一国の哲学は自国の外に旅をしない。だから哲学者に旅をさせよう。こんな物騒な提案をしたのはほかでもないルソーである。だが実際は旅をするのは人類学者になって、ますます哲学者は書斎にこもるようになった。 民族と民俗(アンソロポロジーとは) その三
教養を身につけたいならいい本をたくさん読むことですね。だけど受け身の読書になってしまうと後に残るものが結構少ないんです。自分も若い頃読んだことはほとんど覚えてません。どうすればこんな徒労を防げるんでしょうか。 教養のためじゃない読書術 https:
社会は弱肉強食のジャングルなのか、それともモノポリーのゲーム盤なのか。厳かに向き合うべきものなのか、それとも気軽に冒険すべきものなのか。忍ぶべきか、遊ぶべきか。それが問題だ。 ぼくらは真面目の置き所をまちがえてる https://note.com/telemachus/
世間では理屈ではなく生理的に受け付けないものが絶賛増殖中である。ちょうといい具合に「キモイ」という新語が創られ定着してる。この一致はいったい何を意味するのか。 「キモイ」ということばからぼくが汲み取ったもの https://note.com/telemachus/n/n11a
近代的自我が解放した人間的エネルギーの量を想像したことがある人はみんな驚くだろう。そのエネルギーが使われずに滞留した場合の圧力もまた恐ろしいものがあるんじゃないかと思う。 世界を変える力はどこから生じるか https://note.com/telemachus/n/n1c480
近所の高島屋が閉店した。母は閉まる前に一度行ってみたいと思っていたらしいが、結局行けずじまいであった。高島屋にそんなに世話になったわけでもあるまいしと思っていたんだが、自分の知らない深い意味があったらしい。高島屋閉店https://note.com/telemac
自分はあまり映画を見ない人間で、たいがいは一度見て忘れる。だが、もう一度見たいと思う映画も中にはある。これがその一つなんだが、ちと生臭い政治の話がある。 歴史の読み替え(中国映画『鬼が来た!』の感想) https://note.com/telemachus/n/n1abb49226
独創的な人。流行に流されない人。付和雷同性を嫌う人。要するに人の真似をしない人。そんな人になりたいのであればまず他人を真似することやめないとならない。のか? 人の真似ばかりする人 https://note.com/telemachus/n/n5a3134253ed3
子どもは好奇心が旺盛である。で、無駄なこと、危険でしかないことばかりする。大人は合理主義者である。だから危険から保護しながら早く大人にしてしまおうとする教育になる。それが人間の適応性を損なってないか。 子どもの好奇心、大人の合理性(あまり無
モテない男は個人の問題じゃないかもしれない、社会問題かもしれない、という話。モテない男と愛の共同体(新しい求愛文化の創造に向けて)https://note.com/telemachus/n/n3b92691d89d4
私が私でいられないなら死んだ方がまし。これを口先だけのはったりとか若さゆえの情緒不安定とか言ってるうちに、死に憑かれた若い人たちが増えた。何が起きてるのか。 私のままでいるために死を選択するということ https://note.com/telemachus/n/ne35f3f624
日本における仕事の質は劣化してるように見える。自分の狭い経験では、変なところに命かけて疲れ切ることをもって仕事の本質と心得てる人が多い。そんな人たちがニートから学べることがある。 リア充のニートから見た「いい仕事」ができそうもない人びと http
広島原爆投下から明日で75年。言葉で知っただけでは知ったことにならないという先般の記事を書いていてふと思い出したので、こんな古い文章を引っ張り出してみた。われながら青臭い文章で苦笑するが、ここに書かれた気持ちは今でも変わらない。 ぼくらの経験
ぼくは人間やらキリンやら人権やらを知っている。だけど、どうやって知ったんだろう。どういう意味で知ってるんだろう。本当に知ってるんだろうか。 ぼくはどうやって君を知ったんだろう https://note.com/telemachus/n/n502a01f58292