19世紀の観念論哲学、芸術論における天才と市民との関係、そして独裁体制との奇妙な関係。
前回紹介したトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』と同時に読んでいたのが、リヒャルト・ワーグナーの伝記。奇しくも、どちらも同時代の話であった。『ブッデンブローク家』にもショーペンハウアー哲学と並んで、ワーグナーの音楽がしばしば言及されてる。
自分は民衆音楽専門で、クラシックは学校の音楽の授業以来、真面目に聴いたことがない。だが、19世紀のドイツ思想においては、音楽が非常に特異な位置を占めていて、なかでもワーグナーの名が頻出する。思想の専門家としても、どうも避けて通れそうもない。
そこで、いったいどんな生き方をした人なのか、ワーグナーの音楽を聴きながら、渡辺護『リヒャルト・ワーグナー 激動の生涯』を繙いてみた。門外漢の感想だから、眉にいっぱい唾をつけて読んでもらいたい。
悪しき市民
ワーグナーという人は変わり者で、毀誉褒貶が激しい人である。まず借金王。貧乏でも贅沢がやめられない。やたらに自分の資力に余る大構想を打ち上げるのが好き。で、獲た金を右から左に蕩尽して、困ると友人、庇護者に泣きつく。返す当てもない借金を繰り返す。
そして、不倫常習犯でもある。妻帯者でありながら、あちこちで若くて魅力的な女性と恋に落ちる。相手が既婚者であっても、お構いなしである。あげくの果てに、自分の忠実な弟子の細君を寝取ったりする。
芸術家としても評価の分かれる人で、多くの崇拝者をもったが、まったく評価しない人も多かった。特に批評家たちには評判が悪かった。いわゆる型破りの音楽家で、伝統的な形式を打破して新しい音楽を創り上げて行った。
加えて、政治にも首を突っ込みたがる。宮廷音楽家の立場であったにもかかわらず、無政府主義者のバクーニンなんかとつき合って、1849年のドレスデン革命に積極的に参加した。それで逮捕状が出て、スイスに亡命せざるを得なくなる。
それで過激な革命家という評判をとってしまうが、同時に反ユダヤ主義者でもある。当時のヨーロッパではワーグナーに限られた話ではないが、彼の友人たちがショックを受けるようなことを平気で書いた。
だが、彼の社会主義が折衷的なものであったように、彼の反ユダヤ主義もどこまで人種主義的なものか怪しいところがある(人種主義思想の父ゴビノーとも付き合いがあったが、あまり意見は合わなかったらしい)。自分の周囲のユダヤ人たちにはそれなりに気を使うし、そもそも彼自身の本当の父親がユダヤ人ではないかと疑ってる。
まあしかし、要するに、すぐれた芸術家かもしれないが、あらゆる意味で「よき市民」ではない。欧州言語で「市民」という語は、日本語にはないニュアンスがある。横浜市民とか名古屋市民というような意味ではない。
まず「市民」というのは、「自由」と結びついている。封建社会において自由の孤島であった都市に住む者が市民である。封建的権力関係からは自律的な存在という意味がある。
であるから、市民はまた「自治」とも結びつく。上下関係ではなく、平等な者が相互の合意に基づいて、命令ではなく法に基づいて自らを統治する。そういう者たちが市民である。
だが、その都市が興隆して、覇権を握るようになると、ネガティヴな意味がつけ加わってくる。「市民的」生活とは、浅薄な日常の平板さを虚飾や物質的な享楽で紛らわすしかない、精神的に低い生活であるという意味である。『ブッデンブローク家の人びと』では、商家の末裔自身が、次第にこのネガティヴな意味での自分の「市民性」に気づいて、没落の道を辿っていった。
日本語ではいちばん近そうなのは「社会人」という言葉である。社会人には自由とか自治という意味が付随してないのだが、若い人が「社会人になりたくないな」と嘆くときのニュアンスが、ネガティヴな意味での「市民」に近い。
ワーグナーが「よき市民」ではないというのは、平等な者が共に生きるために尊重しなければならないようなルールや形式をことごとく軽視するような、その態度のことを指す・・・・・・
(読書日記)芸術家と市民:誰が誰に仕えるのか/てれまこし
https://note.com/telemachus/n/na101defe3752
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