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2019年08月29日16:53

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いい加減な教育とダイバーシティ

1875(明治8)年生まれの長谷川如是閑は、『ある心の自叙伝』で自分の学生時代の教育を回想しているが、これがなかなか面白い。まだ制服などないから、学生の服装はバラバラである。それだけじゃなくて、先生の方もきちんとした洋装から、浪人風の着流しまで、バラバラなんである。先生の資格も怪しくて、今の官僚化した学者だけじゃなくて、食えない文士や院外団の壮士みたいな連中も教壇に立っているから、今みたいに「実務経験」のある講師をわざわざ外から呼んでくる必要もない。年齢も、学生に年を食った者がいる反面、先生の方はまだ学生みたいな人もいて、師弟のあいだの差が小さい。

服装だけではなく、教育内容もまた統一感がない。まだ教科書などないから、多くの先生は自分で教科書をつくる。それも自分の好み丸出しで、同じ教科であっても教える人によって全然内容が違ったりするんである。長くなるが、引用してみよう。

「要するに型のごとき「教育」というものを、型のごとき教育家というものが、型のごとき生徒というものの頭の上に戴かせるのではなく、型も何もない「人間」の先生と生徒とが、年齢の違いだけで、初歩的の人間内容を、先に生まれたものが後から生まれたものにくれてやっているといったような教育だったのである。与えるもの、与えられるものが、知識であるか、感覚であるか、情操であるか、形であるか、性格であるか、先生も生徒もそれは知らない。そんなものをすべて人間内容としてうけ渡しているのだった。ここに記した英語学校の先生たちは、何れも自分で教科書をつくり、教案をつくる能力のある一流の先生だったが、それらがいずれもそれぞれ極端に違った人間丸出しの人たちで、その教えていたのは学課よりむしろ「人間」だった。私たちは与えられた知識は忘れてしまっても、うけとった「人間」は、身体に喰い入って光になったり、錆になったりしていることであろう。」

早稲田・慶応であろうが、まだ私学などは大学としては認められていなかった時代である。その代わり、誰が何を教えるかについては文部官僚ではなく学校や先生の側に裁量権があったのであり、よくいえば自由、悪く言えばいい加減、いったい欠けているものは体系というものであった。

外国の話だが、自分が講義をもたされた分野(政治思想)でも出版社が「体系的」教科書をつくりはじめていた。だが、この分野においては、どういうわけか他人の書いた教科書を使うのは邪道という伝統が残っていた。で、原文(といっても多くは翻訳だが)を読ませて、講師は文字どおりその講釈をするのであるから、まだ漢籍などの古典教育に近い。教える先生によって教えられることもだいぶん違ってくる。そのせいもあってか、この分野に入ってくる人は個性的な人々が多いし、まだ師弟関係が完全には形骸化していない。教えられる内容よりも教える人間の感化というものが大きくものをいう。

如是閑は体が弱かったこともあって、ずいぶんと色々な学校を遍歴している。父親が反官私学主義にかぶれたこともあって、寺子屋みたいなところから近代的学校まで行っている。だから彼の教養も古典から西洋の近代科学まで幅広いというか、ごったまぜであって、体系的でない。だから、後から振り返ると、ずいぶん無駄なことを学ばされたし、大事なことが教えられていなかったりする。

如是閑と同い年の柳田国男は、如是閑とちがって東京帝大法科を出てエリートコースに乗ったが、やはり子供のころは体が弱くて、何年も学校に行かなかった時期がある。だけど、柳田の生家は封建知識人の家で、読み書きだけは子どものころから身についていた。一人で手あたりしだいに本を読み散らしていたりするから、学校で教えられるのとはちがった教養を身につけることになった。

後の世代に比べて、明治人に個性的な人が多く粒がそろわないのは、この教育体系の欠如に一因があったのは間違いあるまい。如是閑にも柳田にもいわゆる「変人奇人」的なところがあるのだが、この世代には、「右向け、右」と号令がかかると、必ず左を向く奴が何人かはいたのである。

これが明治二けた生まれ以降になると、だんだん秀才型が増えてくる。無駄なく体系的に知識を伝達された世代が育ってくる。如是閑などはそうした世代を羨ましがったりするのであるが、違和感も感じている。また長くなるが引用しておこう。

「そんな時代を通ってきた私が、青年時代を終わったころから、日本の国民主義の時代が進んで、近代国家化の高度が上がるとともに、教育も、制度と内容とにおいて、急速に整頓されて、私たちは、すぐ次に来た若い人たちにその新しい時代の整った教育を受ける幸福を思わないわけにはゆかなかった。が、同時に、金ボタンの制服を着せられて、頭の内容と同じく一律一体型の制帽をかぶせられて、アプトン・シンクレアのいわゆるグースステップ式教育の管[くだ]を通して、トコロ天のように押し出されている後輩を気の毒に思いもしたのである。人間は自分の育てられた時代から超越することはなかなかむずかしいものとみえて、私にはすぐあとに来た時代の教育が変梃に見えた。わたしはそのトコロ天教育が、来るべき昭和時代の日本人を造る工作過程であったことなどを洞察していたわけではなかった。ただ何となくそれを好かなかったまでである。」

果たして、画一的な教育が昭和の悲劇の一因であるか否かは議論の余地があるが、号令に表だって逆らう奴が減ったことだけは間違いない。人類の歴史で、これだけ多くの人がこれだけ大量に同じことを頭に詰め込まれたことはかつてないはずだ。同じような教育を受けた人々たちの間には、知らず知らずのうちに暗黙の了解が出来上がっていて、外から見れば粒がそろいすぎていて気持ちが悪いに違いない。粒のそろった集団であるから、「いじめ」などというのもまた、逃げ場のないものになって陰惨な結果になる。

最近、「グローバル」とか「アクティヴ・ラーニング」とか、またカタカナ英語が猛威をふるようになっている。カタカナ表記がすべて悪いわけじゃないが、それが標語になって妙な権威を揮うときは気をつけた方がいい。先駆者は深く考えているのだろうが、それを言われる方は何か舶来の新しいものだからいいものだろうくらいにとって、その意味を深く考えていない。そうして標語だけが独り歩きする。

「ダイヴァーシティ」というのもそうした標語の一つである。一部の自治体ではマイノリティや外国人の存在も視野に入ったが、多くの日本人にとって「ダイヴァーシティ」はだいたい女性をもっと多く登用しようという意味に理解されているらしい。これを「多様性」と角ばった漢字に訳してみたところで、その理解が深まるわけでもないのであるが、自ら同質的だと自認する人々が多様性を評価しようというのである。相当な自省がないと掛け声で終わる。男女の数だけあわせてみたところで、似たような知識を詰め込まれ、同じようなことを考えるような人々の集まりであるかぎりは、多様にはならんのである。

この多様性の喪失の根元に近代の教育がある。教育の画一化や体系化というのは、平等に教育を受ける権利や教育の品質保証という側面も持っていて、そう簡単に捨て去ることはできない。だけど、それだけに終始してしまったら、無意識のうちに全体主義的洗脳を施すのが教育だということになりかねない。それだけに、差異を評価するような文化を意識的に作っていかないとならない。だのに予備校式を高等教育にまで延長しようというのだから、「ダイヴァーシティ」信仰も「グローバル」信仰と同様に底が知れている。人の書いたものを右から左に移すことをもって自分の仕事と心得る「先生」方をこれ以上増やしてどうするか。
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