趣味というほどのものがない自分の趣味は、遠くの国が舞台の小説をたまに読むこと。
なんとなれば、日本には新刊本が毎年あふれてるけど、欧米以外の国の人びとについて書かれた本の割合は微々たるもの。アジアでさえ多いと言えないが、中南米とかアフリカになると賞味期限の短い体験記とか紀行文みたいなものしかない。
幸い文学は翻訳されているので、自分なんかはときどきそれを読んで、世界にはこんな人たちが住んでる場所があるんだな、と思うようにしてる。
文学をやるような人たちは実はその社会ではちょっと浮いてる存在であったりするから、いくらリアリスティックでも小説をもとに知ったような気になるのは危険なのだが、ときには歴史や社会科学の本なんかでは得られないような洞察がえられることもある。
今回紹介するチリ出身の作家イサベル・アジェンデの処女作も、そういう本の一つだった。映画化されたので知ってる人も多いかもしれない。
精霊たちの家 上 (河出文庫)
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コロンビアのガルシア=マルケスの『百年の孤独』のようなファミリー・サーガである。自分は文学のことはよく知らんのだが、マジック・リアリズムと呼ばれるジャンルらしい。現実的な史実を背景に用いながら、ちょっと不思議な人々の物語が語られる。
以前に紹介したトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』もそうであるが、一族の物語には何かコズミックなものを感じる。「コスモス」というのは「秩序ある宇宙」ということだから、コズミックというのは宇宙の秩序を感じさせるようなもののことである。
何でだろうと考えると、どうやら個人の生を超えた枠でものごとが織りなされていく綾が、個々の出来事から距離を取ることで可視化されるからであるらしい。
などというとむずかしいが、日本でもおなじみの思想である。人生には不条理なことがたくさんあるが、人がその一生で経験できる時空の地平を拡げると、そこにちゃんと因果応報がある。たとえば、祖父が犯した罪を孫の代で償わされたりしてる。
ただし、ファミリー・サーガでは、罪と罰の清算が生まれ変わる個人によって担われるのではない。一族の歴史において辻褄があわされる。だから「血」の問題がある。血が個人主義によっても乗り越えられない運命の原理として用いられている……
【読書日記】愛と暴力の子どもたち(イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』) /てれまこし
https://note.com/telemachus/n/n6ed16817a88a
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