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2019年08月13日16:57

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桃と神の話

桃がうまい季節になった。貧乏すると物のありがたみがよくわかるが、あの甘くみずみずしい果実はとりわけ身に染みる。こんなものを用意してくれているのだから、この宇宙を創造したのが誰であれ、我々人間は深く愛されていたにちがいない。

しかし、桃が好きなのは人間だけじゃない。うちの実家にも桃の木があって、最初の年に甘い実をつけた。だが、次の年からは虫がよりついてきて、全部食われてしまう。業を煮やして、別の場所に植え替えたのだが、それからちっとも実がならない。

あれだけやわらかく汁気のある実だから、虫にとってもご馳走であるのだろうが、なぜに人間さまが虫や鳥などと同じ食物を奪い合わないとならんのか。神さまは奴らのために別の食物を用意できなかったのか。もう少し気を利かせてくれてもいいんじゃないか。

だが、さらに考えると、桃が人間のための食物であると考える理由もない。ひょっとすると、神さまが虫や鳥のために造られたものを、人間が横取りして食っているだけかもしれない。神さまの造られた自然が不条理なのではなく、ぼくらの食い意地がぼくらを不自然な存在としているのかもしれない。神を非難するのはまだ早い。

しかし、考えてみると、この甘く汁気のある桃は日本でしか見たことがない。どうも日本の白桃は中国の水蜜桃というものを品種改良したものらしく、外国で食う桃はこんなに甘くもないしみずみずしくもない。すると、人間がその不出来な創造物に手を加えて我々の口に合うように改良しなければならなかったのである。感謝されるべきは神ではなく人間である。

どうも神さまはあまり腕のいい職人であったとはいえない。自然界には、どうにも不細工なものが多すぎる。とてもわれわれのために造れらたとは思えないものが数多くある。それだけじゃなくて、明らかに害になるものもある。嗚呼、神はなぜそんなものお造りになられたのか。

それだけじゃなくて、意図的に意地悪で造られたようなものさえある。例えば、柿の木や山桃の木である。おいしそうな実がなっているから登ってとろうとするのが自然であるが、実は柿の木や山桃の木は折れやすいらしい。太くて丈夫そうな枝でも人の重みでポキンと折れる。食い意地のせいで大けがをしたり命を落としたりした人がいくらでもいるはずだ。

どうも神さまは意地悪でもあって、わざとこんな罠をあちこちに仕掛けている。柿や山桃が人間以外の動物のためであるならば、その実をあんなにおいしくしておかなきゃいい。そうではなく、食い意地を戒めるためにわざと痛い目に遭わせようという腹なのか。しかし、そんなことをしても、人間も悪賢いから、何度か落ちれば、こんどは竹竿をもち歩くようになる。せっかくの神さまの教訓も裏をかかれてしまう。それとも、桃の木は神さまが造られたのだが、柿の木や山桃の木は悪魔の手によるものなのか。

宇宙が人間のために造られたものであるという考えは、あまりに能天気すぎるのでそう長いこと本気にされたためしはなさそうだ。だが、その代わり、油断していると何度でも蘇ってきて、知らないうちに我々はそういう前提で行動するようになる。自分らばかりが神から愛されているといわんばかりの態度になる。石油は人間に燃やされるために造られたのであるなどと、『カンディード』のパングロス博士のようなことを平気で言うようになる。

それもそのはずで、宇宙が人間中心にできていないということを理解するには、まず人間の存在自体を相対化して、宇宙全体のなかに位置づけないとならん。今の科学には出来ない相談で、何らかのコスモロジーが必要になるのだが、その不完全な科学がそんなものを全部葬ってしまった。だから、ぼくらは自然は操作・支配の対象であるとしか思っていない。何でも人間の役に立つようにして、それでも役に立たないものは存在しなくともよいと考えるようになっている。

そう言っているうちに、うちでも桃の実を食うような虫たちはほとんどいなくなった。いや、それだけではない。自分が子供のころにはまだあった多くの存在が消えてなくなった。蝶々を見かけることはめったにないし、夜に虫の音を聞くこともなくなった。カタツムリはほぼ絶滅したらしいし、カエルの鳴き声もあまり聞かない。野鳥の数も大分減った。朝それで目が覚めるほどたくさんいたスズメでさえ、今は数えるほどしかいない。

影響は動物界だけじゃなくて植物界にも及んでいて、植生もえらく単調になっている。野草の種類を数えても指十本で余りそうだ。聞くところによると、公園に植えられる芝という奴がえらく生命力旺盛な奴で、よほど強い雑草の類でないとみな駆逐されてしまうらしい。大して美しい芝でもないのに、もったいないことをしたものだ。

でも、自分らの子供の世代は、そんな多様な存在をはじめから知らんから、淋しいとも惜しいとも思わんのである。神さまがこの宇宙を造られて以来、ずっとこうだったのであり、今後もずっとこうであろうと思っているのである。

だが、これをもって住みよくなったはずの街で、奇妙なことに、今度は人間の数が減ってきておる。動植物だけじゃなく人間さまにおいても、なんだか生命の生成・死滅・再生という循環がうまくいかなくなってきておる。だから、日々目の前から消えていく存在たちに、自分たちは何か呼びかけられているような気もするんである。どのような因果がここに働いているのか、真面目に考える奴が出てきてもいいんじゃないか。
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