環境問題というと、今日ではゴミの分別とか買い物袋の携行とか実際的な問題になっている。でも、よく考えると、それは「自然」と「人間」の関係というちょっと哲学的な問いを含んでいる。我々が無意識のうちに抱いている近代的な自然観というのが挑戦に晒され
バイリンガル、話す言語により性格変えている可能性=米研究http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=528677&media_id=52英語やスペイン語で話す時、よくうちのかみさんに怒られる。声が大きくなって手がよく動くので、ちょっと威圧的になるらしい。別にわざとや
前の日記で社会とは「リソース」、「規則」、「故郷」、「ケアテイカー」であると書いた。でも、よく考えると、どれも社会というのが自分とは別に存在する「モノ」みたいに捉えられている。実際には、社会というのは我々自身から独立して存在するわけではない
自衛権 行使の容認求め報告書http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=527648&media_id=2安倍前首相肝いりの懇談会だからこういう提言になるとは思っていたけど、単に親米保守による日米軍事同盟強化の試みとして片付けられない問題ではある。そもそも憲法第九条
秋葉原17人殺傷犯もそうだった!卒業文集の中にある「違和感」http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=519123&media_id=10「社会とのズレ」というのは簡単だけど、その「社会」って一体何なのだ?どうすれば俺がズレていないとわかるんやろ?もしズレていると
通り魔犯行予告「通報を期待」http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=515549&media_id=2個人的な問題を社会になすり付けて逆恨み。しかも通りすがりの人に対する無差別な攻撃を社会に対する報復と取り違える。こんな人は一体社会というのを何だと思っているの
アテネの悲劇作家ソフォクレスの『オイディプス王』と『アンティゴネー』。どちらも主人公の英雄的な努力が数奇な運命によって思いがけない結末を生む。しかも、主人公が何を「する」かではなくて何者で「ある」か(アイデンティティ)というところに問題の根
秋葉原事件 逐一ネット公開かhttp://news.mixi.jp/view_news.pl?id=512883&media_id=2卑劣な犯罪を擁護するわけではないが、自殺する人に「死ぬなら迷惑かけずに死ね」としか言えない人が多い社会に対して、「どうせ死ぬなら迷惑かけまくって死んでやる」とい
5月30日は、米国にとって重要な記念日なのだそうだ。日本の真珠湾攻撃を受けて、ルーズベルト大統領は軍事的に重要な場所への立ち入りを制限する権限を軍に与える大統領令を出す。1942年5月30日、日系米国人のトヨサブロー・コレマツさんに同大統領
婚姻要件の国籍法規定は違憲http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=507915&media_id=2普段はあまり存在感のない最高裁には意外な大胆な判決。判決には直接関係ないけど、「家族」というものについて考えさせられてしまった。全てが移ろいやすい近代社会におけ
主流な「文化」や「民族」に属する人たちは、文化的に異なる人たちを無視したり差別したりしがちであるでも、単に「人類皆兄弟」とか「日本人は皆同じ」なんて言って、相手を平等に扱えばよいというものでもない。アイヌ、沖縄といった日本の「エスニシティ問
■「敵視発言」に中国のネット沸騰、韓国などに反発拡大(読売新聞 - 05月31日 22:00)http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=504587&media_id=202005年に米国南東部を襲ったハリケーン・カトリーナ。ニュー・オーリンズはほとんど壊滅状態に。そこに、米国