7844cda4e0
「ちがうけど平等」と口で言うのは簡単だけど、「私の個性が大事」と「みんな平等」は問題なく両立するのか。差異と平等の間に矛盾はないのか。 みんな平等な社会は平和であるって誰が言ったよ https://note.com/telemachus/n/n954ea46a3558
何か知らんが、俗世ではジブリ映画が目下流行中みたいだから、こんなのあげとこ。 帰りのない電車(『千と千尋の神隠し』に出てくるやつ) https://note.com/telemachus/n/nc30645b5a062
多様性を口にする人が増えてる。だけどそういう人たちにかぎってあまり多様じゃないし、また多様性を危険視する人たちである。たぶん多様性を知らずに多様性を語ってる。 多様性閑談ふたつ(日記から) https://note.com/telemachus/n/n2288f21e342b
「子供向け」商品には大人の充たされぬ願望が満ちている。そんなものばかりを読まされ食わされ育つ子が見失ってしまうものがある。 大人の童話とお子様ランチhttps://note.com/telemachus/n/na9539b34ed3c