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2021年05月19日11:44

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教科書に出てこない日英・日米関係

母の曽祖父は朝河貫一のいとこにあたる。朝河貫一というのは二本松出身の歴史家、イェール大学教授であるが、一般には戦前のリベラル知識人として名を知られている。日米開戦前夜に戦争を止めようと奔走したが、かなわなかった。開戦後も米国に留まりつづけたが、アメリカ国籍に帰化した方がいいという勧めは断って、もう一つの祖国への忠誠を貫いた。

朝河の家は二本松藩の藩士であったから、明治の御代では逆賊の汚名をかぶった。いずれにしても、廃藩置県と秩禄処分で下級武士たちは仕事を失っている。この没落した家を復興するという使命を多くの下級武士の息子たちが自らに課したが、朝河も例外ではなかったようだ。

しかし、官職は薩長に独占されてるような世の中である。そこで学問を通じて立身出世をはかる人が多かった。朝河も安積中学(当時は福島尋常中学と呼ばれた)に入学するため郡山に移った。開成山神宮に下宿してたらしい。とにかく猛烈に勉強した。明治初期の知識人には、まだこのイエの感覚が残っており、これが人生の目的であり生き甲斐になった。

当時、安積中学には英国人のハリファックス先生(トーマス・エドワード・ハリファックス)という人がいた(1890〜1892)。この人がやって来るときに、洋風の住宅を建てなければならないということになった。この責任者となったのが、いつぞや話した「タマキのじいちゃん」(母の曾祖母の叔父)であった……

教科書に出てこない日英・日米関係/てれまこし
https://note.com/telemachus/n/na4d54dcab8b8
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