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日記一覧

前回からの続き。ペースが早すぎて消化不良にならんかと心配であるが、あとが立て込んでいる。書けるうちに書いておきたいものがたくさんある。今の自分の境遇に投げ込まれた者にとっては、一日でも無駄にするのが惜しい。もとよりこちらが頭を下げて聞いても

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前回の続きだが、一つ言い落した。自我とは人間としての意志により統一された自分である。前回はそこまで行きついた。しかし、自我が意志であるとすると、その意志自体はどこからやって来るのか。ここから一歩進むと、自我は最終的には生命化される。つまり、

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自分の探すところの自分
2019年06月19日14:54

長いあいだ疎遠になっていた金持ちの息子の旧友から呼び出されて、次のような告白を聞かされる。自分は雛妓を金で買いその処女を奪ったが、その後、床で二人して抱き合って泣いた。自分は堕落した人間だが、まだ良心が残っているのだ。自分は取りかえしのつか

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暴君のいない国
2019年06月17日17:14

神とは暴君であるという考えは日本人にはなじみが薄い。日本の神さまが特にやさしいというわけではないし、力が弱いわけでもない。かなり恐ろしい方々もおられる。だが、人情をもって理解できない神はなかなか思いつかない。統治する現人神であった天皇にあっ

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神に説教するということ
2019年06月14日11:22

日本人もわれわれの祖父母や曽祖父母くらいまでは、非業の死を遂げた者は「化けて出る」と信じた人が多かった。世に未練を遺したまま死ぬと、成仏できずに生前に縁のあるあたりをいつまでもうろついている。恨みなど持たれていると復讐される。これを信じるか

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地獄の道連れ
2019年06月12日16:53

ある装置が発明されたとする。その装置にはボタンが二つ付いている。青いボタンを押すと自分の存在をこの世から跡形もなく抹消できる。赤いボタンを押すと人類全体を抹消することができるが、自分も一緒に消える。ただし、この機械には安全装置が備え付けられ

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大正期教養主義を代表する阿部次郎の『三太郎の日記』を読んでいたら、「現今の青年によって嫌悪されること模倣の名のごとく激しいものはめったにないであろう」とあった。日付は大正2年9月だから文化論争に先立つこと6、7年であるが、当時「模倣」という

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デモクラシーと文化
2019年06月10日13:02

工夫はしてみたが、一般向けではない思想史に踏み込むことを避けられそうもない。もとより細かい事実や名前は覚えてもらうに及ばない。だが、そう遠くない将来に、長いあいだ自明のものとみられていたデモクラシーについて何か決断を下さなければならないよう

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ミコシかつぎ
2019年06月07日17:51

閑話休題。が、寄り道ついでに、最近仕入れたミコシの話を付け加えておく。前々回の日記の最後の部分の説明が分かりにくいかもしれないが、その具体的実例になると思う。復習すると、柳田は個人ではなく群を文化発展の主体として重視した。群には創造的な模倣

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たまたまめくっていた古いノートにこんなことが書きつけてあった。まだ柳田の文化的創造論の話が終わっていないのだが、どうもあまり評判がよろしくないようなので、一休みしてこの話をしてみる。文化創造の話に関係がなくもない。峠の語源は「たわ」もしくは

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