知識人と民主主義との間には緊張関係がある。今日ではこれを口にするのが醜聞となったが、この問題を避けているかぎりデモクラシーは群衆支配と区別できなくなる。
読書日記について
自分は、「読書メーター」というところで読んだ本の感想を書きつけている。最初は何を書こうか困ることもあったのだが、最近は書くことが多すぎて、コメント欄まで利用しながらなお書ききれない。
どこの馬の骨ともわからぬ人間の読書に関心のある者はそう多くない。そう思っていたし、何を読んで何を獲たかというのは、物書きにとってはいわば作業現場であり舞台裏でもある。必要のないかぎりあまり表ざたにしたくないところもある。
そもそも何を読み何を獲るかは他人に指導できないし、またせられるべきものではない。そんなことをされたんでは、せっかくの読書の愉しみも半分以上減ずる。
それが自分の思想であったが、世間を見渡すと、どうやら他人が何をどう読んでいるのかを知りたいという一定の需要があるし、どんな本を読んだらよいですかという質問をときどき受けたりもする。
商売柄、自分が読む本の大半は古いもので、しかもあまり一般には読まれないものを多く読む。本屋が喜ぶようなものはあまり書けそうもない。それでも、自分の読書を本屋にだけ指導されてることが心配な人たちもいるであろうし、自分の読書体験を共有することには、何か意味があるかもしれない。
そういうわけで、自分の読書のうち、他人の興味を引きそうなものををここでも紹介していこうかと思ってる。時間の都合で自分の覚書も兼ねているから、親切な文章になるとはかぎらんが、もう二つほどそういう記事を挙げた。今回はニーチェの『反時代的考察』という書物である。
専門の都合で、自分は岩波文庫の古い訳で読んだが、新訳もいろいろと出ているらしい。自分は手にとっていないが、入手しやすそうなちくま学芸文庫版のリンクを貼っておこう。ちなみに、好みの問題もあるが、ニーチェに限らずちょっと古い思想は、少し古い訳の方が自分には読みやすい。時代の雰囲気が直接出ているような気がする。
教養としての教養批判
仮に読む前から人生を変えられていた本などというものがあるなら、自分にとってはこの本がそうであった。
人文的な知や教養の根拠というのが近年の自分の関心の一つであったが、この問題意識もニーチェのエピゴーネンであったらしい。とはいっても、本書の第二篇やニーチェの他の著作には接していたから、無意識のうちにどこかに引っかかっていたらしい。
ニーチェというのは、簡単に飲み下して自分のものにしてしまえるような思想家でない。特に自分のように民主主義に賭けようと思ってる人間には、とてもそのまま受容できない。そんなことをすれば、民主主義自体を否定しないとならなくなる……
【読書日記】ニーチェと柳田国男/てれまこし
https://note.com/telemachus/n/nf500363c2679
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