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2019年12月14日12:30

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保守主義と保守的心情

 英国の保守党の大勝利にかこつけて、保守の話でもしてみよう。

 人間は年を重ねれば重ねるほど保守的(必ずしも保守主義的じゃない)になるものらしく、自分なども例外でない。それにはいろんな理由があるのだろうが、一つには変化というものが彼らの作り上げた世界を脅かすからである。


保守的心情

 先日読んだインドの小説の中にこんな一場面があった。インド北方の山の中腹にある小さな町に、近代的な道路が開通する。くねくねと曲がりくねって、雨が降るとすぐにぬかるむ山道に代わって、直線的な舗装道路がなかば孤立していた町と他の大都市をつなげる。そうして都市の文物が流入し、仕事を求める人々も押寄せる。

 おそらく住民のことを思ってというより中国との国境紛争に対処するために建設された道路なのだが、不定形な自然が人間の手によって幾何学的な秩序にとって代られるという意味で典型的な近代化である。町は今までに見なかった繁栄を経験するが、その反面、丘の木々は切り倒されスラムが形成される。かつて美しかった丘の中腹からスラムを見下ろしたある地元民は、なんともいえぬ喪失感に襲われる。

"
Suddenly, he noticed that dusk had fallen: the sunset was forfeited behind the pall. And the entire scene was so mean and squalid by twilight, so utterly beyond his ability to accept or comprehend. He felt lost and frightened. Waves of anger, compassion, disgust, sorrow, failure, betrayal, love-- surged and crashed, battering and confusing him. For what? Of whom? And why was it? If only he could...

"But he could make no sense of his emotions. He felt a tightness in his chest, then his throat constricted as if he were choking. He wept helplessly, silently."
(Rohiton Mistry, A Fine Balance)

拙訳で恐縮だが、日本語にするとこうなる。

「突然、彼はすでに夕暮れであることに気づいた。日没がとばりの背後に隠されて見えなかったのだ。そして黄昏に浮かび上がるあらゆる光景があまりに卑しくむさくるしく、とてもではないが彼には受け入れ理解することができそうもなかった。彼は道に迷ったような気がして怖気づいた。怒り、思いやり、嫌悪、悲しみ、やり損じ、裏切り、愛といったものの波が寄せては砕け、彼は打ちのめされ混乱した。なんのために?誰について?どうして自分はこんな気持ちなのか?せめてそれさえわかりさえすれば…。

「だが、彼は自らの感情から何の意味も汲み取ることができなかった。胸がギュッと締まるのを感じ、そしてのどが締め付けられた。まるで窒息しているように。彼はなすすべもなくすすり泣いた。音もたてずに。」

 小説では名指しされていないが、おそらくアルカナル・プラデシュ州の町である。ネット検索してみると棚田が広がる美しい風景の写真が出てきて、ちょっと日本の田舎にも似ている。。パールシー教徒(ペルシアでの迫害を逃れてインドに移ったゾロアスター教徒)の共同体があるらしく、辺境のような場所で自分たちの生活を守り続けてきたような印象を受ける。

 この人物は主人公の一人の父親である。パールシー教徒の地元の旧家を継いだ彼は、中印国境紛争のあおりでその領地のほとんどを失った。そこからまた自分の片腕一本で傾いた家運を立て直した。家伝のレシピで作ったコーラが地元では愛されており、街からくるコーラなどは誰も見向きもしない。しかし、ある日、彼が和解し一体となっていた世界は突如として失われた。道路の開通により、大企業が本格的に町に乗り込んでくる。買収の申し入れを蹴った父であるが、宣伝競争に負けて次第に家伝のコーラは市場を失っていく。

 生活すること自体に支障はない。むしろ商売の機会は増えている。だが、それは彼を慰めない。自分が受け入れ、また自分も受け入れられていると感じていた世界は、再び彼を見捨てた。これは彼自身の存在自体が拒絶されたような感覚を伴う。この感覚が引用文のような複雑な感情を生む。これから自分の世界を造って行こうという希望を持てる若者にはなかなか理解しがたい感情なのである。

 だから、彼の息子(著者の分身?)は、生まれ育った故郷が変貌していくのを悲しく思いながらも、変化を新しい機会の到来として歓迎することもできる。未来志向になれる。彼は父親の悲しみを理解することができず、ゆえに彼を理不尽に保守的であり自分の主体性を否定する存在として受け止めるようになっていく。父子の関係はぎくしゃくとしたものになっていく。


棲み処と習慣

 平たく言えば、父親は世の中の変化に適応し切れなかったのである。生物は環境に適応するものであって、人間も例外じゃない。ただ人間の場合は適応する環境が自然に与えられたままのものではなく、人間自身の「仕事」の累積たる歴史的・社会的世界である。だから自然界より変化を蒙りやすい。この世界に放り込まれた者は、この世界に適応するか、もしくは「仕事」によって世界を自分に合うように作り変えることによって、自分が選んだのではない世界と和解するのである。

 棲み処(habitat)と習慣(habit)は結びついていて切りはなせない。この棲み処と習慣の調和を成しとげた者が、歳を取ってから棲み処の変貌によって習慣の変更を強いられるということは、やはり一つの悲劇なのであって、小津安二郎の映画などでもおなじみのテーマである。どんなに保守嫌いな人でも、そうした作品に触れて心を動かされたことが一度や二度はあるはずだ。


イデオロギーの下に埋もれた原体験

 こんな話をした理由はこうである。今日、右とか左とか保革対立とかいう政治の構図は、えらく抽象的な標語に埋もれて、一種の形而上学に堕している。だから政治的立場と個人の経験がつながらなくなってる。どんな立場の選択も恣意的に見える。それでイデオロギー対立が事実認識の問題に還元できるかのような物言いがはびこってる。対立があるのは間違った認識を持った奴がいるからで、それさえ正せば対立は消滅するかのような物言いなんである。

 この抽象化した政治をより具体的な経験にもう一回つなぎ直さないと、ヨリ本質的な対立が見えてこない。それが見えないと、理屈ばかり達者になって、政治を動かす情念を理解することができない人が増える。反知性主義なんかでやり玉にあがるような人々であって、自分なんかも間違いなくこの内に入る。反省はするのだが、だからといって反知性主義に転向するわけにもいかない。自分がやろうとしているのは、情念が政治において果たしている役割を知性を用いて理解してやろうという不遜な試みである。そうして、情念をバカにする知性一辺倒の連中と情念だけでものをいう無自覚な連中の上を行こうというのである。

 今日では保守主義も原体験から乖離してしまったので、いろいろな理由で人は保守主義者になれる。だが、保守主義というのは元来はこの場面に象徴的に表されたような保守的感情と密接な関係があって、思想だけではつかみきれない部分がある。リベラルや革新思想にも感情的基盤があるはずだが、特定の感情に容易に還元できないのに対して、保守思想の場合は比較的わかりやすい。時代の流れについていくのが億劫な年になった人には理解できるはずである。

 保守の原体験はかつては典型的に地主貴族のものであったが、今回の英国の総選挙やトランプ現象のようにで、多くの労働者が保守に票を入れるようになっていて、階級構造が単純にイデオロギーと連動しなくなっている。にもかかわらず、脱イデオロギーというには、未だにイデオロギーは強力な作用を政治に及ぼしている。階級とは別のイデオロギー理解が必要になってる。

 これは何も今に始まった現象ではない。自分などが一例として思いつくのはチェーホフの『桜の園』で、貴族の搾取と瞞着が生み出した桜園に象徴される美しさが資本主義的な成り上がりによって汚されていく。チェーホフも寄生階級としての貴族に同情があるわけではなかろうが、革命への希望が失われていた当時のロシアの文脈では、よりよい未来への期待が見出されないまま過去の美しいものが失われていくというのが保守的な心情に近いものを生み出したわけだ。


「父」と「子」と「爺」の政治

 以前に「父と子の政治」や他の文章で書いてきたが、保守的心性と革命的心性という思想以前の現象学的基盤とか心理学的基盤というものを、父と子の政治、世代間対立を掘り起こすことができるんじゃないかと、自分などは考えている。そうすることによって、形而上学化したイデオロギー対立を具体的な経験に結びつけることができるんじゃないかと考えている。

 むろん、親が保守、子が革新という単純な話でない。精神分析上の「青年」というのはまだ世界と和解しきれていない者で、年齢とは直接関係がない。この話で父親が感じた疎外感に近いものを、世界に見捨てられたと感じている若者もまた抱くだろう。そうして雇用が不安定になるにつれて、こうした意味での「青年」が増えている。この社会の入口と出口に位置する老若両極が潜在的な保守反動の共鳴基盤である。

 だが、年寄りの保守感情が「今ここ」にある具体的な文物を対象をもつのに対して、青年の保守思想は抽象的な観念(日本の場合であれば、国体とか靖国神社。皇室は具体的なものたりうるが、多くの若者にとってはシンボルである)を対象にする点で、むしろリベラル革新の若者に近い心性ももっている。彼らはいずれも現状批判派であり、現状が救いようもないと思えば現状否定派になる。だから、形而上学上はイデオロギー的対極であるはずの極左と極右の間の転向は、日本に限らずどこでも比較的ありふれた事例なんである。

(なお、「母」「娘」「婆」についても当然考えないとならないんだが、今の自分の能力に余る。女を無視したような物言いになっているのは、女性が重要でないといいたいわけではない)
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