暑さでだいぶん衰弱してきた。去年は体を壊したこともあって、自分でも危ないんじゃないかと思うくらい弱ったが、今年もかなりやばい。空調どころか扇風機もない生活だから、毎日七輪であぶられるイワシである。いい加減脂も出尽くした。幸い湘南から山を越えてくる風に助けられてはいるが、東京のまん中などに住んでいたら、もうとっくに死んでいる。
厄介なことに、体が弱った分の敵を討とうというのか、頭の方は余計に忙しく働ようになっている。何か書かずにはいられないのだが、コンピューターの熱にあてられるので、早朝か深夜でなければ、とても呑気に文章など書いていられない。
これからこんな夏がずっと続くんであれば、この体もそう長持ちはしまい。長持ちしたところで、この夏をあと何回も経験させられるのでは地獄の業火と大差がない。墓石の下の方が涼しいのであれば、喜んで転居したい気分である。
夏になるたびに思い出すのだが、温暖化対策に熱心でない政治家や政党には、ほかにどんなに立派なことを言われようが、一票たりとも票を入れんぞと決心したはずが、選挙のたびに忘れている。温暖化対策のメッセージも、真面目に応答する前にすっかり陳腐になって、争点だかなんだかよくわからんものにまで簡単に押しのけられる。
報道などを見ていると、温暖化の影響はもはやリスクではない。毎年毎年、実に甚大な被害が出ておる。それを目の前にして「今日も暑いねえ。昔の夏もこんなに暑かったかしら」なんて痴ほう症の老人のように繰り返すのだから、ぼくらも相当どうかしている。熱中症対策については毎日のように聞かされてるのに、温暖化に歯止めをかけるには何をすべきなのか、なぜなすべきことがなされないのかなどについては、あまり聞かされないのか、それとも何度聞かされても忘れるのか、とんと思い出せない。
自分は涼しい部屋におさまって、できればもっとエネルギーを燃やしたいと思う暑苦しい連中の方がいばっている世の中だから、放っておけば政治家は夏を涼しくするよりむしろもっと暑くしかねない。そんなことは分かり切ってるはずじゃないか。われら弱者ができることといえば、世界中の民主国において、温暖化対策に熱心ではない連中はともかく、せめてその邪魔をしようとするような奴らには絶対に議席を与えないという覚悟を示すことくらいじゃないか。
わしらの生きてるうちにはもう世界は涼しくはならんだろうが、みんな一緒であれば地獄行きも悪くないなんていうテロリストみたいな人々の身勝手に付き合わされる義理がどこにある。
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